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2008年3月

クライブ・ポンティング『緑の世界史(下)』(石弘之ほか訳、朝日新聞社)

クライブ・ポンティングさんの『緑の世界史』を読んでいます。前回の上巻に続いて、今回は下巻です

第11章「死の変遷」
この章のテーマは、人類と病気の関係です。農業と関係があるのは、住血吸虫です。潅がい用水路に繁殖する巻貝が宿主です。焼畑による森林破壊で増えたのは、マラリアです。森林破壊が原因になったとされる病気には、ヨーロッパに壊滅的なダメージを与えたペストもあります。
死因と社会のあり方を考えることは、人口について考えることにつながります。伝染病を減少させる主要な原因は、栄養と環境の改善だと、ポンティングさんは言っています。そしてこれは、貧富の差によって健康状態が左右される理由にもなるのです。

第12章「人口圧力」
ポンティングさんは、人口が増えたから、食料需要が増えて、それに対応して、農業の機械化・集約化が進められた、近代的な農業が発展してきた、という因果関係で説明していきますが、このへんは、わたしは、異論があります。狩猟採集民の社会では、人口が増えすぎないようになっていました。自然環境との関係の中で、民族文化の中に、人口を調整する仕掛けを持っていたのだと思います。こういう文化が破壊されて、食糧を与えれば与えただけ増える、機械のような存在におとしめられてきたのが、人口増加の主役と言っていい、低開発国の姿だと、わたしは思います。人口増加は、飢餓とセットになってあらわれます。食料の増産と飢餓とによって、人類の人口はコントロールされてきたのだと、わたしは思います。誰がコントロールしてきたか? 食料増産によって利益を得る人たちです。機械・肥料・農薬・多収穫品種の種苗の生産者。ほかにも利益を得る人たちがいます。人口は、労働者であり、消費者であり、兵力です。また、飢餓に苦しむ最下層の人たちは、階層社会を安定的に存続させるためにも、必要とされます。人口増と飢餓は、それが必要とされたので、つくられてきたのだと、わたしは思います。
『緑の世界史』を読む、というより、わたし自身の意見を言いすぎましたが、問題の原因をはっきりさせることは、その問題を解決するのに、どうしても必要なことだと思いますので、このへんは、わたしとしては、こだわりたいです。
さて、食料増産のために、自然は食いつぶされてきました。アメリカで、オーストラリアで、アマゾン流域で、ソビエト連邦(当時)で、中国で、アジアの各地で、そして、アフリカで。農地開発が生態系に及ぼした影響を、ポンティングさんは、大きく4つに整理しています。森林伐採、土壌浸食、砂漠化、塩類集積の4つです。
潅がい計画の失敗としてあげられているのは、ソビエト連邦(当時)のアラル海です。潅がいによって、綿花や米を大増産しようとしたのですが、そのためにアラル海が縮小をはじめ、気候が変化して、一帯の自然は破壊され、人が住めなくなり、村は放棄されました。自然のしくみをよく理解していない人が、自然を改造しようとすることの危険さを、アラル海の失敗は、示しています。潅がい計画の影響を予測して、反対した科学者たちは、「自然決定論者」のレッテルを貼られ、マルクス主義に敵対する分子として、きびしく「弾劾」されたらしいです。最近のアラル海の衛星写真が、宇宙航空研究開発機構のホームページで見られます。

第13章「第二の大転換」
農業が、人類の文明の第一の大転換だとすると、第二の大転換は、化石燃料の開発です。最初は石炭がつかわれました。石炭がつかわれるようになった理由は単純で、ヨーロッパでも、中国でも、森林を切りつくしてしまったので、薪炭が不足したからです。
p.104 に、農作物の生産に投入されるエネルギーの話題で、中国や東南アジアの水田稲作は、投入量の50倍の収穫があるとありますが、現在の日本の稲作では、1倍以下になっています。米を食べるということは、昔は、太陽の恵みと、お百姓さんたちの労力を食べることだったのですが、今では、石油エネルギーを食べることと同じことになっているのです(松尾嘉郎・奥薗壽子『絵とき 地球環境を土からみると』(農文協)参照)。石油を輸入に頼っている現状で、石油がなくてはつくれない米を食べていて、わたしたち日本人は、自分たちの主食を自給できていると言えるのでしょうか。
森林を切りつくしたように、人類は、化石燃料も、つかいつくそうとしています。

第14章「都市の台頭」
この章では、世界各地で、都市が発達していった様子が描かれます。意外な印象を持ったのは、1800年ごろの江戸は、100万人近い人口があって、当時、世界最大の都市だった、ということです。『緑の世界史』の記述からは、はずれますが、江戸幕府は、日本各地から大名を参勤交代させて、その従者たちを、江戸という都市で養っていたわけで、壮大な無駄をやっていたわけなのですね。そういう無駄をやって、大名たちに蓄財させないことによって、日本全体の秩序が保たれていた、と考えると、贅沢(無駄)と貧困の共存こそ、社会の典型の一つなのかもしれない、とも思います。もっとも、それなら、最初から食料の過剰生産なんかしなければいいのにとも思えるのですが、それができないところが、人間の悲しい性質なのかもしれません。

第15章「豊かな社会の創造」
都市の形成が、貧困者を生んでいった様子が描かれます。また、工業生産の増大と、消費経済の進展が描かれます。貧富の格差は広がりました。この『緑の世界史』が書かれた1980年代後半ごろには、アメリカでは、人口の20%が慢性的に飢えていて、300万人が路上生活を送っていたそうです。その一方で、金持ちたちによって、富や地位を誇示するための消費がおこなわれていました。
国内的な貧富の差だけではなくて、国ぐにの間の貧富の差、いわゆる「南北格差」も、大きくなっていきます。いわゆる「開発援助」は、この格差を縮小できませんでした。それどころか、低開発国の社会的・経済的状態は、さらに悪化していきました。
たとえば、ひも付き援助。特定の援助国の会社の製品を買わせるために、資金を出す。あるいは、軍事的戦略的に意味がある国ぐにへだけ向けられる援助。世界銀行が出資した巨大ダム建設は、住民の土地を奪い、ダム湖が病気の温床となり、そのダムも、短期間で土砂で埋まりました。たとえば、中国の三門峡ダムは、4年で堆積物で埋まって、役に立たなくなりましたし、老爺嶺ダムなどは、何と完成前に埋まってしまって、建設が中止になったそうです。
低開発国に対する商業目的の融資は、債務国の財政を破壊しました。引用します。

 一九八〇年代には、援助は国際通貨基金(IMF)を通じて受けるのが一般的だったが、IMFは先進工業国に支配され、先進国中心の世界の貿易構造を継続、拡大させるものだった。IMFは、第三世界諸国が債務の利子を先進工業国の民間銀行へ、一定の条件で返済できるよう融資してきた。

