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忠誠の誓い

「忠誠の誓い」で、検索していただけましたか。わたしが見たのは、西森マリーさんの、「アメリカン・カルチャーを知る英語講座 6」というページです。http://www.eigotown.com/eigocollege/marie_english/backnumber/marie_english06.shtml

西森さんの訳による「忠誠の誓い」をまず、ご紹介しておきます。

「私はアメリカ合衆国の国旗と、その国旗が象徴する共和国、神のもとに統一さ れ全ての人々に自由と正義が約束された不可分の国に忠誠を誓います」

アメリカの公立小中学校や幼稚園では、毎朝、生徒がアメリカの国旗、星条旗に向かって右手を左胸にあて、この「忠誠の誓い」という文句を唱えているのだそうです。毎日ですよ。幼稚園からですよ。アメリカの学校でこれを唱えることは、19世紀にはじまって、20世紀中続いて、21世紀の今日でも続けられている、長い伝統です。

わたしが、マッキーこと、牧野時夫の「えこふぁーむ」のサイトを二度と見たくない、と思う理由は二つあるのですが、その一つが、この「忠誠の誓い」にかかわっています。キリスト教が自由と平等をもたらすのであれば、これをどんどん広めるべきだ、という意味のことを、牧野は言うのです。建て前で自由と平等と民主主義と正義を言いながら、本音=現実で徹底的に差別と不自由と侵略をやっているのが、神の国アメリカではないですか。それを百も二百も知っていて、いけしゃあしゃあと建て前を繰り返すのが、わたしには許せません。
もう一つの理由は、アナーキズムはすべての権威に従わない思想で、唯一絶対の権威に従いながら、アナーキストであることはできないと、フランスのアナーキストのポール・ルクリュもそう言っている、とわたしが何度も言っているのに、牧野は、理由も示さずに、思い出したようにアナーキストを自称することを繰り返すのです。アナーキストがかっこいいと思っているのでしょうか。

牧野の「えこふぁーむ」のサイトでは、もう対話はできないと、わたしは判断しました。うそも100回繰り返せば真実になるとでも、牧野は思っているのでしょうしょうか。あのサイトは、キリスト教プロパガンダのサイトです。矛盾だらけです。洗脳されたくなければ、見ないほうがいいです。わたしは見捨てます。

神の国アメリカは、ブッシュが言ったように、クルセード(十字軍)の意識で戦争を仕掛けます。国際法も国連も無視です。アフガニスタンもイラクも、かつてはアメリカが支援していた国ですよ。それを、自分たちの都合で、くるっと「悪」にして攻撃しだす。むちゃくちゃなのです。
日本も、戦争補償もしないで、アメリカの庇護の下に世界第二位の経済大国にまでなったのですから、アメリカと同罪なのですが、いい国に生まれかわるも何も、民族として滅んでしまっては話になりません。キリスト教は、キリスト教を受け入れない民族を、本当に殲滅してきた歴史があります。そして今、日本民族は、政治経済のルールのアメリカ化(グローバリズム)によって、つぶされかけていて、弱者は悲鳴をあげています。

人は死にますし、民族もいつかは滅びます。ですけれども、死ぬまで、滅びるまで、当たり前に生きたいという思いは、正当なものだと思います。わたしは、自分が信じる当たり前さを実現しようとしながら、最後まであきらめないで、生きていようと思います。

宗教法人・日本テーラワーダ仏教協会の関西精舎建設に、匿名で寄付をしました。釈尊直伝の仏教が続いてほしいという思いからの、貧者の一灯です。匿名にしたのは、寄付者の名前と金額を精舎にかかげるプレートに彫ると聞いたので、金額が少ないので恥ずかしいという、つまらない自己意識からです。反省しています。
いつかは死ぬ、滅びる、ということを前提に、他をけとばして生き残るのではなく、生き方として、間違っているものにどのように抵抗できるかが、これからのわたしの課題になるのだと思います。キリスト教批判は、これからも続けていきます。

