今年も桃の花が咲いた

地面に植えたほうの桃の木に花が咲きました。

Momonohana

種から芽を出して、鉢に植えたあった3本は、花も芽も葉も出てきません。「桃栗三年」と言うぐらいだから、最初の年はこんなものなのでしょう。枯れてはいないと思います。もう少し様子見を続けます。

Sakurasou

こちらは、鉢植えから地面に降ろしたサクラソウ。生きてました。サクラソウの仲間には絶滅危惧種が多いそうですが、うちのこれなんか、どうなんでしょう? もしかしたら、物凄く貴重な種類なのかもしれません。

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トンコリ製作 その2

Tonkori03

内側は丸ノミで、外側は平ノミで、厚さが5ミリくらいになるまで彫っていきます。
中にある黒い玉は、クルミです。トンコリの中には、このような物を何か入れます。トンコリ自体は女性の体になぞらえられますが、中に入れる玉は、心臓を意味します。音にはほとんど影響しませんが、トンコリを傾けると、中で転がってコロコロ音がします。

Tonkori04

甲板をボンドで貼ります。ボンドがない時代は、膠(にかわ)を使っていたそうです。

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二風谷湖に白鳥が飛来

Hakucho

二風谷湖に白鳥の集団が飛来しています。水面の白い小さい点が全部白鳥です。

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トンコリを作りはじめました

樺太アイヌの伝統楽器であるトンコリを自作して演奏しよう!という企画に誘われて、参加しています。町内で木工工芸の仕事をしている方に、製作の先生をしてもらっています。
きょうしたのは、ドリルで穴を開けるように掘って(貫通させない)、ノミで荒削りをするところまで。もう少しできてきたら、また報告します。
トンコリは、木製の弦楽器で、中は空洞なのですが、板を貼り合わせたり、板をたわめたりしてではなく、角材をノミでくりぬいて作ります。
わたしが作っているのは、長さが125センチで、材質はホオです。

Tonkori01

ドリルで掘っておくと、ノミを入れやすい。

Tonkori02

掘ってます。

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早川孝太郎「狩人を尋ねて」「不思議な狩人」「山の神と狩人」

Hayakawa

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」のページに、民俗学者の早川孝太郎の著書『猪・鹿・狸』から、「狩人」関連の文章をいくつか掲載しました。
農業が社会の基盤となることによって隅に追いやられたようになっている狩猟民の性質(の名残?)をうかがわせていて、興味深いです。

「狩人を尋ねて」
元狩人の昔の話を聞きに行きます。

「不思議な狩人」
狩人が持っている驚くような能力について。

「山の神と狩人」
狩人達の山の神に対する風習について。山に住む「大男」のことも!

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丘浅次郎「自然の復讐」

Okaasajiro

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」のページに、丘浅次郎の「自然の復讐」を掲載しました。

人間が知恵を働かせて自然を征服することによって、逆に人間が弱体化して、自然からの「復讐」を受けることになる。では、自然を征服することから退却したらどうかというと、それでは民族間の競争に負けるからだめだという。ちょっと悲観的な結論になってます。大局的に見れば、それが人間という生き物のありようなのでしょうね。

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知里真志保「アイヌの民話と唄」「りくんべつの翁(樺太編)」、石井柏亭「ミレーの落穗拾ひ」

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」のページを更新しました。

Mashiho1

知里真志保の「アイヌの民話と唄」と「りくんべつの翁(樺太編)」がお読みいただけるようになりました。
知里真志保は、アイヌ民族のアイヌ語学者。知里幸惠の弟。姉・知里幸惠の、美しくて整然とした『アイヌ神謡集』にはない、猥雑な笑いや、割り切れない感情などを伝えています。

Ishii

また、石井柏亭の「ミレーの落穗拾ひ」も、お読みいただけるようにしました。農民出身の画家ミレーの略伝です。

これらのほかに、今公開準備中なのは、早川孝太郎の『猪・鹿・狸』の中から「狩人」関連の作品をいくつかと、正岡子規の「小園の記」と、柳澤健の「農民の芝居」と、加藤一夫の「沓掛の温泉場より」です。
あ、あと、丘浅次郎「自然の復讐」も入力しています。

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ユイ・リーチョン(文)、チュ・チョンリャン(絵)『チュン チエ――中国のおしょうがつ――』(光村教育図書)