要するに、援助というのは、開発の押し売りであって、自然を破壊するだけでなく、利子のとり立てによって、弱い国の財政を破壊するものでもあるのです。

第16章「世界の汚染」
この章は、環境汚染がテーマです。
農業とかかわりが深いところでは、アメリカのオガララ帯水層という地下水を潅がいにつかって、多くの地域で水がなくなってしまった、ということ。オクラホマ、テキサス、コロラド、カンザス、ネブラスカ州で耕作放棄地が広がっているそうです。
化学肥料と農薬による、水の汚染が進行しています。アメリカ、ハンガリー、イギリスで、地下水が汚染されているとのことです。硝酸塩の濃度が高くて、新生児に飲ませられないところがあるそうです。硝酸塩の汚染は、窒素肥料の影響ですね。これは化学肥料でなくても、有機の肥料、たとえば厩堆肥などでも、起こります。日本は窒素成分の輸入超過ですので、地下水が硝酸塩汚染される危険性が高いです。
鉱物採掘による汚染もあります。足尾銅山では、鉱廃が渡良瀬川に捨てられて、川の水を潅がいにつかっていた田畑が、鉱毒におかされました。
農薬使用による汚染もあります。農薬の成分には、発がん性のものも多く、農薬の使用によって年間2万人が死に、75万人が、深刻な健康被害を受けているそうです。農薬の被害では、残留農薬の影響を受ける消費者よりも、直接農薬を扱う生産者のほうが、はるかに深刻です。農地からその外の環境への汚染の広がりも、問題です。何せ、化学肥料や農薬は、つかわれる量が半端ではないので、大気、河川、そして海洋の汚染は、食物連鎖を通して、すべての生き物に甚大な影響を及ぼします。農薬を使わない農業も可能なので、そういう方法を普及させたいと思います。

第17章「過去からの遺産」
いよいよ最終章です。汚染と破壊と戦争と抑圧という、人類を主人公にした地球の悲劇を引き起こすきっかけとなったのは、どうやら、農業(栽培)だったようです。
20年以上前のことになってしまいましたが、わたしは、阿木幸男さんの「非暴力トレーニング」の講座を受講したことがあります。トレーニングの一つとして、いろいろな事柄を、暴力か非暴力かに分類することをやりました。多くの参加者は、「農業」を非暴力のほうに分類しましたが、わたしは、農業は暴力だと言い張ったのを思い出します。木を抜いて、小さな生き物たちが住んでいる地面を機械でかき回して、肥料や農薬を降りかけてする作業など、暴力に決まっています。北海道の観光ポスターで、広びろと広がる畑の写真をつかったものがよくありますが、開拓以前にそこに生えていた野生の木や草、自然の中で生きていた動物たちのことを思うと、畑の風景など、おぞましい以外のなにものでもありません。ぜんぜん美しくなんかありません。
農業によって食料を過剰に生産することができるようになった→人口が増えた→階級制ができた→都市ができた→戦争がはじまった→機械がつかわれるようになった→自然破壊にブレーキがきかなくなった……。こんなのが、おおざっぱな人類の歴史でしょうか。旧石器時代には400万人程度で安定していた人口も、増えに増えて、数十億人にまで達しています。限界まで繁栄した人類は、イースター島の文明のように、それを維持しきれなくなって、急激に崩壊するのでしょうか。
理屈の上では、わたしたち人類がとるべき方向性は明らかだと思われます。まず、開発・発展をよいことと考える考え方をかえることが、必要です。そのためには、利潤を追求する経済を解体していく必要があります。他人を利用しようとしなくなれば、人口を増やさせようとはしないはずです。狩猟採集民や、こじんまりと、つつましく生きてきた人たちの文化に学ぶといいでしょう。人間以外の生き物や動植物に敵対しないようにすることも必要です。そのためには、環境を破壊する工業を縮小していかなくてはいけません。人間中心主義の思想・宗教を、柔軟に無害化していくことも必要でしょう。富や地位を誇示するための消費をやめさせるる必要もあるでしょう。これは、ぜいたく品に税金をかけたり、累進課税を増やしたりすれば、簡単に実現できるでしょう。そして、これ以上の開発をやめさせて、砂漠化を防ぎ、年間500ml以上の降水がある地域には植林をして、森林を復活させる必要があるでしょう。
やったほうがいいことは、分かっているのですが、人間がどのぐらい愚かで、やらないほうがいいようなことばかりやりたがるか、ということも、よく分かっています。なので、わたしには、人類の明るい未来は、想像しにくいです。しかしまあ、人類の未来がどうであろうと、それとは関係なく、わたし個人としては、できる範囲で極力、こじんまりと、つつましく生きていきたいと思います。そういう生き方は、わたしが過去の文化から引き継いだものの一つなので、そう簡単にやめられるものではないのです。たとえそのようなあり方が、時流に合わなくて、人から笑われることになったとしても、です。

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クライブ・ポンティング『緑の世界史(上)』(石弘之ほか訳、朝日新聞社)

クライブ・ポンティングさんの『緑の世界史(上)』(石弘之ほか訳、朝日新聞社)を読みました。これは世界史の本なのですが、戦争で勝った負けたの歴史ではありません。「緑」が主人公の世界史です。自然と人間のかかわりとか、農とは何なのか、とかといったことを考えるためのアイデアが、ぎっしりと詰まっている、すばらしい本です。
本質に迫る書き方をしているのに、分かりにくい箇所がまったくない、読んで100%理解できる、というのがすごいで
す。こういう本を教科書にして、学校が中学生や高校生に教育をしてくれると、ものを考える国民が育って、日本も、もっといい国になるだろうになあ、と思います。
17年前に書かれた本なので、新しいデータは載っていません。そのへんは、自分で調べなおさないといけません。しか
し逆に、17年前の時点で、こんにち読んでも、大切と思われる論点をはずさない書き方ができている、という意味で、この本は、執筆された時代の流行を超えた、古典的な価値を有する内容を持っている、と言えると思います。
「栽培生活blog」おすすめ度:
★★★★★、です。

上巻は、10章あります。順を追って、感想を述べていきます。下巻も、読んでから、感想を述べます。

第1章「イースター島の教訓」
絶海の孤島、イースター島に、はじめてヨーロッパ人が来たとき、3000人ほどの島民は、草ぶきの小屋や洞くつで暮ら
し、乏しい食料を奪い合って、戦闘を繰り返していたそうです。その一方で、島には、平均して6mを超える、数十トンの重さの巨大な石像が600体以上散在していました。「モアイ像」と呼ばれる石像です。これらの巨大石像群がどのようにつくられ、どのように運ばれたかは、島民の惨めな生活状況からは、想像できないものでした。
じつは、イースター島には、高度な文明があったのですが、森林を完全に切りつくしてしまったのが原因で、その文明
が崩壊したのでした。木は、家の建築材料であり、調理の燃料であり、海に漁に出るための船を建造する材料であり、特にイースター島の人たちにとっては、巨大石像を運ぶときの「ころ」として利用されてきました。森林を切りつくしたことにより、土壌流出がはじまって、農産物の収量が落ちて、人口を支えきれなくなったのです。
森林の存在が、文明を支えていたにもかかわらず、イースター島の島民は、その大切な森林を切りつくしてしまって、
みずから、文明を崩壊させてしまったのでした。この、自然・天然の資源を「つかいつくす」ということは、人類が、現代に至るまで、繰り返しおこなってきたことです。現代のわたしたちも、「つかいつくし」に加担しているわけで、文明崩壊のただ中にいる、と言ってもいいと思います。人間というのは、文明が一度ある方向に動きだすと、その先に崩壊の危機があると分かっていても、やめられない、とまらない、かっぱえびせんみたいなことになるようです。イースター島の教訓は、生かされていないのです。

