« 「有機」ということについて | トップページ | マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』(法政大学出版局) »

人口抑制策批判 その1

前回、プランテーションの問題を扱ったときに、資料を見る前の予想としては、プランテーションがあるから食料自給がさまたげられて、飢餓が発生するのだ、ということがあらわれると思っていたのですが、実際は、プランテーションよりも、戦争のほうが、圧倒的に飢餓に影響を与えていることが分かりました。飢餓をなくすには、戦争をやめさせることが一番いい、という結論。もちろん、プランテーションのある国ぐにが、国内に飢餓をかかえながら食料を輸出している、いわゆる「飢餓輸出」であることも分かりましたので、やはり、プランテーションが問題であることには、かわりありません。

きょうは、人口抑制策を批判してみようと思います。
じつは、「雑草の言葉」さんのサイトのコメント欄で、サイトの主の雑草Zさんと議論になっていた(「グローバルな視点話さなければならないか?
)のですが、打ち切りにされてしまったような感じなので、自分のサイトで考え直してみよう、と思ったのでした。
素人が、たいして資料もない状態で考えたことですので、間違いが多いと思います。ぜんぜん学問的ではありません。そのつもりで見てください。コメ
ントをもらえますと、さらに考え続けるきっかけになりますので、よろしくお願いします。

「環境問題の切り札は人口抑制策だ」というスローガンがよく聞かれます。人口が爆発的に増加していて、食料が足りない、エネルギー資源が足りない、自然が破壊される、ということで、人口を抑制して危機を乗り切ろう、というような主張です。わたしは、この主張に、ものすごい傲慢さを感じないではいられません。アメリカ・ヨーロッパ・日本などの、増えるだけ増えて、人口安定期に入っている高開発国が、中国・インド・ブラジルなどの、これから増えて発展しようとしている低開発国に向って、「おまえら、人口を減らせ」と言っているようなものだからです。
人口抑制策は、低開発国の、特に底辺層をターゲットにして実施されます。豊かな人たちは、子どもが少なければ、少
ない子どもにより多くのお金をかけて育てることができる、と発想します。しかし、底辺層では、子どもが生活を支えてくれる、と考えられます。また、生活環境の悪さから、成長する途中で死んでしまう子どもが多いので、多く産んでおきたい、という気持ちが発生します。
高開発国の発想では、人口抑制策は、自発的に受入れられやすいですが、低開発国では、人びとの抵抗が発生します。
勢い、人口抑制策の実施方法が、強制的・暴力的にならざるを得ません。ウェブ上の記事を、いくつか拾ってみました

まずこれ。『もうひとつの戦争 インドの人口政策と女性たち』というインド映画の紹介記事です。
(以下、引用は、無作法で申し訳な
いのですが、少しはしょりながらおこないます。全文は、それぞれのリンク先から読んでください。)

稲垣早穂「インドの人口政策に思う。経口避妊ピルは、不妊手術より「ちょっとだけ」マシ

不妊手術3100万件、IUD2500万件、その他の方法1450万件。これ、インドの人口抑制政策の目標件数(1985年~1990年)です。
 ドキュメンタリー作品『もうひとつの戦争』によると、1977年までに650万人の男性がパイプカット手術を強いられ
、そのために当時の首相は選挙で大敗、人口政策のターゲットは女性に移りました。
 ビデオの中で、ある開業医は語ります。現在では、腹腔鏡を用いた方法で、不妊手術が1人あたり45秒でできるよう
になった。1日200件だってできる。私はこれまでに31万回行った。
 手術室の端で、女性たちは列をなし、手術の順番を待っています。部分麻酔で、それすらじゅうぶんに効いていない
のか、悲鳴をあげる女性も(多少痛くても45秒間だし、という理屈なのか)。術後は床にごろごろと並べられて休息、約1時間ほどで家に帰れる、のだそうです。
 当然のことながら死亡例もあるという不妊手術ですが、手術と引き換えに食料が配給されたり、土地や井戸を得られ
ることもあるため、むしろ積極的に妻を送り出す夫も少なくないようです。
皮下埋め込み式のノルプラント(※)は避妊効果が5年間持続し、注射法(デポ・プロベラ)も3ヶ月間有効です。そ
して現在、「避妊ワクチン」とやらを開発中、とのこと。
(※)ノルプラントも、デポ・プロベラも、日本では認可されていません。アメリカで開発され、強い副作用のために
自国では承認が得られなかったうちから途上国に輸出されていたという、いわくつきの代物。
 こうした避妊法、私はどうも、歓迎できないんですよね。いくら避妊効果が高いとか経済的とか言われても、やりき
れない。副作用の心配だけじゃありません。
 なぜ女性の身体ばかりがあちこちいじくられ、なぜ女性ばかりが薬剤を投与されるのか。どう考えても不均衡だもの
。女性の地位が低い国ほど、女性は犠牲を強いられているようにも思える。

