知里真志保「アイヌの民話と唄」「りくんべつの翁(樺太編)」、石井柏亭「ミレーの落穗拾ひ」

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」のページを更新しました。

Mashiho1

知里真志保の「アイヌの民話と唄」と「りくんべつの翁(樺太編)」がお読みいただけるようになりました。
知里真志保は、アイヌ民族のアイヌ語学者。知里幸惠の弟。姉・知里幸惠の、美しくて整然とした『アイヌ神謡集』にはない、猥雑な笑いや、割り切れない感情などを伝えています。

Ishii

また、石井柏亭の「ミレーの落穗拾ひ」も、お読みいただけるようにしました。農民出身の画家ミレーの略伝です。

これらのほかに、今公開準備中なのは、早川孝太郎の『猪・鹿・狸』の中から「狩人」関連の作品をいくつかと、正岡子規の「小園の記」と、柳澤健の「農民の芝居」と、加藤一夫の「沓掛の温泉場より」です。
あ、あと、丘浅次郎「自然の復讐」も入力しています。

| | コメント (0)

ユイ・リーチョン(文)、チュ・チョンリャン(絵)『チュン チエ――中国のおしょうがつ――』(光村教育図書)

絵本を見て泣いてしまった。少女の「わたし」のお父さんは、遠くに働きに行っていて、年に一度、お正月(いわゆる旧暦)に帰ってくる。舞台が一人っ子政策の中国だから、きょうだいはいない。お父さんの帰りを楽しみにしている、という、ただそれだけのお話しなのだけど、しみじみとしていていいんだな。

ふるさとがあって、家族がいて、伝統行事を楽しむ地域社会があるということ。わたしが失っていることがここに描かれている、と思った。わたしだけでなく、日本人の多くが、多かれ少なかれ失っていることなのではないだろうか。それは、なんでもないことのようなものなのだけれど、失ってしまうと、とり戻すことの困難なもの。

奥付をみたら、きょうが発行日になっている。

| | コメント (0)

鹿肉

Shikaniku


いただきものの鹿肉です。
北海道で肉料理と言えば、羊の肉を使ったジンギスカンが有名ですが、しかし、ジンギスカンの肉は、ほとんど輸入物。
北海道だから鹿肉が手に入りやすい、ということはないのかもしれませんが、しかし、北海道で食べる鹿肉は、おそらく100%道産品で、そしておそらくそのほとんどは、天然物でしょう。

下の写真は、6月に撮ったもの。鹿は、人家の近くに、ふつうに通り過ぎていきます。畑を踏み荒らしたり、大豆の類いを食べたりします。自動車と接触事故をおこすことが多いのも、困ります。
もっとも鹿たちにしてみれば、人間たちこそが困った存在なのでしょうね。

鹿には角が生えていますが、よほどのことがない限り、向こうから襲ってきたりすることはありません。目が合うと、逃げていきます。

Shika

| | コメント (0)

なんちゃって温室

Onshitsu

物干し台と朝顔の支柱と陸稲の育苗のトンネルに使った穴あき農ポリという、あり合わせの物で、簡易温室を作りました。桃とチョウセンアザミとセンペルビウムとアイビーを入れました。隙間だらけですが、寒風が直接吹き付けるよりはましでしょう。春まで強風やどか雪がやって来ないといいのですが。

【追記】
きょう、食用菊(もってのほか)を食べました。見て美しくて、食べておいしい。2度楽しめる植物です。御飯に混ぜて寿司飯をつくる「すし酢」って調味料がありますが、あれをかけて食べるのがわたしのこのみです。簡単だし。
毎年花を咲かせるたびにむしられて、花を咲かせるのがいやになったりしないのだろうか、食用菊は。

| | コメント (0)