第2章「歴史の礎」
この章は、生態系についての基本的な考え方を扱っています。大陸移動のこと、気候変動を規定する太陽と地球の位置
関係にもとづく3つの長周期のこと、食物連鎖のこと、などが取りあげられています。基本中の基本のような知識なので、きちんとおさえておくといいと思います。

第3章「人類史の九九パーセント」
人類の発生から現代までの歴史を人類史として、時間軸に照らして、全体を100%とすると、はじまりから99.5%ぐらいまでと、現代に近い、最後の0.5%とは、はっきりと違う性質を持っています。前者は、生活様式が狩猟・採集が中心で、200万年ほどの間、比較的安定して営まれていたのに対して、後者は、農業や牧畜を中心にしたもので、最近の1万年ほどの間によく見られる現象です。
この章は、農業がはじまる前の、狩猟・採集で生活していた人類を扱っています。マーシャル・サーリンズさんの『石
器時代の経済学』にも出てきましたが、総じて言えば、狩猟・採集で生きていたころの人類の労働時間は、とても短く、それでいて栄養も十分足りていて、世界の総人口も、400万人を超えることはなかったであろう、ということです。人類は、けっこうこじんまりと、つつましく生きてきたわけです。
狩猟では、多くの動物の種が、人類による狩猟によって絶滅されてきました。第1章で扱った、イースター島での、木
の切りつくしのように、利用しやすい動物をとりつくしてしまう、ということが起こったのでしょう。それでも、まだ人類は、総人口がそんなに多くありませんでしたから、人間のがわからすれば、別の地域へ移動すればよいというだけの話で、地球規模での危機は、訪れませんでした。
このようにして、約200万年前に南アフリカや東アフリカに発生した人類は、約1万年前までに、南極以外のすべての
大陸に、分布を広げていったのでした。

第4章「最初の大転換」
約1万年前に、人類に「最初の大転換」が訪れます。農業や牧畜がはじめられるようになったのです。この章のはじめ
の段落が、総論的にまとまっているので、引用します。

 二〇〇万年このかた、人類は狩猟と採集の生活を送り続けてきた。しかし、わずか数千年の間に、以前とは劇的に異なる生活様式が出現した。すなわち、作物を栽培し家畜の放牧をして自然生態系を大きく変えることになった。この集約的な食糧生産方法は、核となる世界の三ヵ所の地域――西南アジア、中国、中央アメリカ――でそれぞれ独立に発達し、人類史上もっとも画期的な転換期となった。この結果、従来に比べてはるかに大量の食糧の供給が可能になり、階級制を持つ複雑な定住社会が発展して人口も急増していった。

簡単にまとめると、「定住」「人口増」「農業・牧畜」がはじまって、「都市」「軍隊」「王権」「強権・抑圧的な宗教」が形成されてくるわけです。この、約1万年前という、だいたいこの時期に、人類に大きな変化が起きていて、そのころに形成された社会の原形が、現代にまで引き継がれているわけです。個別には、地域によって、いろいろ違いがあるのですが、おおざっぱに言うと、そう言えるわけです。何が根本的な原因でそうなったのかは、分かりませんが。
わたし個人のこのみとしては、都市なし、軍隊なし、王権なし、強権・抑圧的な宗教なしで、定住はするけれど、ほど
ほどの農業で、ほどほどの人口で、こじんまりと生きていく路線、というのがいいのですが、一度農業をはじめてしまうと、「ほどほどで」というわけにはいかないのが人間なのでしょう。こっちは「ほどほど」でよくても、おとなりが強くなれば、干渉されて、気がついたときには、飲み込まれてしまっていたりするわけです。
この問題を、わたし自身の生き方に引き付けて考えると、中島正さんが言っている「みの虫革命」みたいな、他者との関係をなるべく断ち切って、やれる人から、自分一人から、とにかく自給をはじめましまう、という戦略に、わたしは魅力を感じますが、仮にそれがうまくやれたとしても、一人で勝手にやっている限りは、自己満足に過ぎなくて、社会的な意味は薄いのではないのか、とも思います。連帯して行動することが苦手な、分断された個人が多くなった時代に適応した、抵抗する生き方の形なのかもしれません。いや、もしかしたら、個人レベルまで、とことん分断を進めさせよう、という(よい意味での)戦略なのかもしれません。

第5章「破壊と生存」
農業によって都市が形成されるようになるのですが、それらの古代都市も、遠からず、崩壊の危機を迎えることになり
ます。つまり、一般的な農業は、持続可能な食料生産の技術ではなかったのです。森林破壊と、畑の塩類集積という、2つの基本的な崩壊パターンがありますが、少し、この章で展開される各地の個別の文明崩壊の様子をなぞってみましょう。
メソポタミア文明を支えたチグリス、ユーフラテスの両河の水位は、畑の作物が一番水を必要とする8月から10月に
かけて、逆に最低になりました。そこで、人びとは貯水と潅がいをおこないました。この結果、地下水の水位が上昇して、水がよどむ「帯水現象」を起こしました。また、高地の森林が破壊されて、土砂が川に流入して、水のよどみは一層ひどくなりました。帯水現象は、地中の塩類を地表に運び、水分の蒸発によって、厚い塩類の層を形成します。作物の収穫は、紀元前2400年から1700年の700年間に65%低下したそうです。当時の記録には、「大地が白くなった」という記述があるそうです。この畑の塩類集積が、メソポタミア文明崩壊の原因となったのでした。
インダス川は、広い地域にわたって氾濫して、その流路をかえる性質を持っていました。人びとは収量を増大させるた
めに、流路を固定して、潅がいをする工事をしました。また、森林破壊もおこなわれ、メソポタミア文明と同じような環境悪化をもたらしました。インダス川流域も、メソポタミア文明と同じように、塩類集積と、森林破壊による土壌流出と地力の低下によって、国力を弱めて、滅びました。
中国では、最初の定住社会が勃興したとき、土壌は肥沃だったのですが、地表をおおっていた草を、キビ畑をつくるた
めにとりのぞくと、土壌浸食がはじまり、大きな溝や谷に発達しました。それと同時に、燃料や建材の目的に樹木が伐採され、中国の高原地帯における大規模な森林は消失し、黄河は、ひんぱんに氾濫して、流路をかえ、大きな災害を引き起こすようになりました。
中世エチオピアのキリスト教王国では、森林破壊による土壌浸食によって、植物が育たなくなり、何度も首都を移して
います。
地中海地域の本来の植生は、常緑樹と落葉樹が入り交じった森林でしたが、農地造成、調理や暖房の燃料、家や船の建
材として伐採され、さらに家畜の過放牧が追い討ちをかけました。紀元前2000年ごろまで、モロッコからアフガニスタンまでをおおっていた森林は、現在ではその10%程度しか残っていないそうです。
ギリシャも、森林破壊と、土壌浸食が起きています。強い根を持っていて、土壌浸食の激しいところでも成育可能なオリーブを植えることが奨励されました。
北アフリカ帝国は、ローマ帝国を支えた穀倉地帯でしたが、農地を拡大するために森林を破戒したことにより、土壌浸
食がはじまり、最後は砂漠になってしまいました。
高度な文明を発達させたマヤ文明の崩壊も、森林破壊による土壌浸食と過剰潅がいが原因だったのではないかと推測さ
れています。
ナイル川は毎年洪水を起こしていました。上流の高地で森林破壊によって土壌浸食が起こり、この泥土が、ナイル川の
氾濫とともに下流に運ばれ、流域は、ちょうどいい時期に、肥沃な土壌と適当な水が得られることになって、農業が栄えました。メソポタミアの場合のような塩類集積は起こらなかったのですが、氾濫は自然まかせなため、水位が低い年は、十分な面積での栽培ができませんでした。1840年代に人工的な潅がい施設がつくられると、20~30年のうちに、塩類集積がはじまりました。イギリス人の農業技師は、「地表をおおう白い塩が日に照らされて、新雪のように輝いている」と言ったそうです。20西紀に入って、アスワンダムとアスワンハイダムがつくられると、ナイル渓谷の地力が失われて、肥料を多投する現代の農業方式に移行せざるを得なくなったのだそうです。
森林を開拓して畑を造成することも、潅がいをして収量を上げることも、実施した初期には、効果をあげたのだと思い
ます。しかし、そのような無理をして収量を上げようとすることが、数十年後、数百年後に、決定的なダメージとなってはねかえってくることを、予想することができなかったか、短期的な利益しか考えられなかったかして、結果として、諸文明は滅んでいきました。
肥料と水を与え続ければ、作物に吸収されない成分が地表にたまり続けるのは、当たり前のことです。わたしが研修させてもらった稲作農家では、稲の苗床(ハウス)の跡に、大豆を植えて、実がなった時点で根っこごと抜いて、トラックに積んで、山に捨てていました。一かかえもらって帰って、枝豆にして食べたのを覚えています。自分ちの山に捨てるのなら、不法投棄にはならないのですかね。過剰に施肥しておいて、あとからクリーニング・クロップに吸いとらせて、抜いて山に捨てて……無駄というか何というか、ほんとにほんとにご苦労さんな話です。

