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山村暮鳥「月夜の牡丹」

Yamamura

栽培生活のホームページの「田舎の貸し本屋さん」のページで、山村暮鳥の「月夜の牡丹」がお読みいただけるようになりました。

http://saibaiseikatsu.jp/tsukiyono.html

山村暮鳥は、詩人。小作農家、工場労働者、小学校教員をへて、キリスト教日本聖公会の伝道師になりましたが、病気のために退職しました。
初期は、先鋭的な作風でしたが、晩年になってからは、素朴な味わいの作品を残しています。
この「月夜の牡丹」は、山村の遺稿です。

ユニコードの文字を使ったところがあるので、環境によっては、表示できないかもしれません。ごめんなさい。

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矢部正範・右京零『爆笑トリビア 解体聖書』コアラブックス

わたしの「栽培生活」のホームページのほうの掲示板に、「北海のヒグマ」さんが書き込んでくださった内容について、牧野時夫さんが彼のブログで、恐喝めいた口調で言い掛かりをつけています。引用します。

牧野時夫「北海道有機農業研究会という組織のこと 農民芸術学校ブログ」

「北海のヒグマ」とかいう人物も、北海道有機農業研究会の運営についてぼろくそに述べているが、彼もほとんど同類で、まあクレーマーというのか、言っていることは大方間違ってないかもしれないのだが、ひねくれ根性がありありで、そこまで言うのなら、それだけのことを自分でやってみてから言え! って感じなのである。

あらためて栽培生活の掲示板の書き込みを読んでも、北海道有機農業研究会の運営について「ぼろくそ」に言っているとは思えません。牧野さん自身、「言っていることは大方間違ってない」と認めているわけですから、「ぼろくそ」に言っていない運営を「ぼろくそ」に言われたと受けとっている、とうことは、牧野さん自身が、自分たちの運営を「ぼろくそ」だと認識しているのではないかと、想像してしまいます。
会の会計から役員報酬(交通費)もほとんど出なく、役員は「ボランティア」で活動している、とこのとですが、だったら、無理して役員を引き受け続けることはない、と、わたしは思います。すきで引き受けた役員ならば、多少苦労があっても、職務を果たすのが当然です。その苦労を、周囲に当たり散らして、はらされたりしたら、迷惑です。
組織運営の能力のある人がいなくて、その組織が立ちゆかなくなるのだとしたら、それは、し方がないことです。解散すればいいのです。人に八つ当たりするのは、やめてほしいです。
「北海のヒグマ」さんは、あえて会員であることを継続しませんでした。北海道有機農業研究会を見放しているのですよ。自然退会した人に向かって、「それだけのことを自分でやってみてから言え!」って、とり違いも甚だしいです。多くの自然退会する人を出した会の運営を反省すべきです。

上にリンクした先の牧野さんの発言で、わたし田中が、陰でこそこそ牧野批判をしている、みたいなことを言っていますが、わたしは、本を出したり、テレビでよく発言したりしたりしている人について何か言うときに、いちいち本人に報告しません。ブログも同じで、不特定多数に向かって発信されたメッセージについては、それについて扱うことに、元の発信者に許諾を得たり、報告したりする義務があるとは、考えていません。批判されるのがいやならば、ブログのような、誰でも見ることができるような場で、意見を言ったりしなければいいんです。
もちろん、ある著作物をそっくり転載するような場合は、書いた人に許諾をもらう必要がありますが、一部を引用してコメントするのは、法律上、自由です。許諾はいりません。
牧野さんは、わたしのブログをご自分のブログにリンクしているらしいですが、わたしは、牧野さんのブログをわたしのブログにリンクしていません。リンクしていないどころか、わたしは、牧野さんのブログを、見ることもしていません。今回は、たまたま、検索エンジンで調べごとをしていたら、自分のことが言われているのを発見したので、当該ページだけを見に行ったのです。
わたしに牧野さんのホームページやブログを見たくない、という気持ちにさせたのは、牧野さんのブログでの、牧野さんのわたしに対する、非常に不誠実な態度でした。このことは、ご本人もよく覚えていると思います。
牧野さんのほうからは、このブログに、「マッキー」とか「えこマッキー」とかといった名前で、ときどきコメントをくれますから、見に来てくれているんだ、ということは、わたしも認識しています。陰でこそこそ批判したのではありません。わたしが見に行っていないのを知っていて、上記リンク先(農民芸術学校ブログ)の記事を書いた牧野さんのほうが、よっぽど、陰でこそこそです。こそこそではなくて、ぎゃあぎゃあ、かな。神に後ろ盾になってもらうと、態度が大きくなるのですね。
「栽培生活」の掲示板の内容に意見があるのならば、当の掲示板に書き込んでください。

上記リンク先のブログで、ある方から、「聖書」の読み方について、質問されました。優れた「ネタ本」がありますので、ご紹介します。

矢部正範・右京零『爆笑トリビア 解体聖書』コアラブックス

冗談のような書名ですが、内容は、まともです。「聖書」を、非常によく読み込んで、書かれていることが分かります。
見開きの右のページに、「聖書」からの引用と、それへの矢部さんのコメントが、左のページには右京さんの漫画が載っています。聖書を読むときの、心強いガイドになってくれると思います。
本の帯に書かれていることを写しておきます。