インドでは、女性の地位が低いですから、こういうときに犠牲になるのは女性になります。「人口を抑制しろ!」と口にする人たちは、こういう痛みに目を向けようとしません。インドの貧乏な女たちの痛みよりも、自分たちの将来の食べもの・エネルギー・生活環境の確保のほうが大切なのです。
対象となる人の人数が膨大ですから、早く・安く・効果のある人口抑制策がとられることになります。

次は、中国の場合です。中国は、「一人っ子政策」という人口抑制策を積極的に実施して、抑制を達成させています。
東京新聞からの引用です。リンク先の東京新聞は、リンクが切れています。

東京新聞:強引人口抑制策で暴動 中国農村ルポ 罰金払えぬと略奪 不妊手術を強要

年収を上回る罰金を徴収され、当局が発行した領収書を次々に記者に見せる民衆=24日、博白県で(平岩勇司撮影)
【博白(中国広西チワン族自治区)=平岩勇司】強引な人口抑制策に対し、民衆が暴動を起こした中国広西チワン族自治区博白県の村の一つ、沙陂鎮を二十四日、取材した。暴動発生から五日が経過し、焼き打ちされた役場庁舎は立ち入り禁止に。表面上は平...

残念ながら、この先はコピーされていません。
ここで注目は、チワン族という、少数民族の自治区で暴動が起きている、ということです。少数民族は、多数民族に飲
み込まれて、消滅する恐怖を感じていると思います。多数民族による「人口を減らせ」という要求には、民族の誇りを傷つけられる思いがするのではないかと、想像します。
「年収を上回る罰金」というあたりに、きびしさを感じます。死ね、ってことですものね。

次の記事は、産経新聞からの引用です。上の東京新聞と同じ事件を扱っています。こちらのほうが、くわしいです。リンク先の産経新聞は、リンクが切れています。
女性をを拉致して、強制的に不妊手術を受けさせたり、罰金を払わない人からの略奪があることを伝えています。略奪
しているのは漢族中国人で、反発して暴動を起こしたのは、チワン族です。

中国、少数民族を強制連行避妊手術

不妊手術強制、法外な罰金 中国、一人っ子政策“暴走” 住民抗議、高まる緊張
 【北京=野口東秀】中国広西チワン族自治区の博白県などの農村各地で「一人っ子政策」により女性に不妊手術を強
制するなど地元政府の横暴に抗議して今月中旬から住民約3000人が役所を包囲したり、放火するなど緊張が高まっている。
 暴動の背景には「地元政府が一人っ子政策を実施するにあたり粗暴かつ勝手な(罰金の)徴収を行った」(新華社電
)ことが指摘されている。さらに博白県の県長談話として「一部民衆は計画出産活動を理解せずに反発している。多くの民衆は計画出産に対する概念と順法意識を欠いている。その一方で当局の出産計画活動にもいくつかの問題があった」と伝えた。
 当局側の拘束を恐れて広東省に逃れた20代後半の住民は産経新聞の電話取材に、当局者を含む数十人が死傷したと
の情報があると指摘。車数台、バイク十数台が炎上。他の県でも暴動参加者は延べ数万人にのぼり、武装警察部隊が民衆数千人を棒で殴打して回っていると打ち明けた。
 この住民によると、当局に臨時に雇用された数十人から100人以上の規模の取り締まりチームが鉄パイプを手にト
ラックで各戸を回り、連れ去った女性に不妊手術を強制的に受けさせていた。乱暴された女性もいた。一人っ子政策を破ったとして「男たちは2000元から1万元(1元約15円)の罰金を住民に支払わせていた」という。
 罰金の支払いに応じなければ「台所用品やテレビ、オートバイなど家財道具一式、牛や豚など家畜を持ち去る」のは
日常茶飯事で、「通学中の女子高生を連行し不妊手術を実施した」という情報さえある。博白県では上層部から「不妊手術1万7000件を実施しろ」「『社会扶養費』(出産計画への罰金)788万元を集めろ」と今年2月ごろから圧力をかけられ、数千人を動員し横暴な取り締まりを実施していたとも指摘されている。
(2007/05/23 23:47)