第6章「長い戦い」
この章は、飢餓との戦いについての研究になっています。中国とヨーロッパでは、飢餓の存在が常態化していたことが
示されています。アイルランドのような、ヨーロッパの「先進」地域でも、19西紀になっても、100万人の餓死者が出る事態が起こっています。当時、アイルランドには、十分な食料があったにもかかわらず、食料価格が高騰して、貧しい人びとがおおぜい餓死したのです。
また、1930年代初頭のソビエト連邦では、政府は食料を都市に優先的に供給して、農村で餓死者が出る事態となったこ
ともあげています。藤田弘夫さんが、その著書『都市の論理 権力はなぜ都市を必要とするか』(中公新書)の中で「古今東西、農村に飢えはつきものだが、都市が飢えることはめったにない。自らは食糧の生産を行わない都市のほうが、農村よりも飢えないのである。」と言っていたのを、思い出します。戦争中、日本では、農家は、食料を強制的に供出させられました。どこかに隠していないか、きびしく調べられました。
この『緑の世界史』の著者のポンティングさんは、農耕民の社会を狩猟採集民の社会と比べて、次のように言っていま
す。

 突き詰めて考えれば、飢餓の原因は人類と食糧との関わり方が農耕の開始によって変化したことにある。かつての狩猟採集民にとって、食糧とは取引するものではなく、集団の中で分け合うものだった。だが、定住農耕社会が成立すると、土地や食糧に対する所有権という考え方が生まれた。また、限られた土地に対する依存度が高まったために、収穫の多寡が大きな意味を持つようになり、不作の年には貧しい人々は食糧を得ることができなくなった。

飢餓というのは、多くの場合、食料の不足の問題ではなく、食料の配分の問題なのです。

第7章「ヨーロッパの植民地の拡大」
中世のヨーロッパには、東方植民といって、ヨーロッパ西部・中部への居住地の拡大があります。もともと95%ぐらい
が森林だったところが、この東方植民によって、森林面積が20%ぐらいまでに減らされてしまいます。焼き畑農業もおこなわれています。この開拓には、修道士が活躍します。修道士という言葉から、わたしなどは、禁欲的な生活をして、静かに神に祈っている人たちのようなイメージを勝手にいだいてしまいがちなのですが、十字軍時代に騎士修道会というのがあったように、この開拓にあたった修道士たちは、武装していました。それから、金属精錬なんかの技術も持っていたらしいです。とにかく、強烈な人たちだったようです。岸田秀さんとの対談(『生きる幻想 死ぬ幻想』)で小滝透さんが、この修道士たちについて、「森林伐採には宗教的な意味もありまして、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも、森林を伐採した。」と言っています。宗教的情熱に駆られて、執念で森林を切り開いていくわけです。その結果、フクロウとか蛇とかがいなくなって、野ネズミが大発生して、それにペスト菌を持ったノミが寄生して、ペストの大流行を招きます。このことも、小滝さんは語っています。今回読んでいる『緑の世界史』には、フェラリッヒの修道院長の言葉が紹介されていて、当事者の心境を伝えています。曰く、「フェラリッヒ周辺の森林は、まったく役立たずなうえ耐えがたいほど有害ですらある」。
森林伐採のほかに、大きく自然をかえたの
は、イギリス・フランス・オランダなどでおこなわれた、湿地や沼沢地の干拓や埋め立てでした。
ヨーロッパ人による植民地化の波は、世界中に広がっていきます。ポンティングさんは、ヨーロッパ人が破壊した先住
民族社会をあげ連ねています。ヨーロッパ人は、アステカ帝国、インカ帝国、北アメリカのインディアン、南アメリカのインディオ、オーストラリアのアボリジニ、太平洋の島じまの先住民などの、土地と労働力を搾取しました。イエズス会は奴隷狩りの遠征を行ない、捕えた奴隷に焼印を押して、伝道所で強制労働をさせました。ニューイングランドでインディアンとの間で戦争がはじまるころ、清教徒たちは、異教徒であるインディアンを殺戮することが、神の意思にかなうことだと信じていました。
そして、忘れてならないのは、徹底的に搾取された大陸、アフリカです。内容は、本書にくわしいので、読んでほしい
のですが、一つ、ヨーロッパ人がアフリカ人を人間視していなかった証拠をあげた部分を引用します。

 ヨーロッパ人の心の中には、アフリカ人に対するほとんど隠そうともしない侮蔑の念があった。たとえば、一九〇〇年六月にドイツ人入植者の一人が南西アフリカの植民地政府に提出した次のような嘆願書が残っている。
「遠い昔から、現地民たちは怠惰と粗野と愚行に慣らされてきました。彼らは悪に手を染めていなければ安心できない
のです。われわれは現地民に交じって生活していますが、ヨーロッパ人の感覚では、どう考えても彼らが人間であると信じることはできません」

第8章「思想の変遷」
この章は、ヨーロッパの思想の中に、植物や人間以外の動物は人間のためにつくられている、という、人間中心的世界
観を浮き立たせて、それが大規模な開拓や、動物の殺戮などの自然破壊につながるとこを、明らかにしています。この、「人間中心主義」という、問題の切り出し方が、わたしには新鮮で、分かりやすく思われました。たとえば、アリストテレスについては、ポンティングさんは、次のように言います。

 究極的な人間中心的世界観のもうひとつの先駆的著作は、アリストテレスの手によるものだ。彼は『政治学』で、植物は動物のために存在すると主張し、「もし自然が作り上げたものに不完全なものはなく、また何事も無目的には作らないとすれば、自然はすべての動物を人間のために作ったということになるだろう」と結論づけている。