吉江喬松「生ける自然」

Yoshie

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」で、吉江喬松「生ける自然」を読めるようにしました。

吉江喬松 (よしえ・たかまつ) 1880-1940

詩人。フランス文学者。吉江孤雁の名でも作品を発表しています。
文芸誌「種まく人」に関わったり、エリゼ・ルクリュの翻訳をしたりもしているので、自然や農業に関しての立ち位置は、石川三四郎のそれあたりに似ているかもしれません。当時としては新しい、そして今となっては旧い思潮と言うべきものでしょう。時代によってリアルは、その様相を全く異にさせていきます。

「生ける自然」

自然という観念を御神体とした宗教の提案、ユダヤ・キリスト教文化の「読み替え」のように理解できます。ご本人は「読み解き」のつもりなのでしょうが。中立を装いながらも、どうしても神道的な発想から抜けきれない傾向が感じられます。

| | コメント (0)

薄田泣菫「野菜畑の朝」

Susukida


栽培生活のホームページの
「田舎の貸し本屋さん」のページで、薄田泣菫の「野菜畑の朝」を読めるようしました。
知識と感性で文を書いて、それで糊口の資を得ている病弱な文人というあり方。世間と世界がずれているであろうに、新聞や雑誌等の世間的な受けも必要とされる。ある種、芸人の宿命なのでしょうねえ。

「小さな小さな語り小屋」で、この作品を、わたし田中が朗読している声を聞けます。

薄田泣菫とは関係ないのですが、以前、汲み取り式便所にハエが発生しないように発酵補助剤(米ぬかぼかし)を入れた話を記事に書いたのですが、その後、便所からのハエの発生を全く見ません。便の中の有機物を発酵させることによってウジの餌になるものをなくしてしまう作戦は、見事成功しました。ここにご報告します。

| | コメント (0)

イユタ

栽培生活Blogファン(?)の皆様、月に1回ほどの更新になっております。すみません。
北海道では、ストーブを焚いておりますよ。きょうは、雹(ひょう)だか霰(あられ)だか、硬い氷の粒が雨に交じってバチバチ降ってきています。

Iyuta


ついさっき、アイヌ文化保存会の催しで、イユタをしてきました。イユタというのは、「搗(つ)きものをする」という意味です。水につけてあったイナキビを、よく水を切って、木の臼の中で杵(きね)で搗きます。
3人組みで、3拍子で、歌というか、「えっさぁほー」みたいな声を掛け合いながら搗いていきます。軟弱なわたしは、杵を持つ手の皮がむけかけました。それから、ふるいでふるって粉にしました。
今回は市販の上新粉をつなぎに入れて、水を加えて捏(こ)ね、茹でて、シト(団子)をつくりました。あんこ、イクラ、ごまだれ、昆布だれなどをつけて食べました。一緒に作って一緒に食べるのは、楽しいことですね。

| | コメント (2)

秋?

Blueberry2


わたしは、もう、40年ぐらい、テレビなしの生活をしているのですが、職場の食堂が、なんか、テレビつけっぱなし状態でして、地デジになって、電波障害で、職場のテレビがよく映らなくなって、その対策と称して、国のお金で衛星放送が見られるようになったのですけれど、「東京向けの番組で、つまらない」と、評判が悪いです。たとえば、残暑がどうたら、テレビで言っているのに、こちら北海道の現実では、ストーブを焚いている、といった具合です。

パソコンで聞けるラジオも、民放(radiko.jp)は、北海道の放送局ですが、NHK(らじる★らじる)は東京版。広告収入のないNHKは、視聴料を取らないラジオには、お金をかけたくないのでしょう。

Hana3


それはともかく、敬老会で落語をやれ、という指令も、何とかこなして、ほっとしている、きょうこのごろです。(↓「田能久」)
http://www.voiceblog.jp/chiichikago/car6.html

畑をやっていたころは、お金はなかったけれども、食べもののストックはありました。今は、月給をもらっているので、食べものは、お金で買って食べています。コンビニ依存度が高まっています。10万キロ以上走っている車がだめになるときに備えて、お金を貯めておかないといけないのですが、お金は貯まらずに、お腹の脂肪が貯まってきています。