「一人っ子政策“暴走”」の見出しがありますが、すさまじい暴圧ぶりです。多くの異なる民族をかかえる大国の運営は、暴力的にならざるを得ないのでしょうか。ジェノサイドの乗りを感じます。こういう現場にいたら、いやおうなく、どちらかの陣営に引き込まれて、戦いに参加することになってしまうのでしょうか。

やはり少数民族の、ウイグル族への人口抑制策が、抵抗にあっている、という記事です。

さらなるウイグル族への出生抑制策、強制堕胎、不妊手術に発展の可能性も

1988年よりウイグル人はほとんどの中国の家族に一人の子供しか許さない、厳しい政策の例外として2人から3人の子供を持つことを限定されていた。人権団体はこのような政策は強圧的な人口抑制と往々にして貧困な医療条件のもとでの強制堕胎および不妊を導いたと言ってきた。
亡命したウイグル人活動家ラビヤ・カーディル(レビヤ・カディールRebiya Kadeer)さんは人口抑制政策はすでに新疆
において強化され、農村部の女性が特別な注意のために目をつけられるのか、疑問を呈した。
ウイグル人はすでに多数派たる漢族中国人の新疆ウイグル自治区への大規模移住政策および苛酷な政治的、文化的政策
によって疎外されつづけてきた、と彼女は述べた。
「これはウイグル人にとって極端に悪い知らせです。とくにウイグルの女性にとって。」カーディルさんはそう文書で
言明した。
800万人の人口を持ち、ウイグル人は新疆で最大の民族集団を構成している、しかし彼らはもはや完全な多数派ではな
い。最近のこの地域での資源およびインフラの発展は更なる漢族中国人の流入を招いてきた、首都ウルムチの増大する人口400万人の多くは漢族である。

漢族中国人とウイグル人の民族対立になっている例です。民族間の人口による圧力がとりざたされている中での、人口抑制策の強化は、強く政治性をおびてきます。こういう感覚は、日本人には分かりにくいです。

インドと中国の人口抑制策の実例を見てきました。どちらも、対象者の意思に反して、暴力的におこなわれる、という特徴があります。インドの女性は、泣いて、あきらめているようですが、中国の少数民族は、抵抗している、という違いはありますが。
さて、このような人口抑制策が、「人道」の名のもとにおこなわれることが、しばしばあります。飢餓で苦しんで死ぬ
よりも、生まれてくる人数を減らして、食料をより多く受けとれるようにしてやるほうが、当人たちにとっても幸せなことなのだ、という理屈です。この考え方は間違っていると、わたしは思います。概念図を描いてみました。