絵本を見て泣いてしまった。少女の「わたし」のお父さんは、遠くに働きに行っていて、年に一度、お正月(いわゆる旧暦)に帰ってくる。舞台が一人っ子政策の中国だから、きょうだいはいない。お父さんの帰りを楽しみにしている、という、ただそれだけのお話しなのだけど、しみじみとしていていいんだな。

ふるさとがあって、家族がいて、伝統行事を楽しむ地域社会があるということ。わたしが失っていることがここに描かれている、と思った。わたしだけでなく、日本人の多くが、多かれ少なかれ失っていることなのではないだろうか。それは、なんでもないことのようなものなのだけれど、失ってしまうと、とり戻すことの困難なもの。

奥付をみたら、きょうが発行日になっている。

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鹿肉

Shikaniku


いただきものの鹿肉です。
北海道で肉料理と言えば、羊の肉を使ったジンギスカンが有名ですが、しかし、ジンギスカンの肉は、ほとんど輸入物。
北海道だから鹿肉が手に入りやすい、ということはないのかもしれませんが、しかし、北海道で食べる鹿肉は、おそらく100%道産品で、そしておそらくそのほとんどは、天然物でしょう。

下の写真は、6月に撮ったもの。鹿は、人家の近くに、ふつうに通り過ぎていきます。畑を踏み荒らしたり、大豆の類いを食べたりします。自動車と接触事故をおこすことが多いのも、困ります。
もっとも鹿たちにしてみれば、人間たちこそが困った存在なのでしょうね。

鹿には角が生えていますが、よほどのことがない限り、向こうから襲ってきたりすることはありません。目が合うと、逃げていきます。

Shika

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なんちゃって温室

Onshitsu

物干し台と朝顔の支柱と陸稲の育苗のトンネルに使った穴あき農ポリという、あり合わせの物で、簡易温室を作りました。桃とチョウセンアザミとセンペルビウムとアイビーを入れました。隙間だらけですが、寒風が直接吹き付けるよりはましでしょう。春まで強風やどか雪がやって来ないといいのですが。

【追記】
きょう、食用菊(もってのほか)を食べました。見て美しくて、食べておいしい。2度楽しめる植物です。御飯に混ぜて寿司飯をつくる「すし酢」って調味料がありますが、あれをかけて食べるのがわたしのこのみです。簡単だし。
毎年花を咲かせるたびにむしられて、花を咲かせるのがいやになったりしないのだろうか、食用菊は。

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吉江喬松「生ける自然」

Yoshie

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」で、吉江喬松「生ける自然」を読めるようにしました。

吉江喬松 (よしえ・たかまつ) 1880-1940

詩人。フランス文学者。吉江孤雁の名でも作品を発表しています。
文芸誌「種まく人」に関わったり、エリゼ・ルクリュの翻訳をしたりもしているので、自然や農業に関しての立ち位置は、石川三四郎のそれあたりに似ているかもしれません。当時としては新しい、そして今となっては旧い思潮と言うべきものでしょう。時代によってリアルは、その様相を全く異にさせていきます。

「生ける自然」

自然という観念を御神体とした宗教の提案、ユダヤ・キリスト教文化の「読み替え」のように理解できます。ご本人は「読み解き」のつもりなのでしょうが。中立を装いながらも、どうしても神道的な発想から抜けきれない傾向が感じられます。

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薄田泣菫「野菜畑の朝」

Susukida


栽培生活のホームページの
「田舎の貸し本屋さん」のページで、薄田泣菫の「野菜畑の朝」を読めるようしました。
知識と感性で文を書いて、それで糊口の資を得ている病弱な文人というあり方。世間と世界がずれているであろうに、新聞や雑誌等の世間的な受けも必要とされる。ある種、芸人の宿命なのでしょうねえ。

「小さな小さな語り小屋」で、この作品を、わたし田中が朗読している声を聞けます。

薄田泣菫とは関係ないのですが、以前、汲み取り式便所にハエが発生しないように発酵補助剤(米ぬかぼかし)を入れた話を記事に書いたのですが、その後、便所からのハエの発生を全く見ません。便の中の有機物を発酵させることによってウジの餌になるものをなくしてしまう作戦は、見事成功しました。ここにご報告します。