読んでびっくりの、聖書の基礎知識!
信者は聖書を絶賛する! されど守らず!
聖書には、いいことがいっぱい書いてある!
でも、???なこともいっぱい書いてある!
聖書のいいところも???なことも知らなければ、国際世界は見えてこない!
聖書なんか読んだコトもない! 興味もない!
・・・・という人にも、爆笑しながらイッキに読める、現代人必携の書!
イエスは説教する! されど自分は守らず!
「右の頬を打たれたらば左の頬を!」とイエス様。でも、イエス様本人は頬を打たれて逆上!
「汝の敵を愛せよ!」とイエス様。でも、イエス様本人は、呪いまくり!
「自分のことであれこれ思い悩むな!」とイエス様。でも、イエス様本人は悩みます。
聖書の中にハッキリ書いてあっても、信者が触れたがらないところを、余すところなく公開!

だそうです。
「聖書」の中の変なところ、矛盾したところを、洗い出しています。この本に引用されている部分を、「聖書」で読み返すと、確かに変なのです。「聖書」には、変なこと、恐ろしいことが書かれているところが、いっぱいあります。でも、読んでいるうちに慣れてしまって、変なことが変でないように感じられてくるようになります。
この「トリビア」を片手に「聖書」を読めば、「聖書」のマインドコントロールにはまらないで、「聖書」を読むことができるようになると思います。「聖書」を笑うことで、「聖書」の毒をなくしてしまおうとしているのです。笑って読まないと、悲惨すぎますからね、「聖書」って。
一家に一冊、「聖書」と、「聖書」の批判的な読み方を教えてくれる、このすばらしい本を! キリスト教に感染させられないためのワクチンと思って。強力にお勧めします。

この「トリビア」には、直接には出てきませんが、神が異教徒を殺せと命令する部分を、聖書から引用します。以前にもこのブログで引用したことがあるのですが、味わい深いので、もう一度、どうぞ。

戦争について

 ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を勧告しなさい。もしその町がそれを受諾し、城門を開くならば、その全住民を強制労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。ただし、女、子供、家畜、および町にあるものはすべてあなたの分捕り品として奪い取ることができる。あなたは、あなたの神、主が与えられる敵の分捕り品を自由に用いることができる。このようになしうるのは、遠く離れた町々に対してであって、次に挙げる国々に属する町々に対してではない。あなたの神、主が嗣業(しぎょう)として与えられたる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあたなたちに教えて行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。
(新共同訳聖書 申命記 20.10-18)

もう一つ、キリスト教の本質を理解するのに役立つ、参考サイトをご紹介します。コメントで、id さんが教えてくださった、岸田秀さんの論文が読めるサイト、2つです。マインドコントロールにどっぷり漬かっている人には分からなくなっていることを、距離をおいて観察することで、批判することができるようになったよい例です。

岸田秀「国家論」

岸田秀「屈辱の連鎖としての歴史」

【関連記事】
北海道有機農業研究会のメーリングリストから

※ よろしければ、コメント欄↓↓も、ごらんください。

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リウカカント「ダブルファンタジー」

Double_fantasy

これは、本ではなくて、音楽CDです。リウカカントの新譜です。

リウカカント Riwkakant というのは、ボーカルの床絵美さんと、ピアノ・シンセサイザーの海沼武史さんのお二人によるユニットです。
リウカカントというのは、アイヌ語で「橋(リウカ)宇宙(カント)」という意味なのだそうです。
美しく、心地よい床絵美さんの歌と、自然で繊細な海沼武史さんの音楽がつくりだす世界は、穏やかで味わい深いく、一度聞いたら、やみつきになりそうです。

リウカカントのホームページがありますので、のぞいてみてください。一部の曲は、試聴することができます。
YouTube で「Riwkakant」で検索しても、映像付きで聞くことができるようです。
海沼さんは、写真家でもいらっしゃいます。マルチ・アーティストです。

で、このCD、CD屋さんでは買えません。上記のホームページからメールで注文して、アーティストの事務所から直接届けてもらうようになっています。いわば、音楽の産地直送ですね。
メールで問い合わせると、海沼武史さんから、直接返信のメールが届きます。それだけで、わたしは、単純に、ミーハーチックによこんでいます。

リウカカントには、もう1枚、ユニット名と同じ「リウカカント」というアルバムもあります。このCDについていた言葉の一部を引用します。

無文字社会であったアイヌ民族にとって、たぶん「音楽」という概念はなく、彼らにとって「音楽」とは、「唄と踊り」のことであり、また「儀式」そのものの謂いで、そこに演奏者と鑑賞者という境界はなかったと思います。

そうなんですよね! どこかの会場に聞き手を呼んで演奏して聞かせる「音楽」ではない。生活が、生きている人がそこにいる、というだけのことなんですね。特別なことではないのだと思います。
声は、人柄を表します。その人柄は、生活の中で、他の人たちの声を聞く中で、つくられます。そうやって、伝えられていくものが、文化なのだと思います。そう思って聞くと、人それぞれの声が、味わい深く聞こえてきます。人の声からイメージ(妄想?)が広がります。リウカカントの音楽は、わたしに、人の声の聞き方、味わい方を教えてくれました。