【関連記事】
矢部正範・右京零『爆笑トリビア 解体聖書』コアラブックス

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理念」カテゴリの記事

コメント

発見!(笑)

誓いの解釈が自己都合解釈になっておられます。建国の精神と憲法の機能性が忠誠の誓いになっているのであって、国を維持するという意思に開かれるための訓練と動機付けが主な目的。

また、自由と平等は複数の人間或いは国家の関係性であって、それ以上でもそれ以下でもありません。キリスト教は西欧の歴史の中でギリシャ哲学とスコラ哲学との系譜を受け継いでいるのですからあくまでも登場人物として捕らえるのが適当かと。

と言いますか、自由と平等は全体主義に開かれているんです。ですから民主主義では小数が多数に従うという形態に鑑みれば全体主義の一形態とも言えるわけです。米国の横暴を支えているのは自由です。キリスト教はそれを補完している要素のひとつでしかありません。

米国やキリスト教と戦いになられるのは構いませんが、それと特定個人の抱える矛盾とを結びつけ一個人を叩くことがどんな意味を持つというのでしょうか。

今は亡き相馬先生の歩んでこられた軌跡に思いを致せば、キリスト教ですとか米国うんぬん以前に今一度思いを巡らせてみるのも一興かと存じます。私事で恐縮ですが、地方自治土曜講座で熱く語られる先生の姿を思い出すと身の引き締まる思いがいたします。

と言いますか、よもぎ入れ過ぎだと思ふ。

投稿: Yabukogisky | 2007年5月13日 15時23分

わたしの記憶では、イギリスとアメリカには成文憲法はなかったと思いますけど。何か最近イギリスが憲法を作ろうかとか言っているとか聞きました。
忠誠の誓いは洗脳以外の何物でもないでしょう。アメリカ文化の洗脳性をあげたら、きりがないです。何を「発見」したって?

平等は、神の下の平等から来る観念です。人間個人をゼロにする抑圧です。自由は、神に対してだけへりくだる、他の人間に対する傲慢・勝手のことです。
民主主義は、あなたの言うように、少数が多数に従うのではなくて、現実は、ごく少数がメディア・コントロールによって、多数を従わせる方法になっています。

キリスト教を廃絶して、相互扶助の精神を復活させれば、世の悲惨のおおかたは解決します。

文句があるなら、あなたが代理で来るのではなくて、牧野本人が来ればいいでしょう。わたしは、あの人のわたしに対する不誠実な態度があったから、見棄てたわけですから。

わたしは、キリスト教批判(それが生起する原因とプロセスを理解することによって縁滅すること)は、やめませんから。それは、わたしが死ぬまで当たり前に生きるために必要なことであるからです。

相馬暁先生の仕事は、知ってますよ。それをまとめる手伝いもしましたから。ただ、彼の失敗は、これは、わたしのまわりの人はみんな言うのですが、運動のあとを継ぐ人材を育てなかったことです。拓殖短大なんか、火が消えたようです。学生を募集しても定員割れですし。高井さんには、わたしがつらい立場だったときに、援護してもらったことがありましたけど、彼女は相馬先生とは活動領域が違いますから。

投稿: 田中敬三 | 2007年5月13日 16時25分

失礼しました。冗談は通じないですね。検索してあなたのブログを見つけたという一表現です。

それと、「機能性の問題」ですから成文憲法であるかどうかは別の話です。以前牧野さんの掲示板にも書きましたけど。見る訳ないか(笑)。

>キリスト教を廃絶して、相互扶助の精神を復活させれば、世の悲惨のおおかたは解決します。

ジュノサイドとジュノサイドの応酬とならないことを祈るばかりですが、相互扶助も洗脳に近いかもしれませんよ。共同体のベースは人々の関係性の積み重ねですから。その精神を復活させるには営みを続けることでしか賄えませんよね。相互扶助だと思ってもなかなかこれがどうして、何れ機能性に注視する必要が出て来ると存じます。

