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「戦争について」

11月30日のエントリーで、日本の農業がおかれているきびしい状況を生き延びるためにも、アメリカ人の集団の無意識を通して大きな影響を与えている、ユダヤ・キリスト教文化について、批判的に考察しなければならないことを言って、さらにコメントで、ニーチェ、フロイト、マックス・ヴェーバーなんかを勉強しなくては……と、自分で課題を定めたのですが、なまけもので、まだ1冊も読んでいません(一応、買ってはあるのですが……)。で、とりあえずきょうは、このあたりの諸般の事情の総責任者である、「聖書」の言葉を引用して、問題提起に替えたいと思います。とりあえず、です。すみません。

「聖書」の中に、「戦争について」という見出しがつけられた文があるのを、皆さんはご存じでしょうか。本当に、こういう見出しがついているのですよ。「聖書」を持っている方は、確認してみてください。引用しますね。

戦争について

 ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられる敵の分捕り品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業(しぎょう)として与えられたる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあたなたちに教えて行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。
新共同訳聖書 申命記 20.10-18)

以上の内容を一口に言ってしまえば、神によって下された、「異民族(異教徒)は、これを滅ぼしつくせ」という命令です。近くの国を攻めたら、必ず滅ぼしつくさなくてはならない、と。なぜなら、異教の神を信じないようにするためだ、と。そして、遠くの国は、降伏すれば、全員奴隷にして強制労働、降伏しなければ、男は皆殺しにして、女、子ども、家畜その他の財産は、ぶんどって、すきなようにしてよろしい、と、そういうことです。これが、「聖書」が教える、戦争のやり方です。
内政干渉をして、法律を変えさせて、食料を人質にして、自分たちの利益をごり押ししてくる相手国民の、そのメンタリティを規定するのに絶大な力を及ぼす宗教文化が、どのようなものか、理解しておくのは、絶対に必要なことです。
「聖書」を読めば、神が人間を、大量に、残虐に、殺しまくっていること、殺せと命令しまくっていることが、はっきりと書いてあります。このような血なまぐさい「聖書」を拠り所にする宗教が粗暴な性格になるのは、なんとも止めがたいものです。ユダヤ・キリスト教を、「愛と平和の宗教だ」などと言うのは、「聖書」のごくごく一部の表現だけを取り出して、極端に歪めた解釈だとしか、わたしは思えません。素直な気持ちで「聖書」を読めば、その暴力性は、明らかです。
だから、ユダヤ・キリスト教徒をやっつけちゃえ!などと言い出したら、向こうと同じレベルになってしまいます。病気は治療するべきなのであって、病人をいじめるのは、お門違いです。ユダヤ・キリスト教徒の皆さんが患っている病気を、彼らに自覚してもらって、どうやったら無害化していくことができるか、その道筋を、みんなで知恵を合わせて、考えていこうではありませんか。

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コメント

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。

戦争の起源とその時人間の意識はどのように変化したのか…というのは以前から興味が尽きないテーマです。

そもそも人類の歴史が500万年だとしたら戦争が始まったのは6500年前くらい。人類史の99.9%は戦争なんかやってなかったということです。

「人類が戦争するのは本能で仕方ない」という言説をよく見かけますが、そんなのは大嘘ということですね。

http://juku.rui.jp/ruijnet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=32423

この子供向け掲示板サイトはなかなかおもしろい事がたくさんかかれていますよ。

今回も勉強になりました。ありがとうございます。続きを期待しています!

投稿: 雅無乱 | 2008年1月10日 19時27分

雅無乱さん

「戦争の起源とその時人間の意識はどのように変化したのか」……確かに、興味尽きないテーマです。これが分かれば、逆に、戦争をやめさせるヒントが得られるでしょう。
トラックバックのほうも、拝見しました。
思うんですけど、同一種族の中で強い個体と弱い個体とがあって、その間に一定の秩序ができる、ということはふつうにありそうですよね。その際、強い・弱いの関係(序列)が認識されれば、それ以上の暴力は必要ないはですよね? ジェノサイドというのは、この関係がうまく認識されないときに起きるのではないかと思います。とりあえず勝ってしまったけど、自分が強いという実感というか、自信がないので、相手を生かしておいたら、いつか仕返しされるか分からないから、えーい、皆殺しにしてしまえ、と。岸田秀さんが言っているみたいに、しいたげられてきた人たちが権力を持ってしまうと、とことん残虐になってしまう、窮鼠猫をかむ、みたいなことになるのでないかと思います。
分かった、分かった、あんたは強いよ、だから、もうちょっと大人になりなよ、みたいな感じになってくれないかなあ、アメリカは、って、思いますけど。やっぱり、共感力を育ててあげないといけないのでしょうね。ほんとに、根の深い問題です。