リウカカント、気に入ったので、「勝手に宣伝」させていただきました。

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北海道有機農業研究会、まとめ

わたしは、以前の記事で、有機農業を批判しています(「「有機」ということについて」)。わたしとしては、自然農ならやりたいですが、有機農業は、やりたくありません。
そもそも
「有機」という概念が肌に合いませんし、法律で規定されている「有機農業」にも、ひかれるものを感じません。まして、自分から有機農産物を買って食べる、なんてことは、ありません(単純に、値段が高いし)。
掲示板のほうにも書きましたが、要するに、有機農業というのは、「生産者と都市の富裕層とが結託して、お互いの生き残りをはかろうとしているだけ」のことで、ディープ・エコロジーの観点から言えば、生産者―消費者の関係にはさわらないうえに、食料生産には(手間ひまかけるので)余計にエネルギーを消費するようになる。ですから、結論から言えば、やらないほうが「いい」のですが、わたしがそんなことを言っても、誰も何とも思わないでしょう。直感的に分かりやすい言い方で、今のわたしの心境を表現すれば、「有機農業? 勝手にやれば?」という感じです。

ここのところ、北海道有機農業研究会のことを書いているのですが、この会の催しに集まる人たち(生産者、消費者、研究者)のどの人たちとも、立ち位置や感性が遠く感じられます。(あ、家庭菜園とか、自給農みたいな人なら、近いかな。でも、そういう人って、ゼロではありませんが、ほとんど残っていないみたいです)。
こんなときに、もしそばに釈尊がいたら、「分からない」人たちとは、深く関わらないで、「ひとり、犀の角のように歩め」って、言うのでしょうね。中島正さんも、「周囲との関係を切って、みの虫になれ」って言うのではないでしょうか。勝手に想像して言ってますけど。

北海道有機農業研究会とは、わたしとしては、深入りしないで、ほどほどにおつきあいしようと思います。
わたしは、栽培技術的には、試行錯誤でやってくスタイルがなじんでいて、有機農業式の栽培から学ぶことは、少ないと思います。社会的・農業政策的な考え方の勉強としても、あえて尊大な言い方を許してもらえるなら、「大枠は、見えてしまった」という感じが、しないではありません。

以下に、北海道有機農業研究会のメーリングリストに送った、わたしのメールを掲載します。けっきょく、会を「切り捨て」ることは、しませんでした。なぜなのかは、自分でもよく分からないです。

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田中敬三「会員名簿の管理のことと、総会の会場選定のこと」

会員名簿の管理のことと、総会の会場選定のことでお騒がせしております、といいますか、お騒ぎしています、田中敬三です。上記2点について、若干補足させていただきます。

まず、会員名簿の管理の件です。
去年の事務局長の××さんと、おととしの事務局長の××さんに電話をして、事情をお聞きしました。おととし、わたしが入会したときに紙に手書きした住所をパソコンに入力するときに、間違えて、他の会員の方の住所を入力してしまったらしいです。
去年の総会は、わたしは、総会が終わったあとで、総会があったことを知りました。わたしは事務局に電話をして、連絡が来なかったことを抗議して、正しい住所を言いました。××さんは、わたしの住所を正しく直した住所録をつくって、××さんに事務を引き継いだ、とのことですが、実際の住所録は、おととしの間違ったままの住所でした。ですから、今年の総会の案内も届かなかったのです。
これは、わたしの想像ですが、××さんは、わたしの住所を直したあと、保存しないでファイルを閉じてしまったのではないでしょうか。そうだとすると、正しく直した記憶と、実際に直っていないファイルとの、つじつまが合います。
2年間、連絡が来ないので、「何これ、いじめ?」と、疑心暗鬼になりましたが、説明をうかがって、事務局には、もちろん、悪意などなく、ただ偶然、運悪く、「うっかりミス」がわたしに重なって当たってしまったのだ、ということが分かりました。
今回、××さんに、正しい住所に直してもらいましたので、仕切り直しということで、改めまして、みなさん、よろしくお願いいたします。

会場選定の件で、クリスチャンセンターは、会場がすいていて、利用料金も安い、とありましたが、それには理由(わけ)がある、ということを、たとえを使って補足します。
民放のテレビは、NHKのように受信料をとらなくて、「安い」と思われているかもしれませんが、コマーシャルの効果が実際にあるから、放送局は成り立っているのです。いつの間にか暗示にかかって、商品を買わされているわけですから、じつは、ものすごく高いテレビ番組と考えられるかもしれないのです。
宗教団体関連の施設も、それと同じようなものです。その宗教に親しませて、近づきやすいムードにする効果がある、と思われるから、あえて安い料金に設定してあると考えられるのです。