Yokusei

赤い部分が、栄養不足人口です。世界の総人口の12%(8億5000万人)ぐらい、あります。この「栄養不足」というのは、人が生きていくための必要栄養に不足する、ということで、いわば、餓死に向いつつある人たちのことです。
この栄養不足人口に相当する人数を、人口抑制策で減らせば、飢餓がなくなる(左図)、というのですが、そんなこと
はないと思います。まず、人口抑制策で人口が減らせる、というのが怪しいのですが、仮に、中国のような強制的人口抑制策が実施されて、栄養不足人口分の人口が減らせられたとしても、栄養不足人口がなくなるのではなくて、実施前の社会構成比が縮小されたような形(右図)にしかならないと思います。つまり、栄養不足人口は、なくならないのです。
人口抑制策で浮いた食料は、もっと上の、多くの食料を消費する層に吸収されて、贅沢や無駄となるだけだろうと予想
します。もし、それで吸収しきれないときは、食料生産量が抑えられることになるだろうと思います。そう考える理由は、栄養不足人口は、人口コントロール、および階層社会の秩序を維持するために、必要とされているからです。
食料増産と飢餓とによって、人口はコントロールされています。穀物は寡占されていて、その価格は、穀物メジャーの思うままに決められています。高くすれば、買える穀物が減りますから、餓死する人が増えます。穀物メジャーは、食料援助もしています。援助も含めて、すべてをコントロールしようとするのです。
人口は労働力として、消費者として、兵力として、必
要とされています。ですから、食料を過剰めに生産して、必要な人口が「生産」されています。多すぎる人口は、飢餓という形で調整されます。1年に900万人ぐらいの人が、餓死しています。コンビニエンス・ストアで、欠品を防ぐために、お弁当やおにぎりを過剰に仕入れて、一定量を廃棄しているのと同じです。この人口のコントロールのやり方をかえないかぎり、飢餓は必要とされ続けます。飢餓には経費がかかりませんから、なかなかやめられないようです
現在の食料生産量でも、配分のやり方をかえれば、地球上の飢餓をなくすことはできる、と計算されています。食べも
のは、余っています。日本でも、ヨーロッパでも、休耕に補助金を出しています。農産物の価格を安定させるためです。つくろうと思えば、今ある畑だけでも、もっと増産することもできます。それなのに、なぜ飢餓があるのでしょうか。それは、食料配分のかたよりが、社会的に必要とされているからです。
飢餓をなくしたいと考える人たちによって、食料配分のかたよりを是正しようとする試みがおこなわれてきました。しか
しそれらは、失敗し続けてきました。なぜでしょうか。富を集中して、都市を形成して、権力によって国を統治するためには、社会階層が必要だからです。多く働き、少なく受けとる、低い階層の人たちには、それ以下の栄養不足人口のようすを見せられることによって、「あれよりはましだ」となぐさめられ、「あのようにならないように」とはげまされます。栄養不足人口は、階層社会の秩序を維持するために、必要なのです。
『人口論』を書いたマルサスは、飢餓を「自然淘汰」だと言いました。つまりこれは、劣った個体が切り捨てられてい
く、という差別的な考え方です。飢餓は、階層社会の秩序を維持するために必要とされる、ということを傍証する考え方だと言えるでしょう。マルサスのこの発言は、飢餓の要因である「必ず食料の配分にかたよりを持たせる」ことについて、より少なく働いて、より多く受けとる、高い階層の人たちの罪悪感を、薄める役割りをはたしました。
飢餓は社会にとって必要であるために、再生産され続けてきました。ですから、社会のありようを、人間の意識を、
根底的にかえない限り、飢餓はなくなりません。人口抑制策を実施して、総人口が減ることがあったとしても、その人口の中で、また飢餓が形成されるでしょう。ですから、「人道」の名のもとに人口抑制策をおこなうのは、欺瞞です。現場の福祉職員がどんなに善意から活動したとしても、何度でも飢餓は再生産されることになります。

人口抑制策のおかしな点は、もう一つあります。もし建て前のとおり、食料が足りなくなるからとか、エネルギーが足りなくなるからとかいう理由で人口を減らすのであれば、たとえば、アメリカ人はインド人の20倍のエネルギーを消費していますから、インド人を減らすよりも、アメリカ人を減らしたほうが効率はいいのですが、絶対にそのような動きにはならないのです。人口の増加率が高いから、という理由で、低開発国がターゲットにされ、さらに、その中でも、底辺の階層にいる人たちがねらわれるのです。小さい国が、弱い民族が、貧しさや無知に付け込まれて、暴力的な人口抑制策の犠牲になって、体を傷つけれれ、命を落とす人も出てくるのです。つまり、人口抑制策は、国ぐにの強さの格差を広げる働きをします。
このような、しょうもない人間社会のあり方の問題に、解決策はあるのでしょうか。希望の光は見つかるのでしょうか。
そのあたりを、自給的社会の構想にからめて、「人口抑制策批判 その2」で、考えてみたいと思います。いつになるか分かりませんけど。とりあえず、きょうは、このへんで。

|

« 「有機」ということについて | トップページ | マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』(法政大学出版局) »

理念」カテゴリの記事

コメント

田中さん、こんにちは。
以前書かれていた食糧問題の記事、読みました。
僕もホームページとブログで、
食糧問題の情報発信や募金の呼びかけをしています。
もしよかったら、読んでみてください。
HP:http://www.navyblue-challenger.com/
ブログ:http://navyblue-weekly.at.webry.info/
よろしくお願いいたします。