わたしが今住んでいる平取町は、トマトの産地として有名(道内的に)ですが、「なになにの産地」と呼ばれるようになるには、ものすごく知恵を絞り、汗を流してのことなのだと、経営能力がなくて農業に挫折したわたしは、思います。
経営というのは、波乗りみたいなもので、うまく波に乗れれば、岸まで戻ってこれますが、失敗すれば、沖に流されてしまいます。

Abokyu

庭の木は、ブルーベリーが4本と、桃が3本。ブルーベリーは寒さに強いから、いいのですが、桃は、何らかの対策をしないと、冬を越せないでしょう。
トルファン種の朝顔は、種を採りました。この朝顔、北海道の冷涼な気候に合っているようで、元気に育っています。
庭の手入れは、ほとんどしないで、放置に近いです。朝顔のように、勝手に元気に育っていってくれる植物が、ずぼらなわたしには、お気に入りです。

職場の近くに「とねっこの湯」という温泉があって、2万円出すと、6カ月間有効の定期券を発行してくれて、温泉が入り放題になります。1日あたり100円ちょっとでいいのですから、これはお得です。そんなわけで、ほとんど毎日、温泉に行っています。この温泉が、わたしの気なぐさみです。

| | コメント (0)

アサガオ

Trufanmorning


早起きして庭を見ると、朝顔の咲いている姿に会える。
アーティチョークも育っているけれど、冬を越せるか、今から心配。
いただきものの種から出た藍らしいのが育っているけれど、どうなるのだろう。
ちょっとうれしかったのは、実生の桃が2本出ていたこと。何度も挿し木を試みて、一度も成功しなかった。なのに、実を食べたあとの種から芽を出すなんて。
サクラソウは、草に埋もれて、消滅しかけている。地面に降ろさなければよかった。
センペルビウムは、わざと厳しい環境に植え替えたら(鹿沼土の上に置いただけ)、親株がほとんど枯れて、新芽がかろうじて生き延びている。世代交代だ。
食用菊も、ほったらかしにされていた割には、頑張って生きている。

町内で家庭菜園をしている方の畑を見せていただいた。家庭菜園なのだから当たり前だけれど、少量多品種栽培で、個性的。非農家的発想の畑は、見ていてほっとする。野鳥のためにヒマワリを育てたり、サンショウウオのために、側溝が干上がらないように容器を置いたり、自然と交流しているのが分かる。
採りたてのキュウリをいただいてくる。うちに帰ってそれを食べると、生き返るようなパワーをもらえたような気がした。
キュウリを食べるときに、別の方からいただいてあったイタリア製のドレッシングを試してみる。塩とりんご酢とオリーブオイルが小袋に別れて入っていて、食べるときに混ぜるというもの。至ってシンプル、かつ美味。

老人ホームの畑は、陸稲、アピオス、キクイモ。それぞれそれなりに育っている。

老人ホームの夏祭りで紙芝居をやったら、「プロの方ですか?」と聞かれた。評判よかったぞ、というので、今度は9月の敬老会で落語をやるように指令される。
「紙芝居できます」と履歴書に書いて一芸採用されたようなものなので、こういうのも仕事のうちなのだと思い、引き受ける。
これから図書館へ行って、落語のネタを探してこよう。

| | コメント (2)

相馬御風「田の草取り」

Soma

「栽培生活」のホームページの、「田舎の貸し本屋さん」のページに、相馬御風の作品を2つ掲載しました。

「田の草取り」

昭和16年に書かれた文。太平洋戦争の真っ最中、男達のいない田んぼの様子が描かれています。

「土に歸る」

「諸法無我」を言う仏教からすれば、生命がそこから生まれ、またそこへ帰ってゆくべき「土」を実体化するのは正しくありません。しかし、現前する苦しみを紛らすための想像は、咎められません。

この2作品の、わたし田中による朗読は、
こちら↓
小さな小さな語り小屋

| | コメント (0)