わたしは、テーラワーダ仏教を信仰しています。
現在、テーラワーダ仏教徒が国民の多数を占めるスリランカでは、もともとテーラワーダ仏教の信仰が盛んだったのですが、スリランカを占領したイギリスは、教会と学校を建てて、キリスト教の布教を進めました。学校は国民の税金でまかなわれていましたが、西洋文明やキリスト教こそが優れていて、仏教や伝統的な文化は、低級・野蛮なもの、という価値観に基づいた教育が、徹底しておこなわれました。学校長は神父や牧師が兼ねていて、生徒が学校を卒業して、役人などの社会的地位のある職に就こうとするときには、学校長から「キリスト教徒である」という証明書をもらわなければなりませんでした。
こうした政策のために、一時、仏教は滅びかけますが、やがて、仏教復興運動が起こって、それがスリランカ独立の原動力になります。
自分が信じるのと同じテーラワーダ仏教を信じるスリランカの人たちの歴史を思うとき、高野さんの言われた「器(文化)」の大切さを、改めて、しみじみ感じないではいられません。
わたしが、クリスチャンセンターでの総会に参加できない気持ちを、少しでも分かってもらえたら、と思って、書きました。失礼しました。

次回からは、もらったブルーベリーの苗穂のこととか、拓殖短大の食農研の「メ・シクーナ」というミニコミ(わたしも原稿を書いた)のこととか、栽培のブログっぽいことを書きましょうね。

【関連記事】
北海道有機農業研究会の場合
北海道有機農業研究会のメーリングリストから
矢部正範・右京零『爆笑トリビア 解体聖書』コアラブックス
藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)
一楽照雄と日本有機農業研究会

【参考外部リンク】
北海道有機農業研究会という組織のこと - 農民芸術学校ブログ

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北海道有機農業研究会のメーリングリストから

きのうの記事、「北海道有機農業研究会の場合」で、わたしが書いたところだけををご紹介しました、北海道有機農業研究会のメーリングリストでの一連のやりとりですが、書き手のかたがたから転載承諾が得られましたので、つなげてご紹介します。本当は、もうひとかた、転載承諾待ちの書き手のかたががいらっしゃるのですが、そのかたの分は、承諾が得られてから追加することにします。承諾してくださったかたがた以外のかたのお名前は、××で伏せます。それ以外は、原文のままです。

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田中敬三「北海道有機農業研究会の総会に参加しません」

××様

会員名簿管理の状況についてお答えいただきありがとうございます。

会員名簿の管理については、2点、指摘させていただきます。

一点は、わたし田中は、北広島に住んでいたことは一度もないということです。「今回も北広島に送らせていただきました」とありますが、「北広島」って、どこの田中さんの話ですか? 去年の××さんの言い訳も呆れましたが、××さんのこのお答えを聞いて、管理のし方が杜撰そうな印象を、さらに濃くしました。

もう一点は、2カ月ほど前の、11月11日に××さんの名前で発送されたメールが、宛先がCC(カーボンコピー)で、全員のアドレスが晒されているんですけど、これについては、どのように思われているのか、新旧事務局の見解をお知らせください。

会員名簿の管理については、以上です。

今年の総会の会場が宗教団体関連の施設となっていることについて、わたしは、信じられないほどの不見識だと考えていますが、役員の人たちはどう考えていらっしゃるのか、ぜひともうかがいたいです。黙る、という反応も含めて、それぞれの方がどのように考えていらっしゃるのか、非常に興味があります。

  田中敬三

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牧野時夫「田中様の質問へのお答え」

牧野です。

 田中敬三さんの毛嫌いしているクリスチャンの一人ですが、私の意見を述べます。北海道クリスチャン・センターは、宗教に関係なく一般の市民活動に広く開放している施設です。仏教徒の方が使いたくないと言って利用しないことに文句を言うつもりはありませんが、クリスチャン・センターに偏狭な考え方はありませんから、もしかしたら仏教やイスラム教の集会にだって快く貸してくれるかもしれません。有機農研として利用することに、何ら問題はないと思います。というか、問題にする方が、おかしいと思います。
 例えば上智大、立教大、青山学院大、明治学院大、北海道では酪農学園大、藤女子大、北星学園大など、みなキリスト教主義の大学ですが、クリスチャンだけを対象にしたものではないし、学生をクリスチャンにしようとしているわけでもないのと同様です。全国吹奏楽コンクールの最終会場は、普門館という立正佼成会の経営するホールですが、キリスト教主義の学校でも参加を拒否したという話はきいたことがありません。

 宛先をBccにするべきところ、Ccにしてしまうことは、私も何度かやってしまったことがあります。ミスはミスですが、謝れば済むことです。その場で本人に指摘してあげれば、よいのではないでしょうか?

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田中敬三「Re:田中様の質問へのお答え」

牧野様

お答えありがとうございます。牧野さんは答えてくださると思っていました。

簡単にコメントします。クリスチャンセンター側が広量な精神をもって、仏教徒やイスラム教徒にも施設を貸すとしても、仏教徒やイスラム教徒側では、クリスチャンセンターで催しをしようとはしないでしょう。
問題の所在は、施設を貸す側ではなく、借りる側がどの施設を選ぶか、というところにあります。宗教団体関連の施設でなければ参加したいと思っていた人が、参加できなくなるわけですから、その責任は、会場を選択した人にあります。
北海道有機農業研究会は、有機農業を研究する団体ですから、宗教団体関連の施設を選ばなければ、誰でも気持ちよく参加できるはずです。わざわざクリスチャンセンターで総会を開催しようとするのは、常識的に考えても「変」です。
それでも、北海道有機農業研究会の総会をクリスチャンセンターで開催することを「問題にするほうがおかしい」とおっしゃるのであれば、それは、文化の多様性を理解しない、傲慢な考え方だと思います。
ミッションスクールについては、ミッションスクールだから行かない、という人は、いくらでもいます。