投稿: Navyblue | 2010年3月 3日 20時09分

Navyblueさん

ホームページとブログをさらっとですが、拝見しました。わたしは、Naveyblueさんとは逆に、食料援助はしないほうがいい、という考えを持っています。食料援助を増やすべきだというあなたの考えは、間違っていると思います。簡単に説明しましょう。

人類は、500万年の歴史の中で、気候変動による多少の増減はありますが、総人口400万人程度を上限に、安定して暮らしていました。それが、最後の1万年で、1000培から2000倍の人口にふくれあがってしまいました。農業をするようになったからです。
なので、生態学的に安定して生きていくためには、今の人口を1000分の1から2000分の1に減らす必要があると思います。

上の記事での主張と矛盾していると思われるかもしれませんが、自給・自治が成り立っている社会では、自発的に人口調整がなりたつのです。

飢餓は、食料の総生産量の問題ではありません。分配の問題です。なぜ、飢餓がなくならないように分配するかというと、飢餓は、社会秩序を維持するために有効な脅し(がんばって働かないと飢えるぞ)と慰め(働かされ通しだけれど、飢えるよりはマシ)になるからです。
食料援助は、最貧困層を存続させることにしかなりません。

多くの国では、農園や工場の労働者を保持するために、輸入した食料をあてがわれています。役牛にエサを与えるのと一緒です。


飢餓の存在は、知恵のある種である人類の恥です。食料援助をいくらやっても、飢餓はなくなりません。
ご存じのように、飢餓率が35%を越える地域は、すべて、紛争を抱えた地域です。飢餓ををなくすために第一に必要なことは、まず、戦争をなくすことです。これは、軍事産業との戦いです。
それと平行して進めなくてはならないのは、自給化です。食べものの生産は生活の基本です。そういう「生命線」を、他国に握られてはなりません。
ゴム・綿花・コーヒー・砂糖・チョコレート・バナナといったプランテーションは、すべて撤退するべきです。すべての工場も、そうです。それぞれの地域には、それぞれの地域に伝えられている生活のありようがなくてはいけません。
これが、わたしの考える、自給・自治・地域固有の文化の復権です。

反論、お待ちしています。

投稿: 田中敬三 | 2010年3月 4日 01時27分

田中さん、ホームページ、ご覧いただき有難うございました。僕は、人それぞれいろんな考えがあっていいと思うので、田中さんの考えを否定はしません。でも、僕は、近しい人が死んでしまうのは誰にとっても悲しく、食べ物が食べられないことは誰にとっても辛いから、多くの人の悲しみや辛さをイメージすると、緊急食糧援助は必要だと思います。マクロで見た場合には、食糧の「分配の問題」と「生産と消費のバランスの問題」の双方を、「食糧の生産・消費・分配のシステム」の均衡をとりながら、改善していくことが必要と考えてます。これに沿うものとして、持続的開発に賛成、自給・自治も賛成です。(役牛にエサを与える云々のくだりはいかがなものかと思いますが。)今後もブログ、楽しみにしてます。また食糧問題について書いてください!では。

投稿: Navyblue | 2010年3月 4日 21時21分

Navyblueさん

あなたがどんなに「善意」で食料援助を増やそうとしても、飢餓はなくなりません。理由は、すでに説明しました。現代の社会がそれを必要としているからです。国連が食料援助の予算を増やしても、そのお金はカーギル社に流れるだけです。「善意」は、飢餓がなくならない本当の理由を覆い隠す役割を果たします。わたしから言わせれば、共犯者です。「かわいそう」という感情で短絡的に行動するのは、止めてほしいです。

「役牛にエサ」の表現に反発されたようですが、自給する生活の場を奪われ、プランテーションで、あるいは実質外国資本の輸出専門の工場で働いている人たちは、解雇されたら、飢えるしかありません。
アフリカのいくつかの国では、アメリカからの遺伝子組み換えトウモロコシの食料援助を拒否したそうですが、要するに、必要な労働力を確保するためのエサ=飼料なのです。実質的に工場付属の売店で、輸入された食料を買うしかない、という状況は、よくあります。
飢えることに豊かな想像力を働かせるNavyblueさんには、ぜひ、飢餓層の一つ上の、過酷な労働条件で働かされている人たちのことも、想像していただきたいものです。
農産物の過剰生産+飢餓で総人口の調整をして、必要な労働力を確保するシステムによって、輸入食料をあてがわれ、膨大に人口を増やされてしまったのですよ。わたしたち高開発諸国によって、低開発諸国の人たちが、です。あえて極端に単純化して言ってますが。