石川啄木「田園の思慕」

Takuboku

栽培生活のホームページを、ひさしぶりに更新しました。畑をやっていないので、畑をやっていませんというお詫びを述べたような更新です。
更新する気になったのは、にゃんと、うちに、光回線がつながったのですよ。速くなりました。けっきょく、くだらない動画を見て、時間を無駄にするようになってしまっているのですけどね。

ついでにと言ったら何ですが、「田舎の貸し本屋さん」のページも、更新しました。石川啄木の「田園の思慕」を読めるようにしました。
田園と都会。田園に住む人達は都会に憧れ、都会に住む人達は田園に憧れる。「安楽」はどこにあるのでしょうか……と。

| | コメント (2)

イナウ

イナウをつくる体験をできる機会があったので、参加してきました。イナウというのは、木を削ってつくる「ぬさ」のようなものです。飾りのようであって、カムイに捧げるものでもあります。
木は、ヤナギかミズキを使います。ミズキのほうが、より白くできあがります。
初めてつくったのですが、「初めてにしては上手だ」とほめられました。
写真は撮ったのですが、会場のチセ(家)に入ってから撮った写真が、なぜか全部真っ黒になっていて、お見せすることができません。

チセに入る前に撮った写真がありますので、載せておきます。

Cise これがチセです。かやぶきの家です。消防法の規定で、人が住むことはできません。儀式などのときに使われています。
ふだんは、バスで来る観光客に見てもらっているぐらいです。

Cip1 チプ(丸木舟)です。
昔は、こういう舟で漁をしたり、川を行き来したりしていたのでしょうねえ。今は、儀式のときにだけ使っています。

Cip2 チプのへさきには、模様が彫刻されています。

Iutap1 イユタプ(ばったり=水力を利用した精穀機)。
穀物を搗いて、殻を取ったり、粉にしたりしたものです。

Iutap2 イユタプの「かけひ」仕掛けの部分。
これは再現したもので、現在実用に使われているものではありません。

Pu_heperset 手前は、プ(高足倉=食料庫)。
奥は、ヘペレセツ(子グマを飼うおり)。

おしまいです。
何で、チセの中で撮った写真、黒かったのでしょうか。カムイに対して、何か失礼でもあったのでしょうか。

| | コメント (2)

オオウバユリ

平取アイヌ文化保存会の技能伝承講座で「トゥレップ(オオウバユリ)加工、保存」という催しがあったので、参加してきました。

Trep1 これが、オオウバユリです。根元の鱗茎を利用します。

Trep2

樽の中で鉈の背で搗いて潰しました。臼と杵でやってもいいです。

Trep3_2 水を加えて、ざるで濾して、液は、沈澱させて、でんぷんを取ります。

Trep4

ざるに残る、繊維が多く含まれるほうは、フキの葉っぱでくるんで、

Trep5 さらにヨモギの葉っぱでくるんで(ヨモギには、防腐効果があるそうです)、土に埋めて、発酵させたのち、乾燥させます。食べるときは、煮戻すそうです。

Trep6_2

でんぷんも、発酵乾燥させるほうも、すぐには食べられないので、オオウバユリの鱗茎を、茹でて、潰して、つなぎに市販のでんぷんを入れて、捏ねて、食べやすい大きさに丸めて、マーガリンを引いたフライパンで焼くという、北海道の料理「いも餅」(「いも餅」は、ジャガイモでつくります)式に調理して、食べました。繊維は、今回は庖丁で刻みました。
食べやすい、爽やかな風味です。繊維を含むので、腹持ちがいいです。 

| | コメント (2)

6月

6月になりましたけれど、まだストーブ焚いています。北海道は、まだ寒いです。氷点下になっている地域もあるそうです。
(例の老人ホームの)直まきの陸稲は、ぜんぜんだめです。草のほうが強いです。また、プラグ使いましょうか。
ご近所の視線のプレッシャーに負けて、自宅まわりの草刈りをしました。というか、ほとんどお隣さんに刈り払い機で刈ってもらいました。タンポポって、きらわれ者なんですねえ。
庭では、プランターのサクラソウを地面に降ろしました。鉢で冬越ししたラベンダー、カモミールなんかが伸びてきています。ダメ元で、アーティチョークの種をまいてみました。トルファン種のアサガオと、亜麻も。