CCについては、会員名簿の杜撰な管理と同質の問題で、メーリングリスト参加者全員のアドレスを無断で晒してしまっているわけで、こういう事では困る、ということの一例として挙げました。

以下は、事務局への意見です。

わたしのところに去年も今年も総会の案内が届かないのは、どうやら、北広島の田中さんという人の所に届いていて、間違いとして返送されてこなかったから、というのが真相なのでしょうか。
わたしは、去年の1月に会に転居届を出したのではなく、会報類が届いていないことに気づいたわたしが、3度請求しても来なかったので、××さんに電話をかけて、「正しい」住所を連絡したのです。それなのに、今年の総会の案内も届かないというのは、本当に北海道有機農業研究会の事務局って、どうなっちゃってんの?!って感じなんですけど。
今年は総会前に発見できてよかったですが、会場がクリスチャンセンターということなので、わたしは参加できません。キリスト教関係だからどうのといちゃもんつけているのではないのです。有機農業の研究団体なのですから、誰でも気持ちよく参加できるように、特定の宗教や特定の政治傾向などに関係しない会場を選ぶのは、役員として当然の義務ではないかと、わたしは思います。

  田中敬三

■―――――■―――――■―――――■

高野健治「田中様へ」

高野です。
いろいろ不愉快な思いをさせてすみません。
以前交流会で親しくお話して以降、お会いできなくて、深川でその後、どうしていらっしゃるかと思っていましたが、こちらの不手際で全然案内が行ってなかったんですね。本当に申し訳ありません。
さて、私は、田中さんおっしゃる所の、ずさんで不見識な会の代表を現在しておるのですが、クリスチャンセンターを総会学習会で使用することについて、私の考えを述べさせていただきます。
私は、田中さんのように、敬虔な仏教徒でもなければ、牧野さんのようにクリスチャンでもありません。もともと宗教には多大な興味を持っていましたが、現在無宗教だと言ってよいでしょう。

田中さん、実は去年の我会の総会学習会は札幌の世界救世教の建物をお借りして行われています。去年、世界救世教で今年、キリスト教ですから、田中さんに言わせると、もう滅茶苦茶ということになりましょう。でもね、残念ながらこの会はそういう会なんですよ。
私も、この会に入った時、いろんな意味で、もうちょっときちんとした方が良いんではないかと思いました。しかし、事務局のずさんさは強く自己反省しなければなりませんが、それ以外の物事に対する「ゆるさ」こそがこの会の魅力なのでは?!と思っています。
田中さんは「不見識」とおっしゃいます。 私は「見識の違い」かなと思うわけですよ。

ぶっちゃけた話、会場として、集まりやすく、しかも低料金な場所はなかなかないんです。
クリスチャンセンター内で宗教的なことを押し付けられたら私も嫌ですが、今まで、何べんもこの会場を使用してますが、そういうこともなかったですし、器はどこだって、良いんじゃないのかなーと、言うと田中さんをまた怒らしてしまうかな?
どうですか、田中さん、今度農業の話以外にも宗教の話もしませんか、個人的に。
良かったら、長くこの会ともお付き合いください。

■―――――■―――――■―――――■

田中敬三「Re:田中様へ」

高野さん、こんにちは。

誠実なお答えをいただき、ありがとうございます。高野さんの発想の「ゆるさ」に、ほっとさせられました。

個人的には、キリスト教であれ、神道であれ、宗教団体関連の施設での総会への参加は、遠慮させていただきます。皆さんにお会いできないのは残念ですが、わたしの宗教的良心が許さないですね。

それで迷惑をこうむる人がいない限り、文化の多様性は、できるだけ尊重されるべきだと、わたしは思っています。その意味では、「器はどこでもいい」というご主張は、文化の否定のように感じられます。

わたしは、思っていることを、わりとすぐ言ってしまうのですが、中には、黙って欠席する人もいるかもしれませんし、出席はするけど、違和感を抱き続ける、という人も、いるかもしれません。

来年の総会の会場選定のときは、「ついていけない」と感じかけている人がいるかもしれない、ということを、ちらっとでも想像していただけると、うれしいです。

■―――――■―――――■―――――■

高野健治「Re:田中様へ」

田中さん、ご返答ありがとうございます。
なるほど、器も文化なのかもしれませんね。
文化を否定するつもりはないのですが、確かに、僕は仏、あるいは神というものの在りように比べたら器(文化)を軽視しているかもしれません。
ところで、道新の朝刊に五木寛之が親鸞について小説を連載しています。ご存知ですか? 今、若き日の親鸞は「仏とは何か」について、苦しみながら自問自答して答えを探し求めています。
田中さん、『仏とは、何なのでしょう?」、そして『仏はどこにいるのでしょう?」答えはこの欄でしなくて結構です。今度、お会いした時にきかせてください。
田中さんのような考えの会員が一人でもいる以上、次回からは会場について 留意します。
転載の件、O・Kです。 では、お元気で!
高野

