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なぜわたしは無肥料栽培を目指すのか

このブログの右の段の「栽培生活の注目サイト」の中で、おふたり、無肥料栽培を実践されている方をご紹介させていただいています(「サユールイトシロ・エキスプレス」と「自然農あぐりーもの菜時記」)。無肥料栽培されている方は多いのですが、ブログを持っていて、わたしのブログにもコメントをいただいている方をご紹介させていただきました。
わたしも、無肥料栽培を目指してはいるのですが、現実には、米ぬかや貝化石や厩堆肥などを投入し続けています。この機会に、なぜ自分は無肥料栽培を目指しているのか、それにもかかわらず肥料を使い続けているのはなぜか、ということについての考えを、まとめてみようと思います。

わたしは、食料の自給を目指しています。食べ物は、生きていく上で一番大切なもので、それを自分で作ることによって、生きていく感覚をはっきり持つことができますし、人びとの助け合いの感覚をよみがえらせることもできると思います。
食料の自給には、国・地域・個人といったレベルの違いがありますが、個人の自給が基本になると思います。すべての人が食料生産にかかわるようになるといいと思います。個別の理由で食料生産にかかわれない人は、地域の助け合いで補うようにします。

植物が育つためには、肥料分が必要です。作物を作るときに、無肥料栽培でない場合は、畑の外から持ち込んだ肥料を、畑に投入します。この肥料分を、畑の中で自給しようとするのが、無肥料栽培の基本的な考え方だと、わたしは考えています。
作物の「わら」や「もみがら」や「ぬか」の部分を畑の外に捨てるのではなくて、また畑にもどす。そうすることによって、肥料分が循環するのです。沢水に溶け込んでいる養分や、野生動物のふんや死がいも、肥料分を提供します。マメ科の植物は、根粒菌と協働して、空気中の窒素を土の中に固定します。
このように、畑の外から持ち込むものを極力へらして、肥料分を自給させようとするのが、無肥料栽培の基本です。

無肥料栽培は、肥料分の持ち出し・持ち込みをしませんから、地域単位での肥料分の欠乏・過剰が起こりにくくなります。日本は、畜産用の飼料を含めて、食料輸入過剰で、結果的に地域内の土の中の窒素が過剰になっています。一方で、食糧輸出過剰の地域では、窒素欠乏を起こしています。
化学肥料は、肥料分不足を補うものですが、化学肥料を作るためには、鉱物資源を必要として、また製造のためのエネルギーも大量に必要とします。それらは有限のものであって、いつかは、掘りつくしてなくなってしまうものです。また、肥料分の不足は補えても、過剰を解決することはできません。

特に日本に限定して考えると、輸入資源なしには化学肥料の製造は、ほとんどできません。日本の農業は機械化が進んでいますが、機械の製造・燃料が供給されなくなると、日本の農業は立ち行かなくなります。日本の食料自給率は40%あると言われていますが、それを支えるエネルギーの自給率がゼロに等しいのですから、この40%という数字も、実質はゼロに等しいのです。
国民の安全保障の意味からも、肥料分の自給には意義があるのです。

田畑の肥料分の自給を考えるときに、刈った草を積み重ねて堆肥にするのは、有効な方法です。マメ科の植物(クローバーやアカシアなど)の植え方にも工夫が必要でしょう。できた作物として持ち出される土の中の成分は、何らかの形で補われるように考えなくてはいけないでしょう。
効率のいい循環体制ができるまでは、畑の外から一定量の肥料を持ち込む必要もあるかもしれません。

わたしが今やっている畑は、10年以上使っていなかった畑で、草原になっていたところです。野生の草は、肥料分の少ない土でも成長できる、たくましいものばかりです。そこに作物を植えて、それらたくましい野草に飲み込まれないで、生かしていくには、人間が介入して、働きかけなくてはいけないのです。それが栽培活動です。場合によっては耕し、肥料を与え、水を与えます。
自然の法則を生かして、最小の介入で、有用な植物を得られるようにしたいと思っています。

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コメント

ご紹介いただいて有難うございます。
今更ながらですが、こちらにもリンクを張っておきました。
無肥料栽培や自然農法とやり方は色々あるようですね。
僕のように無肥料&無堆肥&不耕起&草生栽培で比較的何もしない派
無肥料&無堆肥だけど、管理はキッチリ派。

今のところ後者のキッチリ派のほうが、収穫量は多いように感じています。

では何もしない派は・・・今のところ不安定なようです。
でも何か起こってトラクターや近代農業資材が使えなくなった時! 前者の方法が確立されていれば、これはかなり強みになるような気がします。
と言うか、近代農機具がなければコストもかからない!!

と、ちょっと強がってみました。
(収量が欲しいです。。。)

投稿: 耕作人 | 2007年7月26日 17時33分

耕作人さん

畑の外からの持ち込みを極力ひかえながら、地域内の自立を達成する、というのが、わたしにとっての当面の目標になりそうです。
アズキとダイズは、不耕起・無肥料でも作れましたが、ほかは、むずかしいです。
「不耕起・無肥料」という目標は、歩む方向を教える、空の星のようなものだと、現在のわたしには、感じられます。


「コストがかからない」というのは、負け惜しみのように取られがちですけれど、これこそ、だれにも奪うことのできない、最高の利点なのだと思います。食べる物さえあれば、あとはどうにでも、すきなように生きていけますから。

投稿: 田中敬三 | 2007年7月26日 19時46分

無肥料栽培の利点はいろいろありますが、その1つは”わかりやすいこと”です。

農業という仕事はやること自体は本来シンプルなのに現在は就農することだけでもかなりハードルが高いです。
しかも肥料設計や農薬に関する知識や”技術”などいろいろあります。

でも無肥料栽培という発想はこのあたりの概念を一掃して、きわめてシンプルな発想に立ち返らせてくれます。
何も入れないから分かりやすい。
『自然に聞く』『自然に任せる』という発想は精神的な深みも思わせますが、反面誰にでも、すぐにでも出来るという気軽さもあると思います。


もっとも、この話と収量が多い少ないとかはまた別問題ですけどね・・・。

投稿: サユールイトシロ | 2007年7月26日 23時10分

サユールイトシロさん

無肥料栽培が、と言うよりは、栽培活動自体が、本来、非常にシンプルな行為なのではないかと思います。

機械化とか、農薬や化学肥料は、農産物を工業製品のように量産する発想で作られています。人間には、農産物を量産する欲求は、もともと存在しません。量産は、「させられる」ものなのです。
自らは食糧生産をしない都市と、自分では食べられない食料を量産させられる農村との対立構造が現れてきます。

食料危機というのは、社会の存立構造に無理があるから、起こるのです。ですから、自然農で作れる作物で生きていける社会を作れれば、何も問題もなくなるのです。
まず、自給を達成して、作物が余ったら、それを交換して、より豊かになる、という順序が確認されなくてはいけないと思います。

食料の自給(外部からの持ち込みなしで作れる、という意味での)は、自由・自治の基礎だと思います。

投稿: 田中敬三 | 2007年7月27日 11時04分

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