1992年(原書は1989年)に出たアンナ・ブラムウェルの『エコロジー』を読んでいます。別記事で感想を書くつもりでいます。
福島の原発の事故以来、ドイツでも日本でも、「エコ、エコ」な、浮ついた気分が勢いづいているようですが、エコロジーの思想的源流や諸展開をたどると、それは西欧的な、非常に特殊な文化であることが分かります。
この本を読むことは、自分(たち)がその影響下にある文化を批判的に引きはがす作業となるので、けっこう痛みを伴います。

きょうは仕事がお休みなので、自動車の調子悪いところを直しに、苫小牧まで行ってきます。畑をやめたので、軽トラでなくてもいいのですが、買い換えるためのまとまったお金がないので、直し直しごまかして使っています。
何にしても、田舎では自動車は必需品です。職場へ通うのにも、買い物などの用を足すのにも、何十キロも先まで行かなくてはなりませんし、わが平取町には鉄道がありませんから。
東京にいたころは高い家賃のために働いていたような感じでしたが、北海道の田舎では自動車(と冬の灯油代)のために働いているような感じがします。

学校の「単位」が足りない悪夢を、なぜかいまだに見ます。前の学校を「卒業見込み」で進学したけれど、じつは卒業できていなかった、みたいな。
東京でビル内清掃のアルバイトをしていたころ、仕事仲間に、「自衛隊に入りたいので、保証人になってほしい」と言われて、名前と住所を教えたことがありました。直筆でないし、「田中」の判もその人が用意するとのことで、いざというときに保証する意思のない「保証人」でした。
その人からは一度だけ、「広島の何とかいうところに配属になって、頑張ってやっている」みたいな葉書がとどいたことがありました。
学生がほしい学校、働き手がほしい職場では、卒業証明や保証人なんて、いいかげんでいいのですね。学歴詐称とか、野暮なことを言う人はいません。
わたしの最終学歴は、6年前に卒業した、深川市にある、農学系の短大です。今は、学校ではありませんが、近所の生活館(公民館のような集会所)で月に2回ほど開催される、アイヌ語用語の講座に通っています。
超低空飛行な生活ではありますが、何もごまかしてはいないつもりです。なのに、追われるような、暴かれるような夢を、ときどき味わうのは、なにゆえでありましょうか。

想像上のキャラクターだと分かってはいるのですが、ダメダメな人を優先して救ってくれるらしいという阿弥陀仏なる人(?)の優しさを思うことがあります。

| | コメント (5)

クレソン

Cresson

台所の流しからあふれるほどたくさんのクレソン。いただきものです。天然のものです。茹でて、市販のドレッシングで和えて食べました。
クレソンは生でサラダで食べたほうが栄養になる、と言う人もいますし、北海道にはキツネの糞から伝染する風土病のエキノコックスがあるから、天然のものは必ず加熱して食べなければだめだ、と言う人もいます。

仕事で行っている老人ホームが、利用者様のレクリエーション(?)のために持っている畑に、トヨハタモチの種をまいて、軽く土をかけて、ジョウロで水をかけて、ダンポールと穴あき農ポリでトンネルを掛けてきました。所要時間30分もかけていません。責任者に無断でやった「ゲリラ種まき」でした。撤去しろ、とは、たぶん言われないと思います。うまくいけば、秋ごろに、お餅が食べられます!