「人口抑制策批判 その1」という、この元記事につなげて言いますと、自給・自治ができている社会は、自発的に人口調整ができるのです。増えすぎたら生きていけないのは、分かりますから。ピルやコンドームがない時代には、習慣として性交しない期間を設けたり、生まれた後に間引いたりしていました。そうやって、快適に生活できる社会秩序を守ってきたわけです。

アメリカ・ロシア・イギリス・ドイツ・中国などが、武器を売りつけなければ、下劣な紛争は収まるのですよ。そうすれば、紛争諸国の人びとは、安心して、食料生産ができるのです。
プランテーションや輸出専門の工場で働かされないで、自分たちの生活のためだけに働けるようになれば、調和のとれた、安定した社会が築けるのです。
わたしは、自由貿易に反対です。総ての独立国は、自由に関税を掛ける自由がなくてはいけません。本来ならば、こちらのほうが自由貿易と呼ぶにふさわしいのに、強い国の言い値で売り買いされる不自由な貿易が自由貿易と呼ばれているのは、「自由は束縛だ!」とされた、ジョージ・オーウェルの『1984年』の世界を思い出します。
自由貿易は、植民地主義の延長です。それぞれの国の人びとが、真の独立を達成して、外国資本を追い出して、自給・自治を達成することを、わたしは夢見ています。もちろん、それを実現するためには、人口の縮小がなければなりませんが、自給・自治の生活文化が復権すれば、強制されない、自発的な縮小が可能だと、わたしは思っています。

Navyblueさん、
「食料援助」などという思考の落とし穴に落ちることなく、どうかもっと包括的にものごとを考えていただきたいです。お願いします。
あなたのホームページは、善人ぶりながら、見る人をまどわせているだけです。
Navyblueさんが、本当に飢餓をなくしたいと思うならば、一番有効なのは、武器産業と戦うことです。これは、やりようによっては、命がけの仕事になります。
次に有効なのは、自由貿易に反対して、それと併行して、植民地化される以前にあった、自給・自治の生活文化を復権する運動に携わることです。
高開発国である日本国内では、武器製造に転用できる科学技術開発の停止と、自由貿易を前提としない自給・自治の生活文化の復権をすすめることが、力になると思います。

一人の人間がやれることは、とても小さいです。Navyblueさんは、障がいをもっていますから、それから来る制限もあるでしょう。でも、方向だけは間違えてもらいたくないと思って、私見を述べました。


地獄への道は善意で舗装されている。(ことわざ)

投稿: 田中敬三 | 2010年3月 4日 23時56分

「共犯者」とか、「人をまどわせてる」とか、言いたい放題ですね。。。僕は苦しんでいる人は助けたいと思うし、緊急援助が間違いだと思わない。頑固ですみません。。。でも、田中さんの理論も理解したいと思うので、これまでのブログの記事を読んで勉強させてください!

投稿: Navyblue | 2010年3月 5日 20時39分

ようやく対話をはじめる気になりましたか。
ふつうは、最初に、ある程度ブログを読んで、ブログ主の傾向を見極めてから、コメントするものなのですけどね。

Navyblueさん、あなたの最初のコメントを見返してみてください。当該記事への感想が一言もなくて、自分のホームページの告知だけですよ。
黙って削除しようか迷ったのですが、軽く返して、様子を見てみたのです。

悪いですけど、あなたのホームページは、もう見ないと思います。インターネットには情報が溢れていて、いっぽう、人生は短いからです。選択能力がなければ、方向を見失って、おぼれ死にます。
心配しないでください。わたしは、自分が書いた記事に対する批判には、基本的に、きちんと応える主義ですので、コメントは歓迎ですから。意見が違う人の書き込みを拒否したことはありません。

投稿: 田中敬三 | 2010年3月 5日 21時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/175263/40385565

この記事へのトラックバック一覧です: 人口抑制策批判 その1:

« 「有機」ということについて | トップページ | マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』(法政大学出版局) »