尚、営みの積み重ねの中にこそ悲惨さを軽減する道があるのではないだろうかと、私はそう考えます。

>文句があるなら、あなたが代理で来るのではなくて

代理ではないんです。頼まれたわけでもないんです。牧野さんの立場のためにもそれはご理解頂きたいと思います。また、文句を述べているわけでもありませんよ。つまり、田中さんにとっても牧野さんにとっても余計な節介でしたね(笑)。

心配するというのは難しいものだ。

投稿: Yabukogisky | 2007年5月13日 18時58分

言葉や発言の本質が解らない人だね。
勝手な自己解釈ばかりしてしまう細胞なんですね。

サイト見てみたけど牧野さんは
建前でキリストの言葉を広めた方が良いなんて 言ってないでしょ。w
本当にソレで良くなるもんなら広まって欲しいと皮肉ぽく言ってるわけだ

わかるか馬鹿者

投稿: 佐藤 | 2011年6月27日 00時19分

佐藤さん、はじめまして。

【関連記事】でリンクした「矢部正範・右京零『爆笑トリビア 解体聖書』コアラブックス」をごらんください。牧野時夫氏がキリスト教についてコメントしていますから。
それから、この記事の元になった、牧野時夫氏の「えこふぁーむ」での議論も、もし残っているのならば、ごらんください。どちらも、牧野時夫氏の主張が破綻して、「負けて」いますから。
うそだと思ったら、直接、牧野時夫氏にきいてください。そして、牧野時夫氏に、自分のブログではなく、わたしのこのブログのこの記事にコメントするように言ってください。牧野時夫氏がこの記事にコメントすれば、ここで議論をつづけてもいいです。

宗教が元で戦争まで起きるのです。宗教にかかわる発言をするときには、わたしはいつも、身の危険を感じます。佐藤さんのこのコメントは、わたしにもし何かあったときの証拠として、残しておきます。

投稿: 田中敬三 | 2011年6月27日 03時47分

身の危険?
論じるだけならなにもされないですよ。(笑)

私は
宗教の暗躍に支配され犠牲になった国の事実を広めて最終的に、優しい表現にしますがデモを起こそうとしてますよ。

あなたが想像するデモとは年代もビジュアルもまったく違うでしょう。

日本の若者は成長の過程で種族が別れる、
別れて行ったある種族の力の矛先を
今回、日本に危害を加えた世界宗教と政府に向けたら必ず歴史は変わる。

もし全員殺されて日本の行く末は変わらなくとも、世界にはそのまま伝わる。

首謀者達は
本当に抑えこまなければいけない種族を
抑えられていない。

日本は潰れゆく運命かもしれない、
だが潰れながら多くが叫べば世界の未来が変わる。

その途中に死者がでるかもしれない、それが私かもしれない。


勝ち負けにこだわり簡単に危険と口にするあなたは何者ですか?

投稿: 佐藤 | 2011年6月30日 02時39分

佐藤さん
あまりにも世界観が違うので、議論しても、生産的な答が見つかるとは思えませんね。
殺さなければ殺される、みたいな、血で血を洗う闘争を続けてきたユダヤ・キリスト教の世界と、その世界観を折衷的に受け入れつつ、なんとか生き延びてきた日本教といいますか、多くの日本人の根柢にある、暢気な、穏やかな心性との落差は大きいのです。

牧野時夫氏との「勝ち負け」に、わたしは全くこだわっていません。牧野時夫氏が、同じことをぐるぐる言い続けて、議論にならないので、めんどくさくなって、引き上げてきただけです。

このブログの「戦争について」という記事にも、牧野時夫氏はコメントをつけてくれています。よろしければ、ご参照ください。
http://saibai.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_305f.html

投稿: 田中敬三 | 2011年6月30日 05時36分

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