稲と言えば、わたしは、このごろは、近所の農家からお米を買って食べているのですが、スーパーマーケットで「ゆめぴりか」という銘柄のお米を売っていたので、ちょっと高かったのですが、試しに買って食べてみました。
北海道では、熱帯起源の稲は、栽培できませんでした。それが、品種改良や栽培技術の発達で安定して栽培できるようになり、その後は、食味の改良が続けられてきています。「ゆめぴりか」は、その最先端をいく品種なのです。
近所の農家から買っているお米も、決してまずくはないのですが、「ゆめぴりか」は、目隠しをして食べても、どちらがどちらと言えるほど、はっきり食味の違いがあるのが分かりました。(味に関する語彙が乏しいので、うまく表現できませんcoldsweats01
とにかく、何でもいいから食えることが第一、という思いが強いわたしにとって、「食」分野の産業がこういう方向に進んでいっているという事実に、奇妙な感慨を覚えました。

Sakura

平取町の、消防署の裏の桜の木です。こちらでは、5月が花見の季節です。

| | コメント (2)

桃の木は残った

雪の多い深川市から地面が凍る平取町に引っ越してきて、初めての冬が越えました。引っ越して持ってきた植物たちは、と言うと、まず、籾殻を根元にまいて保護した桃の木ですが、

Momo 生き延びているみたいです。今年も、挿し木で殖えないものか、やってみます。なかなかわたしは下手で、今まで挿し木で殖えたことがないのですけれど。
近所に、学校へ行く前ぐらいの年の女の子たちの集団がいて、よく、植物を取って遊んでいるので、実が生ったら、彼女たちに食われそうです。

Shokuyogiku今年は、畑は借りないで、自宅にある小さな花壇と、プランターだけの栽培にしようと思っています。
写真は、食用菊です。引っ越してきた株の一部ではありますが、これも生き延びているみたいです。意外と寒さに強いようです。
食べられる花と言えば、アーティチョークの種をいただいていたのですが、地面が凍る当地では無理でしょうね。残念ですが。

Sempervivumhachi_2 こちらは、食べられない(たぶん)花、なのか葉なのか、センペルビウム(センペルヴィヴム?)です。これも、寒さに強いですね。
ほかに花では、亜麻とトルファン種のアサガオの種を、今年もまく予定でいます。

Blueberry ブルーベリーです。生きていて、新しい芽が出てきてはいるのですが、ごらんのように、すでに虫がついています。虫との共存ですね、この木は。

Gyojaninniku ギョウジャニンニク。「山さ行きゃぁ、いくらでもあるべさ」と言われそうです。

あとは、プランターに、ニラの芽が出てました。
大豆類は、このへんではシカに食べられるので、栽培できません。
白エゴマは、年を経ると、種の発芽率が落ちるので、種を継ぐ意味で、ちょこっと栽培してみようかな、と思っています。未練でしょうか。

今年の栽培は、ほとんど、何にも仙人です。ま、そういう年も、あってもいいかも、です。余裕ができたら、またやればいいのですし。
今行っている職場の老人ホームで、毎年、お年寄りたちと野菜の栽培をしているらしいので、そちらで一緒に楽しんでいるかもしれません。

| | コメント (4)

今年の栽培、どうしましょう?

4月が、ブログを更新しないうちに終わりそうで、あわてて書いています。毎年、栽培は5月に入ってからなので、特別遅れているわけではないのですが、4月から老人ホームで働きはじめて、変則勤務で生活時間が不規則なのと、くわえて朗読のブログのほうを面白がって更新していたら、栽培生活のほうがおろそかになっていました。
畑の隅っこのほうを貸してはもらえそうですし、いただきものの種もまいてはみたいし……どうしたものか。ということで、とりあえず、農協でシイタケの「種ごま」を売っていたので、衝動買いして、ほだ木に植え付けてみました。シイタケも栽培のうちですものね。毎日水をかけなければならないのが、面倒と言えば面倒なのですけど。

Hodagi

道央ランバーさんから買ってあった「ほだ木」5本。

Shiitakekin

袋に入れて売られている、シイタケの「種ごま」と、尖端に「シイタケビット」をつけた電気ドリル。これで穴をあけて、「種ごま」を差し込んで、木槌で打ち込んでいきます。

| | コメント (2)