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イユタ

栽培生活Blogファン(?)の皆様、月に1回ほどの更新になっております。すみません。
北海道では、ストーブを焚いておりますよ。きょうは、雹(ひょう)だか霰(あられ)だか、硬い氷の粒が雨に交じってバチバチ降ってきています。

Iyuta


ついさっき、アイヌ文化保存会の催しで、イユタをしてきました。イユタというのは、「搗(つ)きものをする」という意味です。水につけてあったイナキビを、よく水を切って、木の臼の中で杵(きね)で搗きます。
3人組みで、3拍子で、歌というか、「えっさぁほー」みたいな声を掛け合いながら搗いていきます。軟弱なわたしは、杵を持つ手の皮がむけかけました。それから、ふるいでふるって粉にしました。
今回は市販の上新粉をつなぎに入れて、水を加えて捏(こ)ね、茹でて、シト(団子)をつくりました。あんこ、イクラ、ごまだれ、昆布だれなどをつけて食べました。一緒に作って一緒に食べるのは、楽しいことですね。

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秋?

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わたしは、もう、40年ぐらい、テレビなしの生活をしているのですが、職場の食堂が、なんか、テレビつけっぱなし状態でして、地デジになって、電波障害で、職場のテレビがよく映らなくなって、その対策と称して、国のお金で衛星放送が見られるようになったのですけれど、「東京向けの番組で、つまらない」と、評判が悪いです。たとえば、残暑がどうたら、テレビで言っているのに、こちら北海道の現実では、ストーブを焚いている、といった具合です。

パソコンで聞けるラジオも、民放(radiko.jp)は、北海道の放送局ですが、NHK(らじる★らじる)は東京版。広告収入のないNHKは、視聴料を取らないラジオには、お金をかけたくないのでしょう。

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それはともかく、敬老会で落語をやれ、という指令も、何とかこなして、ほっとしている、きょうこのごろです。(↓「田能久」)
http://www.voiceblog.jp/chiichikago/car6.html

畑をやっていたころは、お金はなかったけれども、食べもののストックはありました。今は、月給をもらっているので、食べものは、お金で買って食べています。コンビニ依存度が高まっています。10万キロ以上走っている車がだめになるときに備えて、お金を貯めておかないといけないのですが、お金は貯まらずに、お腹の脂肪が貯まってきています。

わたしが今住んでいる平取町は、トマトの産地として有名(道内的に)ですが、「なになにの産地」と呼ばれるようになるには、ものすごく知恵を絞り、汗を流してのことなのだと、経営能力がなくて農業に挫折したわたしは、思います。
経営というのは、波乗りみたいなもので、うまく波に乗れれば、岸まで戻ってこれますが、失敗すれば、沖に流されてしまいます。

Abokyu

庭の木は、ブルーベリーが4本と、桃が3本。ブルーベリーは寒さに強いから、いいのですが、桃は、何らかの対策をしないと、冬を越せないでしょう。
トルファン種の朝顔は、種を採りました。この朝顔、北海道の冷涼な気候に合っているようで、元気に育っています。
庭の手入れは、ほとんどしないで、放置に近いです。朝顔のように、勝手に元気に育っていってくれる植物が、ずぼらなわたしには、お気に入りです。

職場の近くに「とねっこの湯」という温泉があって、2万円出すと、6カ月間有効の定期券を発行してくれて、温泉が入り放題になります。1日あたり100円ちょっとでいいのですから、これはお得です。そんなわけで、ほとんど毎日、温泉に行っています。この温泉が、わたしの気なぐさみです。

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アサガオ

Trufanmorning


早起きして庭を見ると、朝顔の咲いている姿に会える。
アーティチョークも育っているけれど、冬を越せるか、今から心配。
いただきものの種から出た藍らしいのが育っているけれど、どうなるのだろう。
ちょっとうれしかったのは、実生の桃が2本出ていたこと。何度も挿し木を試みて、一度も成功しなかった。なのに、実を食べたあとの種から芽を出すなんて。
サクラソウは、草に埋もれて、消滅しかけている。地面に降ろさなければよかった。
センペルビウムは、わざと厳しい環境に植え替えたら(鹿沼土の上に置いただけ)、親株がほとんど枯れて、新芽がかろうじて生き延びている。世代交代だ。
食用菊も、ほったらかしにされていた割には、頑張って生きている。

