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2009年2月

一楽照雄と日本有機農業研究会

日本有機農業研究会については、前回の記事イバン・イリイチ、桜井直文監訳『生きる思想』(藤原書店))で触れましたが、若干の補足をしておきます。日本有機農業研究会と農業関連の諸潮流との関係図をつくってみました。

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農文協の設立が1940年です。このころ、各国で、近代的な農法に対する批判が起こってきます。それは、農薬や化学肥料の多用によって、農民の生命や自然環境が破壊されたことへの反発が、原因しています。
このような批判は、多分に、農本主義的な性格を持っています。問題があっても、農業をやめるわけにはいかず、農民を叱咤激励する必要が出てくるからです。
また、このような批判には、たとえば、シュタイナーのように、前近代的な風俗・習慣・信仰をとり込む傾向があります。問題は近代化であるとされて、近代主義に対する反動の動きが形成されてくるからです。

日本有機農業研究会は、一楽照雄が主導していた団体と言っていいと思います。一楽の思想は「協同組合主義」であると言っていいと思います。一楽は、農林中金の常任理事でした。
一楽の日有研をあやつるやり方を見ると、全体主義に親和的な団体の運営法がどのようなものかを知ることができます。まず、設立が1971年だということに注目してください。近代農法を批判する諸潮流が1940年前後からはじまるのから、30年遅れて、はじまっています。これは、坂本尚さんも指摘していますが、左翼的な、階級闘争的な運動よりも、人間の自然破壊と闘う運動のほうが重要だ、という思想を、日有研が打ち出したことに関係があります。
わたし流の言い方をすれば、時代的にちょうど政治闘争に挫折していた左翼たちを、うまく農業関連産業にとり込んだわけです。左翼は、具体的な個と個の関係からよりも、国家や社会といった「全体」の有り様からものごとを発想しがちです。つまり、全体主義に親和的です。なので、全体の関係性(有機体のような、とか)を強調して宣伝する有機農業に、あるいは生産者として、あるいは関連産業として、あるいは有機農産物の消費者として、すんなりととり込まれやすかったのです。

これも、前回の記事で述べましたが、日有研の「有機農業」は、30年も前から、福岡正信や岡田茂吉などによっておこなわれていた「自然農法」から、「不耕起」と「無施肥」の思想を抜きとった、より開発主義的、自然破壊的、農業周辺産業振興的性格を持っています。有機資材は、輸入されたものも多くあります。日有研の「有機農業」は、既存の農業関連産業を全否定しているわけではありません。このへんも、団体操縦術としては、注目しなくてはなりません。

シュタイナーやナチス・ドイツから受けた影響を隠したり、岡田茂吉や福岡正信が持っている「宗教性」を遠ざけたりしていることは、前回の記事でも述べましたが、このことについては、もう一人、日有研の有力な発起人の一人である梁瀬義亮に関しても、言うことができます。梁瀬は医師として農薬の危険性について発言したりしていましたが、大乗仏教の勉強会などの活動もしていました。梁瀬が現在の日有研で、ほとんど語られることがないのは、その「宗教性」がきらわれているのではないかと想像します。
日有研の本流を「脱宗教化」することで、広範な人たち、殊に政治運動で挫折した左翼の人たちの受け皿として、受け入れやすい雰囲気づくりが配慮されたのでしょう。しかしこれは、有機農業自体が、「生命(有機)」という言葉が持つイメージ喚起力をとことん利用した、「いのち教」と呼んでもいいような、「宗教代替物」であることを、巧妙に隠しながら、ではあるのですが。

日有研の有機農業は、農本主義の一形態なのだと、わたしは考えています。「特別な農業」をやっていると農民に思わせて、それを「誇り」にさせて、農業生産を農民に押しつけやすいようになつけると同時に、「提携」と称して、都市の富裕層に「特別な農産物」を割高に買わせて、農民に農業生産を押しつける罪悪感を麻痺させる仕組みなのです。有機農産物は、免罪符みたいなものです。

一楽の「協同組合主義」の反映ではないかと思えて、おもしろく感じたことがあります。それは、日有研のホームページのトップページの「情報交差点」という記事(広告ではない)で紹介されている「鯉淵学園農業栄養専門学校」の、そのホームページの中に、学校の運営主体である財団法人農民教育協会の沿革が、次のように出ているところです。

 財団法人農民教育協会は、昭和23年5月、全国農業会が解散し全国農業協同組合中央会に改組されたことに伴い、全国農業会の教育事業であった「全国農業会高等農事講習所」(現在の鯉淵学園農業栄養専門学校)などを受け継ぎ、農村社会の有為なる形成者の養成及び農村指導者の研修を目的として農林水産省の認可を受けて設立された財団法人です。
 また、昭和63年より、公益性の高い特定公益増進法人として農林水産大臣より証明を受けております。

山下一仁さんが、『農協の大罪』の中で、スクープのようにして明かした、農協は戦中の統制組織を引き継いだだけのものだ、ということを、むしろ、みずから誇らしげに(?)宣伝しているのです。
そして、そのような出自の学校を、日有研がそのホームページで、“有機農業や自然食品”に関心がある人、“田舎暮らしで家庭菜園”を楽しみたい人、これから“本格的に農業をしたい”人は、この学校の社会人研修コースで学んでみませんか?と、勧誘しているのです。トップページの記事からのリンクで、この学校だけへと、勧誘しているのです。

日有研と農文協の関係については、農文協のホームページに「「農村空間」が新しい時代をつくる」という文書がありまして、そこに、このあたりの事情が出ています。一部を引用します。

 有機農研の運動を積極的に助けたのが岩渕直助が指導する農文協であった。財政基盤のない「有機農研」に農文協の事務室を提供し、有機農研の機関誌『たべものと健康』(現在の『土と健康』)の発行を手助けした。