投稿: 田中敬三 | 2008年1月10日 23時31分

聖書の中には、多くの矛盾した思想があります。申命記の思想は、ユダヤ教の選民思想の最たるものですが、同じ申命記の十戒では、神は殺すこと、盗むこと、隣人の家をむさぼること等を厳しく戒めています。もちろん、この隣人にユダヤ人以外が含まれていないことが、問題であるわけですが・・・
 イエスは民族差別思想を否定しました。イエスは異邦人や差別された者こそ隣人であると語ったのです。そこからキリスト教は世界宗教となったのですが、新約聖書の中心的な思想家であるパウロは、その選民意識を民族ではなくキリスト教徒におきかえただけであり、必ずしも選民意識の超克にはなっていません。しかし、福音書に示されたイエスの生き方を見れば、選民意識そのものを否定していることは、明らかです。キリスト教徒だけが救われるというような思想は、イエスにはありません。
 暴力的な神は、ユダヤ・キリスト教に限りません。古事記、日本書紀を読めば、そこにはすさまじい暴力があります。

投稿: マッキー | 2008年1月11日 08時06分

「イエスは民族差別思想を否定しました」ってのがほんとだったら、ユダヤ教の神じゃない、別の「民族差別的でない」神を信じているはずで、そうならなかったのは、イエスが、彼自身が持っている、ユダヤ教主流派からのズレの意識を、「しいたげられた人たち」の中にあるルサンチマンと、うまい具合にリンクさせて利用したかったからなのでしょうね。イエスは、現代で言えば過激派みたいなもので、合法・非合法の境界線ぎりぎりを行き来して、目立とうとしているだけなのですけれど、たまにそれが「しいたげられた人たち」にウケたりしたので、調子に乗ってパフォーマンスを続けていったわけです。もし別の「民族差別的でない」神を立てたりしていたら、誰にも信用されなかったでしょう。イエスは、ユダヤ教の制度の内側(ぎりぎり端っこ)でしか生きられない。いわば、「万年野党」みたいなもので、多数派にはなれません。彼の信仰では、世界宗教になんか絶対になれなかったでしょう。ただの「変人」で終わっていたのではないでしょうか。キリスト教が権力をにぎるようになるには、パウロ式の、あめとむちによる統制が必要だったのです。
で、「古事記」にも「すさまじい暴力」があるし、「聖書」だけじゃないもん、ですって?? 冗談でしょう? そんな言い草、「古事記」と「聖書」を、両方読んだ人には、全然説得力を持ちません。「聖書」の暴力は、桁が三桁も四桁も違います。火山・疫病・洪水でジェノサイドなんて、「古事記」にはないでしょ? 悪いことも何もしていない息子を、いきなりいけにえに差し出させたりとか、する? わたしには子どもがありませんが、もしいたら、こんな理不尽な命令は、拒否すると思います。
こんな「聖書」を拠り所にする人たちが、アフリカで、アジアで、南北アメリカ大陸で、オーストラリアで、どれだけの国・民族を絶滅させてきたか、それを思うと、恐ろしくも、悲しくなります。
「聖書」の中の、時流に合いそうなフレーズだけを抜き出してきて、ねじまげて読むのではなくて、素直に全体を通して読んでみてはいかがでしょう。あなた、「聖書」の何%ぐらいを読んだのですか。

投稿: 田中敬三 | 2008年1月11日 11時06分

 大変興味深く読ませて戴きました。この前の議論の続編ですね。

 私は聖書は読んだことがありません。Bible と Testament の違いも分かりません。
 しかし、聖書に、ご引用の「戦争について」のような文があるとは凄いですね。オウム真理教を想起しましたが、これはカルトではなく、歴史的に様々な国の宗教となってきたのですから危険です。
 キリスト教徒というか、欧米人の選民思想は、彼らの言動にもよく表れていますが、

>「異民族(異教徒)は、これを滅ぼしつくせ」という命令

は、昔から戦争を繰り返してきた欧米人が学んで来たものなのでしょうか?