町内で家庭菜園をしている方の畑を見せていただいた。家庭菜園なのだから当たり前だけれど、少量多品種栽培で、個性的。非農家的発想の畑は、見ていてほっとする。野鳥のためにヒマワリを育てたり、サンショウウオのために、側溝が干上がらないように容器を置いたり、自然と交流しているのが分かる。
採りたてのキュウリをいただいてくる。うちに帰ってそれを食べると、生き返るようなパワーをもらえたような気がした。
キュウリを食べるときに、別の方からいただいてあったイタリア製のドレッシングを試してみる。塩とりんご酢とオリーブオイルが小袋に別れて入っていて、食べるときに混ぜるというもの。至ってシンプル、かつ美味。

老人ホームの畑は、陸稲、アピオス、キクイモ。それぞれそれなりに育っている。

老人ホームの夏祭りで紙芝居をやったら、「プロの方ですか?」と聞かれた。評判よかったぞ、というので、今度は9月の敬老会で落語をやるように指令される。
「紙芝居できます」と履歴書に書いて一芸採用されたようなものなので、こういうのも仕事のうちなのだと思い、引き受ける。
これから図書館へ行って、落語のネタを探してこよう。

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相馬御風「田の草取り」

Soma

「栽培生活」のホームページの、「田舎の貸し本屋さん」のページに、相馬御風の作品を2つ掲載しました。

「田の草取り」

昭和16年に書かれた文。太平洋戦争の真っ最中、男達のいない田んぼの様子が描かれています。

「土に歸る」

「諸法無我」を言う仏教からすれば、生命がそこから生まれ、またそこへ帰ってゆくべき「土」を実体化するのは正しくありません。しかし、現前する苦しみを紛らすための想像は、咎められません。

この2作品の、わたし田中による朗読は、
こちら↓
小さな小さな語り小屋

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石川啄木「田園の思慕」

Takuboku

栽培生活のホームページを、ひさしぶりに更新しました。畑をやっていないので、畑をやっていませんというお詫びを述べたような更新です。
更新する気になったのは、にゃんと、うちに、光回線がつながったのですよ。速くなりました。けっきょく、くだらない動画を見て、時間を無駄にするようになってしまっているのですけどね。

ついでにと言ったら何ですが、「田舎の貸し本屋さん」のページも、更新しました。石川啄木の「田園の思慕」を読めるようにしました。
田園と都会。田園に住む人達は都会に憧れ、都会に住む人達は田園に憧れる。「安楽」はどこにあるのでしょうか……と。

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イナウ

イナウをつくる体験をできる機会があったので、参加してきました。イナウというのは、木を削ってつくる「ぬさ」のようなものです。飾りのようであって、カムイに捧げるものでもあります。
木は、ヤナギかミズキを使います。ミズキのほうが、より白くできあがります。
初めてつくったのですが、「初めてにしては上手だ」とほめられました。
写真は撮ったのですが、会場のチセ(家)に入ってから撮った写真が、なぜか全部真っ黒になっていて、お見せすることができません。

チセに入る前に撮った写真がありますので、載せておきます。

Cise これがチセです。かやぶきの家です。消防法の規定で、人が住むことはできません。儀式などのときに使われています。
ふだんは、バスで来る観光客に見てもらっているぐらいです。