この、人間中心主義は、聖書中にも、見出すことができます。

神は五日間の天地創造の後、その集大成として人間を創造する。そして神は人間に対して、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と祝福し、他の創造物に君臨する権利を与えるのである。
(中略)
まず初めに男性が創造され、次に生き物の満ちあふれるエデンの園、最後に女性という順で創造されていく。ここでも
動物は人間のために作られており、それらに名前をつけるのはアダムである。神は後になって大洪水を起こして世界をほぼ壊滅させるが、その後に人間界で唯一の生存者であるノアとその家族に対して、前にも増して強い口調で世界の支配者になるよう、こう命じている。
「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じよう
にあなたたちに与える……地のすべての獣と空のすべての鳥は地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる」
 このような、世界に君臨すべき存在としての人間という主題は、聖書に取り込まれたユダヤ教聖典の中に数多く見出
される。たとえば詩篇第八番には、「神に僅かにおとるものとして人を造り、御手によってつくられたものすべて治めるようにその足もとに置かれました」とあり、同第一一五篇には、「天は主のもの、地は人への賜物」と書かれている
 古代や中世のキリスト教思想家は、「人間は自らのために動植物を始めとした全世界を利用する権利を神から授かっ
ている」としてユダヤ教思想より受け継いだ見解に、ほとんど異議を唱えることはなかった。自然は神聖なものとは見なされず、したがって人間は自然を自らのために利用するのにいささかの良心の咎めも感じる必要はなかった。人間は自然を自分の好きなように利用する権利がある、とされていたのである。

この聖書に見られる人間中心的思想の変奏として、トマス・アクイナスやアッシジの聖フランチェスコなどが、あげられています。
このあと、科学的自然観を検討することになりますが、科学的自然観も、人間中心的という意味では、聖書の思想の延
長線上にあることになると、著者のポンティングさんによって位置づけられています。例として、デカルトやベーコンやスペンサーやカントやジョン・スチュアート・ミルやフロイトが引用されています。マルクスも、この系列に入ります。
日本人の感覚では、宗教と科学というのは、対立するような印象があるのですが、じつは、聖書の世界観と科学的
世界観というのは、しっかり地続きなんだ、ということを、今回この本を読んで、わたしは理解しました。
このあたりの事情をまとめてある部分を、もう一カ所、引用します。

一九世紀末までに、ヨーロッパ思想の多くから宗教色は大幅に減退するか、あるいはまったく消失してしまっていた。しかし、二〇〇〇年間にもわたるキリスト教思想の中核をなした考えの多くは、それに先立つ古典思想やユダヤ思想の影響とともに、ほぼ無意識のうちにヨーロッパの世界観を形成する中に取り込まれていた。そこでは人間は自然界から切り離され、しかもそれより優位に立つ存在と見なされており、その結果、人間は自然界を自らの思うように収奪する権利があると考えられていた。しかも、この自然の収奪はまったく当然のことであり、むしろ未完成で不完全な自然環境を改善していく手段であると見られた。
 また、人間活動は有益な結果をもたらし、必然的に未来へと続く一貫した進歩の過程の一部であるとされた。この世
界観は、ヨーロッパの拡張の最盛期を支え、ヨーロッパが大成功を収めたために、ヨーロッパ人やその高度の物質文明と接触した人々をも巻き込んでいった。

第9章「自然の蹂躙」
この章では、動物を殺しまくってきた、人間の歴史が展開されます。ほんとに、よくもここまで殺しまくったものだと
、感心するほどです。要約しても、ちょっとここでは紹介しきれません。本書を読んで、人間の傍若無人ぶりを知ってください。もし人間がいなかったとしたら、地球は今よりもはるかに美しく、はるかに豊かだったろうと思います。
農業に関しても、害虫・害鳥・害獣は殺しつくせ、という考え方が主流でした。農薬が作られるのも、殺しつくしの考
え方の延長線上にあるものです。天敵を利用したり、異なる作物を混植したり、といった、自然のバランスで虫を抑える、という発想は、なかなかあらわれなかったわけです。

第10章「第三世界の成立」
ヨーロッパによる植民地支配についてです。前章の「自然の蹂躙」の対人間版で、ひどい話が続きます。農業に関係あ
るところでは、それぞれの地域によく適応した伝統的な農業が崩壊させられて、プランテーションで、自然と人間が収奪されることになるあたりですね。日本は植民地になったことがないと言われますが、これからどうなるかは分からないので、奴隷と強制労働の歴史を勉強して、心の準備をしておくといいのではないでしょうか。
もう一つ、リン肥料の原料であるリン鉱石が枯渇した場合、施肥を大前提にしている今の農業は、どうなってしまうの
だろうと、心配になりました。

【関連記事】
クライブ・ポンティング『緑の世界史(下)』(石弘之ほか訳、朝日新聞社)

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マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』(法政大学出版局)

自給的社会を構想する参考にしようと思いまして、マーシャル・サーリンズさんの『石器時代の経済学』(山内昶訳、法政大学出版局)を読んでみました。いわゆる「未開」の民族の社会を観察・研究した本です。扱われているのは、農耕民も少しありますが、狩猟採集民が多いです。わたし自身の関心としては、自給的農耕民の社会・生活が気になりますが、狩猟採集民も自給をしているという意味では、参考になるのではないかと思って、読みはじめました。おそらく、農耕をはじめた民族は、たやすく開発化社会に飲み込まれてしまって、または開発化社会へ発展してしまって、「未開」ではなくなってしまうのでしょう。
わたしは、社会学や経済学や文化人類学などを勉強したことがないので、こういう専門的な本の読み方が分かっていま
せん。日本語に訳されているのですから、書かれている意味は読めば分かるのですが、それが何を言いたいのか、ということが分からないので(特に、数字を扱うのが苦手)、読んだ内容が頭に入ってこないのです。ですから、わたしのこの本の読み方は、ポイントをはずしていて、浅薄だ思います。面白いと思ったところや、都合のいいフレーズだけを抜き出して、コメントするような形になりますが、そのへん、あらかじめご承知置きください。

自給的社会での労働や社会構造はどのようなものなのか、ということが、わたしの関心にあるのですが、『石器時代の経済学』を読む前に、自給的ではない、つまり他給的な社会での食料生産労働がどのようなものかを、日本を例にとって、ざっと概観してみようと思います。
まず、農林業就業者の割合は、全就業者中、4%ぐらいです。
労働者の賃金を産業別に比べると、1日あたりの賃金が、建設業は約1万5千円、製造業は約1万6千円、運輸・通信
業も約1万6千円、卸売・小売業・飲食店は1万2千円なのに対して、農業の臨時雇いの場合は、男女別の金額が分かっていまして、男は約9千円、女は約7千円、となっています(いずれも百円の桁で四捨五入、2003年統計)。男と女の額の中間をとって8千円としますと、製造業や運輸・通信業の約半分、ということになります。いや、うちの農場は、もっと出すぞとか、あそこの工場は、もっと安かったとか、個別の事情はあるでしょうが、平均して半分の給料、という数字は、どうにもなりません。かせぎたいなら、農場よりも工場、というわけです。
自営農業の年間労働時間(自営農業労働時間÷家族農業就業者数)は、作目区分ごとの数字があるのですが、たとえば
稲作では1623時間、豆類では1530時間、露地野菜では1666時間、採卵養鶏では3100時間、となっています。実際の作目は複合的ですし、兼業農家も多いですから、この数字は、あくまでも目安です。
日本人が食料の多くを輸入に頼っていることは、改めて言うまでもありません。