■―――――■―――――■―――――■

田中敬三「Re:田中様へ」

高野さん、
こちらこそありがとうございます。

器(文化)って、大切なのです。集金力のある宗教団体は、集会場でも、講演会場でも、コンサートホールでも、学校でも、病院でも、図書館でも、何でもつくって、「器」をとおして布教をすすめてこようとします。そういった文化戦略には、自覚的でありたいものです。

で、総会の会場には、わたしのように声を上げる人がいなくても、公共の施設のような、ニュートラルな会場を選んでください。たばこの煙を迷惑だと声を上げる人がいなくても、公共の場では喫煙しないのと同じようなことです。

1月の中旬に開催する、と決めたら、公共の施設の予約申し込み開始にあわせて、近所でいける人に、行って予約してもらえば、それですむことです。今回のように、2週間前に開催を知るのでは、都合のつかない人もいます。

ちなみに、わたしは、きょう、16日現在、まだ、総会の案内を受け取っていません。このメーリングリストで、総会があることを知っただけです。
事が終わったあとで案内が来ても、古新聞の束を持って来て、新聞の購読料を請求されるようなものです。

宗教の話は、はた迷惑な信仰を押しつけようとする人が近くにいる状況では、時間の無駄なので、したくありませんが、誠実そうな高野さんとでしたら、有意義な時間が過ごせそうです。
いつか、お会いできるときを楽しみにしています。

  田中敬三

【関連記事】
北海道有機農業研究会、まとめ
一楽照雄と日本有機農業研究会
藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)

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北海道有機農業研究会の場合

世の中には、いろいろな組織がありまして、人間がやることですから、何かとトラブルはつきまとうわけなのであります。
栽培生活の掲示板のほうで、今、盛り上がっている話題で、「北海道有機農業研究会」という組織があります。掲示板を見て、「メーリングリスト」って、何?という人のために、くだんのメーリングリストでの一連のやりとりを、このブログに転載しようと思ったのですが、書いた人たちが転載を許可してくれそうにないので、とりあえず、わたしが書いたところだけを転載することにします。個人名は××で伏せます。
組織運営の参考にしていただければ、幸いです。

××様

会員名簿管理の状況についてお答えいただきありがとうございます。

会員名簿の管理については、2点、指摘させていただきます。

一点は、わたし田中は、北広島に住んでいたことは一度もないということです。
「今回も北広島に送らせていただきました」とありますが、「北広島」って、どこの田中さんの話ですか? 去年の××さんの言い訳も呆れましたが、××さんのこのお答えを聞いて、管理のし方が杜撰そうな印象を、さらに濃くしました。

もう一点は、2カ月ほど前の、11月11日に××さんの名前で発送されたメールが、宛先がCC(カーボンコピー)で、全員のアドレスが晒されているんですけど、これについては、どのように思われているのか、新旧事務局の見解をお知らせください。

会員名簿の管理については、以上です。

今年の総会の会場が宗教団体関連の施設となっていることについて、わたしは、信じられないほどの不見識だと考えていますが、役員の人たちはどう考えていらっしゃるのか、ぜひともうかがいたいです。黙る、という反応も含めて、それぞれの方がどのように考えていらっしゃるのか、非常に興味があります。

ちょっと補足します。去年の総会の案内が、事務局のミスによって、わたしのところに届かなくて、わたしは、去年の総会には、参加できませんでした。で、事務局に電話をして、正しい住所を伝えたのです。なのに、今年の総会の案内も届かなかった、という事情です。
はい、では、続きです。このあと、宗教がらみの記述に反応して、××さんからの投稿がありました。それへの、わたしからの答えです。

××様

お答えありがとうございます。××さんは答えてくださると思っていました。

簡単にコメントします。クリスチャンセンター側が広量な精神をもって、仏教徒やイスラム教徒にも施設を貸すとしても、仏教徒やイスラム教徒側では、クリスチャンセンターで催しをしようとはしないでしょう。
問題の所在は、施設を貸す側ではなく、借りる側がどの施設を選ぶか、というところにあります。宗教団体関連の施設でなければ参加したいと思っていた人が、参加できなくなるわけですから、その責任は、会場を選択した人にあります。
北海道有機農業研究会は、有機農業を研究する団体ですから、宗教団体関連の施設を選ばなければ、誰でも気持ちよく参加できるはずです。わざわざクリスチャンセンターで総会を開催しようとするのは、常識的に考えても「変」です。
それでも、北海道有機農業研究会の総会をクリスチャンセンターで開催することを「問題にするほうがおかしい」とおっしゃるのであれば、それは、文化の多様性を理解しない、傲慢な考え方だと思います。
ミッションスクールについては、ミッションスクールだから行かない、という人は、いくらでもいます。

CCについては、会員名簿の杜撰な管理と同質の問題で、メーリングリスト参加者全員のアドレスを無断で晒してしまっているわけで、こういう事では困る、ということの一例として挙げました。