Cip1 チプ(丸木舟)です。
昔は、こういう舟で漁をしたり、川を行き来したりしていたのでしょうねえ。今は、儀式のときにだけ使っています。

Cip2 チプのへさきには、模様が彫刻されています。

Iutap1 イユタプ(ばったり=水力を利用した精穀機)。
穀物を搗いて、殻を取ったり、粉にしたりしたものです。

Iutap2 イユタプの「かけひ」仕掛けの部分。
これは再現したもので、現在実用に使われているものではありません。

Pu_heperset 手前は、プ(高足倉=食料庫)。
奥は、ヘペレセツ(子グマを飼うおり)。

おしまいです。
何で、チセの中で撮った写真、黒かったのでしょうか。カムイに対して、何か失礼でもあったのでしょうか。

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オオウバユリ

平取アイヌ文化保存会の技能伝承講座で「トゥレップ(オオウバユリ)加工、保存」という催しがあったので、参加してきました。

Trep1 これが、オオウバユリです。根元の鱗茎を利用します。

Trep2

樽の中で鉈の背で搗いて潰しました。臼と杵でやってもいいです。

Trep3_2 水を加えて、ざるで濾して、液は、沈澱させて、でんぷんを取ります。

Trep4

ざるに残る、繊維が多く含まれるほうは、フキの葉っぱでくるんで、

Trep5 さらにヨモギの葉っぱでくるんで(ヨモギには、防腐効果があるそうです)、土に埋めて、発酵させたのち、乾燥させます。食べるときは、煮戻すそうです。

Trep6_2

でんぷんも、発酵乾燥させるほうも、すぐには食べられないので、オオウバユリの鱗茎を、茹でて、潰して、つなぎに市販のでんぷんを入れて、捏ねて、食べやすい大きさに丸めて、マーガリンを引いたフライパンで焼くという、北海道の料理「いも餅」(「いも餅」は、ジャガイモでつくります)式に調理して、食べました。繊維は、今回は庖丁で刻みました。
食べやすい、爽やかな風味です。繊維を含むので、腹持ちがいいです。 

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6月

6月になりましたけれど、まだストーブ焚いています。北海道は、まだ寒いです。氷点下になっている地域もあるそうです。
(例の老人ホームの)直まきの陸稲は、ぜんぜんだめです。草のほうが強いです。また、プラグ使いましょうか。
ご近所の視線のプレッシャーに負けて、自宅まわりの草刈りをしました。というか、ほとんどお隣さんに刈り払い機で刈ってもらいました。タンポポって、きらわれ者なんですねえ。
庭では、プランターのサクラソウを地面に降ろしました。鉢で冬越ししたラベンダー、カモミールなんかが伸びてきています。ダメ元で、アーティチョークの種をまいてみました。トルファン種のアサガオと、亜麻も。

1992年(原書は1989年)に出たアンナ・ブラムウェルの『エコロジー』を読んでいます。別記事で感想を書くつもりでいます。
福島の原発の事故以来、ドイツでも日本でも、「エコ、エコ」な、浮ついた気分が勢いづいているようですが、エコロジーの思想的源流や諸展開をたどると、それは西欧的な、非常に特殊な文化であることが分かります。
この本を読むことは、自分(たち)がその影響下にある文化を批判的に引きはがす作業となるので、けっこう痛みを伴います。

きょうは仕事がお休みなので、自動車の調子悪いところを直しに、苫小牧まで行ってきます。畑をやめたので、軽トラでなくてもいいのですが、買い換えるためのまとまったお金がないので、直し直しごまかして使っています。
何にしても、田舎では自動車は必需品です。職場へ通うのにも、買い物などの用を足すのにも、何十キロも先まで行かなくてはなりませんし、わが平取町には鉄道がありませんから。
東京にいたころは高い家賃のために働いていたような感じでしたが、北海道の田舎では自動車(と冬の灯油代)のために働いているような感じがします。

学校の「単位」が足りない悪夢を、なぜかいまだに見ます。前の学校を「卒業見込み」で進学したけれど、じつは卒業できていなかった、みたいな。
東京でビル内清掃のアルバイトをしていたころ、仕事仲間に、「自衛隊に入りたいので、保証人になってほしい」と言われて、名前と住所を教えたことがありました。直筆でないし、「田中」の判もその人が用意するとのことで、いざというときに保証する意思のない「保証人」でした。
その人からは一度だけ、「広島の何とかいうところに配属になって、頑張ってやっている」みたいな葉書がとどいたことがありました。
学生がほしい学校、働き手がほしい職場では、卒業証明や保証人なんて、いいかげんでいいのですね。学歴詐称とか、野暮なことを言う人はいません。
わたしの最終学歴は、6年前に卒業した、深川市にある、農学系の短大です。今は、学校ではありませんが、近所の生活館(公民館のような集会所)で月に2回ほど開催される、アイヌ語用語の講座に通っています。
超低空飛行な生活ではありますが、何もごまかしてはいないつもりです。なのに、追われるような、暴かれるような夢を、ときどき味わうのは、なにゆえでありましょうか。

想像上のキャラクターだと分かってはいるのですが、ダメダメな人を優先して救ってくれるらしいという阿弥陀仏なる人(?)の優しさを思うことがあります。

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