ということで、いよいよ本題です。『石器時代の経済学』は6つの章からなっていますが、第1章は「始原のあふれる社会」です。英語の原題は“The Original Affluent Society”で、ジョン・ケネス・ガルブレイスの『ゆたかな社会』(“The Affluent Society”)への皮肉がこめられています。
「飢えに苦しむ野蛮人」とか、「朝から晩まで食べもの探しに明け暮れて、それでも必要な栄養を満たせない原始人」
というのが、伝統的な未開社会観なのですが、本当にそうなのか?というのが、サーリンズさんの問いかけです。サーリンズさんは、こう言います。

欲望は、多く生産するか、少なく欲求するかによって、《たやすく充足》できる。

多く生産するだけではなくて、少なく欲求することによっても、「あふれるゆたかさ」を実現することができる、というのです。この、少なく欲求することを、「禅の道」とも言いかえています。そして、デステュット・ド・トラシという人の次のような言葉をあげています。

「貧国とは人民が安楽に暮している国」であるが、これにたいして富国とは「人民が概して貧しい国である」

この言葉は、そのままでは分かりにくいのですが、わたし流に言いかえると、「富を集積しない小国は、人民が安楽に暮らすが、富を集積する大国は、人民が苦労する」となります。老子の「小国寡民」のようなのをイメージするといいのではないでしょうか。「ユートピア」というと都市的で、農奴を必要としますが、小国寡民の里は、生活の糧を自給しますから、安楽なのです。
サーリンズさんは、多くの物を所有しないことは、貧しいのではなくて、所有しなければならないとする観念から自由なのだ、と言います
。本当はほしいのに、がまんする、というのではありません。これは、負けおしみではありません。考えてみれば、わたしたちは、なくてもいいような多くの物に囲まれながら、それらのガラクタどもを得るために、あくせくと働いているのです。
狩猟採集民は、労働時間は短く、余暇が豊富にあって、昼寝の時間が長いです。ブッシュマンやオーストラリア土着民
は、1日の平均労働時間は4~5時間なのだそうです。それしか働けないからではなくて、生産性をあげようと思えばもっと働けるのに、その程度しか働こうとしないのだそうです。そして、それだけの労働で、十分な食料を得ているのだそうです。
サーリンズさんは、次のように言います。

(一人当りの)労働量は、文化の進化につれて増大し、余暇量は減少したのである。狩猟民の自立生計労働は、一日働いて一日休むという間歇性を特色としており、現代の狩猟民も、ひまな時間に昼寝といった行動にともかくこのんであてようとしている。

このような、なまけものな働き方をしていたら、食料不足になるのではないかと心配するかもしれません。たしかに、食料不足になることもあるにはあるのですが、それは特定の、たとえば移動できなくなった家族とかを襲うだけで、社会全体を襲うものではないのだそうです。
それに比べれば、現代社会のほうがよほど食料不足状態だとして、サーリンズさんは次のように言います。

今日の世界について、どういえばよいだろう。人類の三分の一あるいは二分の一もが、毎晩空き腹をかかえて、寝につく、といわれている。旧い石の時代では、その比率は、もっと小さかったにちがいない。前代未聞の飢えの世紀、それが現代なのだ。いま、最大の技術力をもっているこの時代に、飢餓が一つの制度となっている。古ぼけたあの定式を、いまやこう転倒させよう。文化の進歩につれて、飢えの量は、相対的にも絶対的にも増大してきた、と。

狩猟採集民は、移動して生活します。ですから、所持品が少ないのです。ある地域で食べ物がなくなると、別の地域へ移動していきます。ですから、食料が自然によって供給されて、自由に入って使える土地が十分になければ、生活は成り立ちません。現在、森林破壊や砂漠化の進行などによって、自然環境は十分に人間を養えなくなってきています。
遠い未来の夢としては、狩猟採集を中心にした生活もいいですし、感性的にピピッとくる人は、先駆的にやりはじめて
もかまわないのですが、現実問題として、多くの現代人が自給的な形で社会を成り立たせていくには、農業を中心にするやり方が向いている、とわたしは思います。
農業であっても、自分たちが食べる分だけを栽培するのであれば、それほど大変な労働量にはなりません。いらないガ
ラクタを買わないようにして、お金をなるべく使わない生活をしていれば、昼寝をしながら、一日おきに働くことだって、可能かもしれません。過労死するほど働きまくる人たちが多い時代ですが、その対極のような生活の可能性を思い浮かべてみることも、全く無駄なことではないのではないかと思います。

以上で、全6章中の第1章が終わりです。第2章以降の内容は、わたしにはむずかしくなるので、パスします。ごめんなさい。

…と思ったのですが、やっぱり、第4章だけ、ちょこっと。
章題は「贈与の霊」となっていまして、ニュージーランドのマオリ族の贈与の経済システムについて書かれてあります。贈与というのは、気まぐれなプレゼントのようなものではなくて、贈らなくてはいられないような、激しい強制性をもっています。そして、それは、社会的に欠かすことのできない、意義のあることになっています。
形は全然違うのですが、日
本にも贈答とか、慶弔費とかがあって、破ることのできない「しきたり」のようなものがあったしりて、苦労している人も多いと思いますが、そういうのを苦労と思うのはおかしい、という理論もあるみたいで、人生、いろいろな意味で大変だなあ、なんてことを連想したりしました。ちなみに、わたしの母は、自分が死んでも、誰も呼ぶなよ、と言ってますけど。
以上、です。

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人口抑制策批判 その1

前回、プランテーションの問題を扱ったときに、資料を見る前の予想としては、プランテーションがあるから食料自給がさまたげられて、飢餓が発生するのだ、ということがあらわれると思っていたのですが、実際は、プランテーションよりも、戦争のほうが、圧倒的に飢餓に影響を与えていることが分かりました。飢餓をなくすには、戦争をやめさせることが一番いい、という結論。もちろん、プランテーションのある国ぐにが、国内に飢餓をかかえながら食料を輸出している、いわゆる「飢餓輸出」であることも分かりましたので、やはり、プランテーションが問題であることには、かわりありません。

きょうは、人口抑制策を批判してみようと思います。
じつは、「雑草の言葉」さんのサイトのコメント欄で、サイトの主の雑草Zさんと議論になっていた(「グローバルな視点話さなければならないか?
)のですが、打ち切りにされてしまったような感じなので、自分のサイトで考え直してみよう、と思ったのでした。
素人が、たいして資料もない状態で考えたことですので、間違いが多いと思います。ぜんぜん学問的ではありません。そのつもりで見てください。コメ
ントをもらえますと、さらに考え続けるきっかけになりますので、よろしくお願いします。