以下は、事務局への意見です。

わたしのところに去年も今年も総会の案内が届かないのは、どうやら、北広島の田中さんという人の所に届いていて、間違いとして返送されてこなかったから、というのが真相なのでしょうか。
わたしは、去年の1月に会に転居届を出したのではなく、会報類が届いていないことに気づいたわたしが、3度請求しても来なかったので、××さんに電話をかけて、「正しい」住所を連絡したのです。それなのに、今年の総会の案内も届かないというのは、本当に北海道有機農業研究会の事務局って、どうなっちゃってんの?!って感じなんですけど。
今年は総会前に発見できてよかったですが、会場がクリスチャンセンターということなので、わたしは参加できません。キリスト教関係だからどうのといちゃもんつけているのではないのです。有機農業の研究団体なのですから、誰でも気持ちよく参加できるように、特定の宗教や特定の政治傾向などに関係しない会場を選ぶのは、役員として当然の義務ではないかと、わたしは思います。

  田中敬三

はい。この××さん、クリスチャンセンターで総会を開催することを「問題にすることがおかしい」とのたもうのです! で、クリスチャンセンターは、宗教に関係なく誰でも利用できる、と。そして、ミッションスクールを例に挙げて、それらと同じだ、と。ミッションスクールは、「学生をクリスチャンにしようとしているわけでもない」ですって。あのう……ミッションスクールって、日本語に訳すと、「伝道学校」なんですけど。
この××さん、こういう、まったく矛盾することを平気で強弁するくせがあるんですよね。以前も、ご自分のことを、「絶対的権威(神)に服従するアナーキストだ」と、自己規定されていました。白い猫は黒猫だってか。束縛は自由だ!ってか。オーウェルですか。××さんは、バクーニンを読んだことがないんじゃないかと推測しますが、どうですか。百科事典の解説じゃなくて、本として、の話で。
××さんではないですが、ちょっと前に、詩人で、キリスト教日本聖公会の伝道師でもあった山村暮鳥の詩を読んでいましたら、「苦痛は美である!」「苦しめ」とかいう行が出てきました。日頃からはりつけの物語に親しんでいると、感覚が倒錯してくるのかもしれません。図書館で借りたこの山村暮鳥の詩集の中に、明白な差別用語がもろに差別的に出てきたので、図書館の職員に指摘したら、閉架のほうに引っ込めてしまいました。

次は、別の方からです。
この方は、わたしが総会の会場の選定が「不見識だ」と非難したことに対して、「見識の違いでしょう」と、かわします。そして、こういう「ゆるさ」が、この会の味なんだ、とおっしゃいます。過去には、世界救世教の施設で総会を開催したこともあるそうです。信ジラレナ~イ! 不見識というか、無節操というか。
はい。では、その方への、わたしからの答えです。

××さん、こんにちは。

誠実なお答えをいただき、ありがとうございます。××さんの発想の「ゆるさ」に、ほっとさせられました。

個人的には、キリスト教であれ、神道であれ、宗教団体関連の施設での総会への参加は、遠慮させていただきます。皆さんにお会いできないのは残念ですが、わたしの宗教的良心が許さないですね。

それで迷惑をこうむる人がいない限り、文化の多様性は、できるだけ尊重されるべきだと、わたしは思っています。その意味では、「器はどこでもいい」というご主張は、文化の否定のように感じられます。

わたしは、思っていることを、わりとすぐ言ってしまうのですが、中には、黙って欠席する人もいるかもしれませんし、出席はするけど、違和感を抱き続ける、という人も、いるかもしれません。

来年の総会の会場選定のときは、「ついていけない」と感じかけている人がいるかもしれない、ということを、ちらっとでも想像していただけると、うれしいです。

  田中敬三

とまあ、こんな感じで、やりとりしました。
結果から言うと、会の、ほとんど唯一の活動である総会の案内が、2年連続して、わたしのところへ届かなかった、ということと、総会を宗教団体の関連施設で開催することについて、「おかしい」という感覚がない、ということです。変でしょう?

北海道有機農業研究会というのは、こういうところです。ご参考までに。

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一楽照雄と日本有機農業研究会
藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)

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乾燥ジャガイモをつくってみる

「ジャガイモ博物館」というサイトがあります。その中に、アンデスの高地でつくられている「チューニョ(乾燥ジャガイモ)」についての記事があります。これをつくってみようと思い立って、やってみました。やりやすいように、ちょっとアレンジしてあります。

まず、ジャガイモの皮をむいて、冷凍庫で一晩、冷凍します。翌日、水にさらして、解凍します。日中は、そのまま水にさらしておきます。

Reitokaito

さらした水には、ジャガイモの「あく」がしみ出て、赤茶色になります。この冷凍-解凍を4日間、繰り返します。4日目には、もう「あく」は、ほとんど出てこなくなります。
それからこのふにゃふにゃになった芋を、洗濯ネットに入れて、ソメラの高速脱水機にかけて、脱水します。ちなみにアンデスでは、足で踏んで脱水させるそうです。
で、そのあとは、「エアドライII」という、ファンで風を当てて食品を乾燥させる乾燥機にかけて、乾燥させれば、できあがりです。

Hoshiimo

これが、できあがった乾燥ジャガイモです。6時間ぐらい風を当てておくと、カチンカチンに固まります。平べったくつぶれた、白っぽく乾いた粘土のかたまりみたいです。これを見せて、ジャガイモだと分かる人は、少ないと思います。何年でも保存がききそうな雰囲気です。