便所のハエ対策

今度引っ越してきた住宅は、くみ取り式の便所なので、ハエが発生します。今までは寒かったので、活動していなかったのですが、暖かくなってきて、きょう、室内に、初めて、成虫のハエを見ました。
ある方から、発酵剤をまいて、便槽の便の中の有機物を早く発酵させて無機物にしてしまえば、ウジは餌を得られなくなって、死滅する、という情報を得て、さっそく、発酵剤なるものを買いに行きました。

550320namagomishorizai

農協に「生ゴミ処理剤(EM菌入りボカシ)」というのが売られていました。これでいいのかなあ。写真載せていますが、これでうまくいくかどうか、分かりません。この商品をお勧めしているのでもありません。結果は、後日、報告します。農協には、ウジ用の殺虫剤も売っていましたが、ボカシでうまくいくなら、毒物を使うよりは、いいでしょう。

| | コメント (2)

小川早苗『アイヌ民族もんよう集』(かりん舎)

アイヌ民族の伝統文化に、衣服などに施す刺繍があります。その文化を今に伝える小川早苗さんが作られた刺繍の数々を、100ページを越える多くのカラー写真で紹介している本です。
見とれるような美しさです。形、色が、そのようでなければならないような姿で、そこにある感じです。これは、すばらしいですね。
アイヌ模様などと言えば、博物館に展示してあるような、古い、昔風のもの、という印象があって、そういったものを日常、自分から身に着けようとは、普通は思わないでしょうけれど、この本にあるようなデザインであれば、わたしは、できうるものであれば、身に着けてみたいと感じます。それほど、現代的な感性にも訴える力を持っているのです。おしゃれで、かっこいいのです。
この美しさは、作者の小川さんのセンスのよさの賜物でしょう。こういう勝れた個人がいらっしゃって、文化が活気づく。そして、そういう文化の中から、また、勝れた個人が育っていく。そういう循環なのだと思います。
この本には、刺繍をしているところの手元の様子を、連続写真で紹介しているページもあって、これからアイヌ風の刺繍をやってみたいという人にとっては、制作のための勝れた参考書になることでしょう。その意味で、実用的でありますし、また、ただ眺めていても美しい本でもあります。

| | コメント (2)

デヴィッド・ダーリング&ウールー・ブヌン『ムダニン・カタ』

ジャズ・チェリストのデヴィッド・ダーリングが台湾へ行って、台湾の少数民族の一つ、ブヌン族の合唱と合作した音楽CDです。異文化が接触するところには、興味深い、創造的な文化が生まれることが多いですが、このCDも、そういった成果の一つでしょう。ルーツの異なる要素が、渾然と解け合って、新しい独特の表情を見せています。

ブヌン族の歌は、本来、生活の中で歌われていたもので、コンサート・ホールで、お客さんを前にして歌ったり、CDにして売られたりするようなものではありませんでした。こうやって、自宅で、そのすばらしい歌が聴けるのは、ありがたいことではありますが、生活の中で歌われていた「生きた」歌が、商品化されることによって、その精神性を失うことがないようであってほしいと思います。

このCDに収録されている歌は、どれも耳に心地よいものですが、8曲目の「Pasibutbut(キビの豊作への祈り)」だけは、ギョッとさせられました。合唱の響きが微妙・精緻で、高度な精神性を感じさせられたからです。この歌は、比べるものが思い当たらないほど、独創的です。完全に想定外でした。いわゆる「トリスタン和音」を彷彿とさせる、耳の恍惚があります。祈りの思いが、このような歌に向かって結実する、それも、恐らくは、集団的に自然発生して、伝え続けられてきたであろうことを思うと、その奇跡に感心しないわけにはいきません。

うちの遅い通信環境では、動画は見られないのですが、「Pasibutbut」で検索すると、動画もあるみたいですね。早く来い来い、光回線。

| | コメント (2)

«ギンポ