「環境問題の切り札は人口抑制策だ」というスローガンがよく聞かれます。人口が爆発的に増加していて、食料が足りない、エネルギー資源が足りない、自然が破壊される、ということで、人口を抑制して危機を乗り切ろう、というような主張です。わたしは、この主張に、ものすごい傲慢さを感じないではいられません。アメリカ・ヨーロッパ・日本などの、増えるだけ増えて、人口安定期に入っている高開発国が、中国・インド・ブラジルなどの、これから増えて発展しようとしている低開発国に向って、「おまえら、人口を減らせ」と言っているようなものだからです。
人口抑制策は、低開発国の、特に底辺層をターゲットにして実施されます。豊かな人たちは、子どもが少なければ、少
ない子どもにより多くのお金をかけて育てることができる、と発想します。しかし、底辺層では、子どもが生活を支えてくれる、と考えられます。また、生活環境の悪さから、成長する途中で死んでしまう子どもが多いので、多く産んでおきたい、という気持ちが発生します。
高開発国の発想では、人口抑制策は、自発的に受入れられやすいですが、低開発国では、人びとの抵抗が発生します。
勢い、人口抑制策の実施方法が、強制的・暴力的にならざるを得ません。ウェブ上の記事を、いくつか拾ってみました

まずこれ。『もうひとつの戦争 インドの人口政策と女性たち』というインド映画の紹介記事です。
(以下、引用は、無作法で申し訳な
いのですが、少しはしょりながらおこないます。全文は、それぞれのリンク先から読んでください。)

稲垣早穂「インドの人口政策に思う。経口避妊ピルは、不妊手術より「ちょっとだけ」マシ

不妊手術3100万件、IUD2500万件、その他の方法1450万件。これ、インドの人口抑制政策の目標件数(1985年~1990年)です。
 ドキュメンタリー作品『もうひとつの戦争』によると、1977年までに650万人の男性がパイプカット手術を強いられ
、そのために当時の首相は選挙で大敗、人口政策のターゲットは女性に移りました。
 ビデオの中で、ある開業医は語ります。現在では、腹腔鏡を用いた方法で、不妊手術が1人あたり45秒でできるよう
になった。1日200件だってできる。私はこれまでに31万回行った。
 手術室の端で、女性たちは列をなし、手術の順番を待っています。部分麻酔で、それすらじゅうぶんに効いていない
のか、悲鳴をあげる女性も(多少痛くても45秒間だし、という理屈なのか)。術後は床にごろごろと並べられて休息、約1時間ほどで家に帰れる、のだそうです。
 当然のことながら死亡例もあるという不妊手術ですが、手術と引き換えに食料が配給されたり、土地や井戸を得られ
ることもあるため、むしろ積極的に妻を送り出す夫も少なくないようです。
皮下埋め込み式のノルプラント(※)は避妊効果が5年間持続し、注射法(デポ・プロベラ)も3ヶ月間有効です。そ
して現在、「避妊ワクチン」とやらを開発中、とのこと。
(※)ノルプラントも、デポ・プロベラも、日本では認可されていません。アメリカで開発され、強い副作用のために
自国では承認が得られなかったうちから途上国に輸出されていたという、いわくつきの代物。
 こうした避妊法、私はどうも、歓迎できないんですよね。いくら避妊効果が高いとか経済的とか言われても、やりき
れない。副作用の心配だけじゃありません。
 なぜ女性の身体ばかりがあちこちいじくられ、なぜ女性ばかりが薬剤を投与されるのか。どう考えても不均衡だもの
。女性の地位が低い国ほど、女性は犠牲を強いられているようにも思える。

インドでは、女性の地位が低いですから、こういうときに犠牲になるのは女性になります。「人口を抑制しろ!」と口にする人たちは、こういう痛みに目を向けようとしません。インドの貧乏な女たちの痛みよりも、自分たちの将来の食べもの・エネルギー・生活環境の確保のほうが大切なのです。
対象となる人の人数が膨大ですから、早く・安く・効果のある人口抑制策がとられることになります。

次は、中国の場合です。中国は、「一人っ子政策」という人口抑制策を積極的に実施して、抑制を達成させています。
東京新聞からの引用です。リンク先の東京新聞は、リンクが切れています。

東京新聞:強引人口抑制策で暴動 中国農村ルポ 罰金払えぬと略奪 不妊手術を強要

年収を上回る罰金を徴収され、当局が発行した領収書を次々に記者に見せる民衆=24日、博白県で(平岩勇司撮影)
【博白(中国広西チワン族自治区)=平岩勇司】強引な人口抑制策に対し、民衆が暴動を起こした中国広西チワン族自治区博白県の村の一つ、沙陂鎮を二十四日、取材した。暴動発生から五日が経過し、焼き打ちされた役場庁舎は立ち入り禁止に。表面上は平...

残念ながら、この先はコピーされていません。
ここで注目は、チワン族という、少数民族の自治区で暴動が起きている、ということです。少数民族は、多数民族に飲
み込まれて、消滅する恐怖を感じていると思います。多数民族による「人口を減らせ」という要求には、民族の誇りを傷つけられる思いがするのではないかと、想像します。
「年収を上回る罰金」というあたりに、きびしさを感じます。死ね、ってことですものね。

次の記事は、産経新聞からの引用です。上の東京新聞と同じ事件を扱っています。こちらのほうが、くわしいです。リンク先の産経新聞は、リンクが切れています。
女性をを拉致して、強制的に不妊手術を受けさせたり、罰金を払わない人からの略奪があることを伝えています。略奪
しているのは漢族中国人で、反発して暴動を起こしたのは、チワン族です。

中国、少数民族を強制連行避妊手術

不妊手術強制、法外な罰金 中国、一人っ子政策“暴走” 住民抗議、高まる緊張
 【北京=野口東秀】中国広西チワン族自治区の博白県などの農村各地で「一人っ子政策」により女性に不妊手術を強
制するなど地元政府の横暴に抗議して今月中旬から住民約3000人が役所を包囲したり、放火するなど緊張が高まっている。
 暴動の背景には「地元政府が一人っ子政策を実施するにあたり粗暴かつ勝手な(罰金の)徴収を行った」(新華社電
)ことが指摘されている。さらに博白県の県長談話として「一部民衆は計画出産活動を理解せずに反発している。多くの民衆は計画出産に対する概念と順法意識を欠いている。その一方で当局の出産計画活動にもいくつかの問題があった」と伝えた。
 当局側の拘束を恐れて広東省に逃れた20代後半の住民は産経新聞の電話取材に、当局者を含む数十人が死傷したと
の情報があると指摘。車数台、バイク十数台が炎上。他の県でも暴動参加者は延べ数万人にのぼり、武装警察部隊が民衆数千人を棒で殴打して回っていると打ち明けた。
 この住民によると、当局に臨時に雇用された数十人から100人以上の規模の取り締まりチームが鉄パイプを手にト
ラックで各戸を回り、連れ去った女性に不妊手術を強制的に受けさせていた。乱暴された女性もいた。一人っ子政策を破ったとして「男たちは2000元から1万元(1元約15円)の罰金を住民に支払わせていた」という。
 罰金の支払いに応じなければ「台所用品やテレビ、オートバイなど家財道具一式、牛や豚など家畜を持ち去る」のは
日常茶飯事で、「通学中の女子高生を連行し不妊手術を実施した」という情報さえある。博白県では上層部から「不妊手術1万7000件を実施しろ」「『社会扶養費』(出産計画への罰金)788万元を集めろ」と今年2月ごろから圧力をかけられ、数千人を動員し横暴な取り締まりを実施していたとも指摘されている。
(2007/05/23 23:47)

「一人っ子政策“暴走”」の見出しがありますが、すさまじい暴圧ぶりです。多くの異なる民族をかかえる大国の運営は、暴力的にならざるを得ないのでしょうか。ジェノサイドの乗りを感じます。こういう現場にいたら、いやおうなく、どちらかの陣営に引き込まれて、戦いに参加することになってしまうのでしょうか。