さっそくですが、水で戻して、煮付けて食べてみましょう。

Nihoshiimo

丸みのある、元の芋の形に戻りました。形状記憶芋のようです。黒っぽいのは、しょう油の色もありますが、煮戻すと、黒っぽくなる性質があるみたいです。
味は、生のジャガイモの煮付けから、ジャガイモの香りを抜いたような、くせのない、素朴な味です。たとえば豚肉みたいな、脂気のある動物質の食材と組み合わせて料理すると、よりおいしくなりそうです。

冷凍-解凍の過程なしで、生のままのジャガイモを、乾燥・保存させることはできないでしょうか。試してみました。

千切りスライサーで、ジャガイモを千切りにします。ざるにとって、大きな鍋の中で水にさらします。このさらした水の中には、デンプンが溶けていますから、捨てないで、とっておいてください。
水にさらしたジャガイモは、洗濯ネットに入れて、ソメラの高速脱水機にかけて、脱水します。そして、ネットのまま乾燥機「エアドライII」に入れて、乾燥させます。半日ほど乾燥させると、パリパリの乾燥ジャガイモになります。

Sengirikiriboshi

「こうなご」と切り干し大根の中間みたいな、一風変わったものができます。
水で戻して、油で炒めて、きんぴらにしたり、水で戻して、ゆでて、ドレッシングかマヨネーズであえて、サラダにしたりして、食べます。
千切り状のジャガイモが、煮てあるの煮くずれないでいる、というのは、意外な感じがします。

Kinpirasalad

ところで、最初にジャガイモを水にさらしたときに、さらした鍋の水をとっておいてくださいと言いましたが、あの水から、デンプンをとり出してみましょう。
ジャガイモをさらした水は、しばらくおいておくと、デンプンが沈殿してきます。上水は、「あく」を含んでいますので、静かに流して捨てます。ざるの目をすり抜けた細かい「かす」が気になるようでしたら、目の細かい茶こしでこしとると、いいです。
で、「もう一度水を入れて、沈殿したら上水を捨てる」を、3回繰り返します。そして、最後はそのまま自然に乾燥させれば、ジャガイモデンプンのできあがりです。
デンプンは、栄養成分的には、炭水化物のかたまりみたいなものです。

Denpundangojiru

デンプンの簡単な使い方としては、水に溶いて、スープに混ぜて、とろみ付けに使うというのがあります。今回は、もうちょっと手を加えて、カボチャの団子汁をつくってみました。

まず、カボチャをゆでて、マッシャーでつぶします。冷めたら、デンプンと上新粉(米の粉)を混ぜて、こねてちぎって丸めて団子をつくって、お湯でゆでます。別にスープをつくっておいて、そこにゆで上がったカボチャ団子を入れて、できあがりです。
この団子は、煮くずれしないので、重宝します。黒蜜をかけたり、きな粉をまぶしたりして、甘くして食べても、おいしいです。

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陸稲のもちの磯辺巻き

去年収穫した陸稲で、おもちをつくって、磯辺巻きにして食べました。

まず、「もみ」で保存してあったもち米を、「ミニダップ(インペラ式もみすり機)」にかけて、脱ぷします。

Momisuri1 これが、もみすり機で、もみ殻をとりのぞいてくれます。大竹製作所という会社の製品です。
この機械をとおして出てくるのは、いわゆる「玄米」状態のお米です。玄米でしか食べないのでしたら、この機械があれば、それだけで、精米は完了です。
白米、胚芽米、五分づき米なんかにしたいのであれば、このあとさらに、精米機という機械にとおして、玄米のまわりについている薄皮を削ります。

Marumasu1 これが、循環式精米機です。マルマス機械という会社の「しろがねSL型」という製品です。
じつは、この精米機でも脱ぷはできるのですが、やはり、脱ぷ機をとおしたあとに、精米機をとおす2段階方式のほうが、精米むらが少ないので、お勧めです。
それから、この精米機だけで脱ぷもすると、もみ殻とぬかが混ざって出てくるので、もみ殻とぬかを別個に利用しようとする場合は、やはり、2段階方式でやったほうがいいです。

Isobe こうやって精米した陸稲のもち米で、おもちをつくって、磯辺巻きにします。
陸稲は、ねばりがある「糯(もち)系」なので、もちがつけるのです。ねばりのない「粳(うるち)系」の陸稲があるのかどうか、わたしは知りません。
おもちは、象印の全自動もちつき機でつくったので、簡単にできました。もちつき機は、パンや麺をつくるときにも、みそをつくるときに大豆をつぶすときにも、大活躍します。

Okowa 陸稲のもち米は、おもちにしなくても、一般的な電気炊飯器でふつうに炊いても、食べられます。

食料の自給を考えるときに、小麦があれば、パンや麺が食べられますが、お米のご飯も捨てがたいものがあります。しかし、田んぼを借りるのは、ハードルが高いですし、水稲は、デリケートで、手間のかかる作物です。そんなときには、陸稲を作目の候補にしてみてはどうでしょうか。
陸稲は、食味がちょっと……などと言う人もいますが、そのへんは、わたしは、慣れの問題だと思います。「おこわ」をつくるもち米ですから、おいしいですよ。

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