 でも、彼らの蛮行は、アメリカ大陸の略奪もイラク派兵も、民族的なトラウマ、残忍性だけではなく、自分達の利権が絡んでいます。残忍性と言うよりも、相手に対する思いやりよりも自らの利権のを優先するというエゴイズムみたいなものでしょう。

>分かった、あんたは強いよ、だから、もうちょっと大人になりなよ

なんて事では全く解決にはならないでしょう。(勿論言い方は別でしょうが・)

 それらを止めさせるのに、彼らが虐待されてきた何代も前からの歴史を認識させると言うような回りくどい事よりも、直接現在の行為について客観的に議論したほうが有効でしょう。彼らのプライドは高く、原爆を落とすくらい軽く見ている民族からのそんなサジェスチョンに振り向かせるのは大変でしょう。
 
 アメリカは価値観は実に多様で、
ああ見えて、かなりの自浄作用が機能します。日本よりも機能している部分が多いでしょう。勿論それだけでは不十分ですが。

×××× ×××× ××××

 差し当たって、日本や他国に対する農産物の補助金つきの輸出を何とか阻止したいですね。WTOの有り方とかももっとなんとか・。

 アメリカの政府の戦略にはアメリカの農民も苦しんでいますね。

投稿: 雑草Z | 2008年1月12日 13時31分

雑草Zさん

粗雑な文にお付き合いいただき、ありがとうございます。

彼らは「唯一絶対の神」という言い方しますでしょう? 異質なものに対する強烈な拒絶感があるのです。ほどほどに付き合って共存する、ということができない。ですから彼らは、世界平和というのは、世界がキリスト教的秩序で覆い尽くされることによって、初めて実現すると思っています。

こういうかたくなさは、殺すか殺されるか、というきびしい歴史を経験する中で形成された民族性なのでしょう。それが宗教文化という民族をまとめる共同幻想として固定化されて、維持されてきたのだと思います。

アメリカ人は、価値観が多様というのは、多様な考えの人がいるのではなくて(ゼロとは言いませんけど)、面と向かって英語で話してくる人には、人格として扱って対応する習慣があるのですけれど、「異民族は薄汚いサルだ」という発想も、無意識に近いところに厳然としてあって、それが本人たちに矛盾と感じられないままに共存している状態なのだと思います。

こういう、凝り固まった心を、どう解きほぐすか、というところが、悩ましい問題です。

×××× ×××× ××××

補助金が付いているかどうかにかかわらず、食料の輸入を阻止したら、日本国民が餓死しますって! 阻止の前にしなくてはいけないことは……
今年、農業者たちから来た年賀状で、「売るための農業をやめて、自分たちが食べるための農業に切り替えます」と書いてきた人たちが何人かいて、いよいよそういう時代に突入したんだと、感じました。
気づいた人から自給をはじめる、ってのが、わたしの答えです。

投稿: 田中敬三 | 2008年1月12日 21時42分

>食料の輸入を阻止したら、日本国民が餓死しますって! 

ハハハッ そうですね。ここでの意味は、徐々に阻止していって、早く日本の自給率を高めましょうと言うことです。このままアメリカに食料という首根っこを抑えられていたら、いざと言うとき大変ですし、アメリカからの輸入も当てにならなくなってますし・・その前に何とかすべき・・と。理想論的にはなりますが・・。


>年賀状で、「売るための農業をやめて、自分たちが食べるための農業に切り替えます」

彼らの感覚は鋭いですね。本当にそういう時代に突入ですね。・・・それに比べ政府の対応の生温いこと。

>気づいた人から自給をはじめる、ってのが、わたしの答えです。

 なかなかいいお答えです。でも、実際食料難になったら、政府が食料を持っていってしまったり、田畑から盗んで行く人も増えるんでしょうね。今でさえ田畑の泥棒が横行しているのですから・・・動乱になりましょうか?

×××× ×××× ×××× 

 他の人のコメントに対するお答えで、
人間イエスの策略と言う観点からの考察も面白く読ませて戴きました。

投稿: 雑草Z | 2008年1月13日 01時07分

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今日は、長崎に原爆が落とされた日…。 日経新聞の夕刊では、代表演説で「核開発が懸念される北朝鮮(イランも?)を名指しで非難した」なんて書いてあるけど、核を拡散させず世界の覇権を独占したいアメリカのプロパガンダにまんまと利用されることはなかろうに…と思うのだが。 それよりも、核兵器を人間に(しかも民間人に無差別に)使用した唯一の国(広島原爆での死者24万7000人、長崎原爆での死者15万人)、その事を正当化して一切の謝罪をせず、被爆者を研究のサンプルとして平気で使用し、被爆者への保障を日本政府に押... [続きを読む]

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