やはり少数民族の、ウイグル族への人口抑制策が、抵抗にあっている、という記事です。

さらなるウイグル族への出生抑制策、強制堕胎、不妊手術に発展の可能性も

1988年よりウイグル人はほとんどの中国の家族に一人の子供しか許さない、厳しい政策の例外として2人から3人の子供を持つことを限定されていた。人権団体はこのような政策は強圧的な人口抑制と往々にして貧困な医療条件のもとでの強制堕胎および不妊を導いたと言ってきた。
亡命したウイグル人活動家ラビヤ・カーディル(レビヤ・カディールRebiya Kadeer)さんは人口抑制政策はすでに新疆
において強化され、農村部の女性が特別な注意のために目をつけられるのか、疑問を呈した。
ウイグル人はすでに多数派たる漢族中国人の新疆ウイグル自治区への大規模移住政策および苛酷な政治的、文化的政策
によって疎外されつづけてきた、と彼女は述べた。
「これはウイグル人にとって極端に悪い知らせです。とくにウイグルの女性にとって。」カーディルさんはそう文書で
言明した。
800万人の人口を持ち、ウイグル人は新疆で最大の民族集団を構成している、しかし彼らはもはや完全な多数派ではな
い。最近のこの地域での資源およびインフラの発展は更なる漢族中国人の流入を招いてきた、首都ウルムチの増大する人口400万人の多くは漢族である。

漢族中国人とウイグル人の民族対立になっている例です。民族間の人口による圧力がとりざたされている中での、人口抑制策の強化は、強く政治性をおびてきます。こういう感覚は、日本人には分かりにくいです。

インドと中国の人口抑制策の実例を見てきました。どちらも、対象者の意思に反して、暴力的におこなわれる、という特徴があります。インドの女性は、泣いて、あきらめているようですが、中国の少数民族は、抵抗している、という違いはありますが。
さて、このような人口抑制策が、「人道」の名のもとにおこなわれることが、しばしばあります。飢餓で苦しんで死ぬ
よりも、生まれてくる人数を減らして、食料をより多く受けとれるようにしてやるほうが、当人たちにとっても幸せなことなのだ、という理屈です。この考え方は間違っていると、わたしは思います。概念図を描いてみました。

Yokusei

赤い部分が、栄養不足人口です。世界の総人口の12%(8億5000万人)ぐらい、あります。この「栄養不足」というのは、人が生きていくための必要栄養に不足する、ということで、いわば、餓死に向いつつある人たちのことです。
この栄養不足人口に相当する人数を、人口抑制策で減らせば、飢餓がなくなる(左図)、というのですが、そんなこと
はないと思います。まず、人口抑制策で人口が減らせる、というのが怪しいのですが、仮に、中国のような強制的人口抑制策が実施されて、栄養不足人口分の人口が減らせられたとしても、栄養不足人口がなくなるのではなくて、実施前の社会構成比が縮小されたような形(右図)にしかならないと思います。つまり、栄養不足人口は、なくならないのです。
人口抑制策で浮いた食料は、もっと上の、多くの食料を消費する層に吸収されて、贅沢や無駄となるだけだろうと予想
します。もし、それで吸収しきれないときは、食料生産量が抑えられることになるだろうと思います。そう考える理由は、栄養不足人口は、人口コントロール、および階層社会の秩序を維持するために、必要とされているからです。
食料増産と飢餓とによって、人口はコントロールされています。穀物は寡占されていて、その価格は、穀物メジャーの思うままに決められています。高くすれば、買える穀物が減りますから、餓死する人が増えます。穀物メジャーは、食料援助もしています。援助も含めて、すべてをコントロールしようとするのです。
人口は労働力として、消費者として、兵力として、必
要とされています。ですから、食料を過剰めに生産して、必要な人口が「生産」されています。多すぎる人口は、飢餓という形で調整されます。1年に900万人ぐらいの人が、餓死しています。コンビニエンス・ストアで、欠品を防ぐために、お弁当やおにぎりを過剰に仕入れて、一定量を廃棄しているのと同じです。この人口のコントロールのやり方をかえないかぎり、飢餓は必要とされ続けます。飢餓には経費がかかりませんから、なかなかやめられないようです
現在の食料生産量でも、配分のやり方をかえれば、地球上の飢餓をなくすことはできる、と計算されています。食べも
のは、余っています。日本でも、ヨーロッパでも、休耕に補助金を出しています。農産物の価格を安定させるためです。つくろうと思えば、今ある畑だけでも、もっと増産することもできます。それなのに、なぜ飢餓があるのでしょうか。それは、食料配分のかたよりが、社会的に必要とされているからです。
飢餓をなくしたいと考える人たちによって、食料配分のかたよりを是正しようとする試みがおこなわれてきました。しか
しそれらは、失敗し続けてきました。なぜでしょうか。富を集中して、都市を形成して、権力によって国を統治するためには、社会階層が必要だからです。多く働き、少なく受けとる、低い階層の人たちには、それ以下の栄養不足人口のようすを見せられることによって、「あれよりはましだ」となぐさめられ、「あのようにならないように」とはげまされます。栄養不足人口は、階層社会の秩序を維持するために、必要なのです。
『人口論』を書いたマルサスは、飢餓を「自然淘汰」だと言いました。つまりこれは、劣った個体が切り捨てられてい
く、という差別的な考え方です。飢餓は、階層社会の秩序を維持するために必要とされる、ということを傍証する考え方だと言えるでしょう。マルサスのこの発言は、飢餓の要因である「必ず食料の配分にかたよりを持たせる」ことについて、より少なく働いて、より多く受けとる、高い階層の人たちの罪悪感を、薄める役割りをはたしました。
飢餓は社会にとって必要であるために、再生産され続けてきました。ですから、社会のありようを、人間の意識を、
根底的にかえない限り、飢餓はなくなりません。人口抑制策を実施して、総人口が減ることがあったとしても、その人口の中で、また飢餓が形成されるでしょう。ですから、「人道」の名のもとに人口抑制策をおこなうのは、欺瞞です。現場の福祉職員がどんなに善意から活動したとしても、何度でも飢餓は再生産されることになります。

人口抑制策のおかしな点は、もう一つあります。もし建て前のとおり、食料が足りなくなるからとか、エネルギーが足りなくなるからとかいう理由で人口を減らすのであれば、たとえば、アメリカ人はインド人の20倍のエネルギーを消費していますから、インド人を減らすよりも、アメリカ人を減らしたほうが効率はいいのですが、絶対にそのような動きにはならないのです。人口の増加率が高いから、という理由で、低開発国がターゲットにされ、さらに、その中でも、底辺の階層にいる人たちがねらわれるのです。小さい国が、弱い民族が、貧しさや無知に付け込まれて、暴力的な人口抑制策の犠牲になって、体を傷つけれれ、命を落とす人も出てくるのです。つまり、人口抑制策は、国ぐにの強さの格差を広げる働きをします。
このような、しょうもない人間社会のあり方の問題に、解決策はあるのでしょうか。希望の光は見つかるのでしょうか。
そのあたりを、自給的社会の構想にからめて、「人口抑制策批判 その2」で、考えてみたいと思います。いつになるか分かりませんけど。とりあえず、きょうは、このへんで。

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