同じ文書には、次のような部分もあります。

1971年、元農林中金常務理事の一楽照雄(農文協理事)が日本有機農業研究会を創立した。その宣言に曰く。「有機農業をすすめる農民は、都市民との提携によって消費者の食意識の変革を目指す」。
 つまり、農民が都市民の意識変革をするというのである。およそ人類史上で、農村が都市を領導したことはない。農村は都市文明を受け入れることによってのみ、進歩するものとされてきた。

この文書は、「農文協論説委員会」の署名になっていますが、前回の記事でご紹介した、農文協副会長の坂本尚さんの発言とそっくりです。もしかしたら、坂本さんご本人がお書きになったのかもしれません。
すでに指摘しましたが、これは、ナチス・ドイツの農業思想家ゲオルク・ハルベが、自然に触れる農民こそが世界の本質をよく理解できる、という形で、一楽らが日有研を創設する30年ぐらい昔に言っていることで、人類史上初、ということではありません。

ゲオルク・ハルベは、農民が都市住民を、積極的に「指導(領導?)する」とまでは言ってないかもしれませんが、農民のほうが都市住民よりも物事の本質をよく理解できると、農民文化の優位性を説いていますので、本質的には同等のアイデアであろうと思われます。

以上。まとまりも「オチ」もありませんが、前回の記事の補足、ということで。

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イバン・イリイチ、桜井直文監訳『生きる思想』(藤原書店)

きょうは、10年前の本です。イリイチの論文集『生きる思想』から、「「生命」の偶像崇拝」を読んでみます。そして、そのあとで、日本有機農業研究会の会誌「土と健康」のバックナンバーから、イリイチが指摘する問題とつながるような部分をとり出して、読んでみようと思っています。

その前に、「有機」「オーガニック」という言葉の意味・使われ方ですが、少し詳しい辞書を引いてみました。まず、「有機」を、「講談社日本語大辞典」で調べました

ゆうき【有機】[対義]無機(1)生活機能と生活力を持つこと・もの。organism(2)有機物に関すること。organic

次に、「研究社新英和大辞典」で「organic」を調べてみました。

organic(1)[化]有機の(2)有機体(生物)の(3)臓器の、器官の(4)[病理]器質性の(目で認められるような病気のある)(5)有機的の、組織的な、系統的な(6)(有機体のとっての)生まれながらの、固有の、本質的な、根本的な[法](国家構成上)基本的な、憲法上の[言語](構造が)偶発的でない

まず「有機」のほうから見ていきますと、「農業」を飾る言葉として「有機」を使うことは、(1)(2)どちらの意味でも、おかしいことが分かります。「農業」自体は、有機物でも無機物でもありません。「農業」自体が生活機能や生活力を持ったりしたら、農業を営む人間は要らなくなります。有機物に関する農業、というのも、意味不明です。動植物由来の有機資材を主に使う、という意味ならば、非有機農業を「無機農業」と呼ばない理由が分かりません。
「有機農業」というのは、ようするに、比喩なのです。organic の意味にからめて言
えば、有機農業とは、「有機体(生物)のような農業」という意味なのです。農業を有機体(生物)に、たとえているのです。「有機的」という言葉も、農業を飾る場合は、資材・作物・土壌・微生物・気候・生産者・消費者などの相互関係が、生き物の体のように、系統的に、秩序にしたがって形成されている、という意味なのです。

「有機農業」のように、ある言葉を掲げて「運動」をする場合、やる必要のある作業は、2つあります。対象概念を規定することと、それに名前を付けることの2つです。有機農業に関しては、「無農薬」と「無化学肥料」を条件に定めて、概念規定をしました。日本で有機農業をはじめた人たちは、「オーガニック」の訳に「有機」という多義的な語を選ぶことによって、社会有機体説のような、全体主義に親和的な幻想を、そこに関わる人たちに振りまくことに成功しました。
もっとも、これは、「オーガニック」という語を選んだ、日本の有機農業の思想的源
流である人たちの成功であって、日本有機農業研究会は、見事にぴったりはまった訳語を見つけた、というだけのことなのかもしれません。

ここで注意してほしいのは、1971年に日本有機農業研究会が創設されて、一楽照雄らが「有機農業」という言葉を(同研究会が定める形で)定義したとき、すでに、福岡正信と岡田茂吉の両氏は、それぞれの方法論による「自然農法」の活動をしていた、ということです。福岡正信の農法で特徴的なのは、不耕起ですし、岡田茂吉の農法で特徴的なのは、無施肥です。これらの特徴的な農法を、有機農業は引き継ぎませんでした。そして、自然農法とは別の、有機農業を「あとから」はじめたのです。
有機農業の運動がはじまる何十年も前から自然農法はありました。自然農法の福岡正
信は、日本有機農業研究会の創設にも参加していますが、やはり、自然農法との違いに気づいて、有機農業とは距離を置くようになります。
有機農業が自然農法から「引き算」したものは何でしょうか。それは、不耕起と無施
肥の思想です。なぜそうなったのでしょうか。答えは簡単です。有機農業が農生産の安易な効率化を図ったからです。有機農業は、自然農法に比べれば、はるかに開発型の農業なのです。「農業が自然を守る」などという宣伝は大嘘で、大局的に見れば、農業は、そのはじまりからずっと、自然破壊でした。

もうひとつ、日本有機農業研究会が、自然農法と異なる道を歩んだ理由は、これはわたしの想像ですが、岡田茂吉は世界救世教という宗教団体のリーダーで、はっきりとした宗教家でしたし、福岡正信は、独特の哲学を展開していました。一楽照雄は、それらの方法では、広範な人びとを組織できないと考えたのではないかと思います。

日本の有機農業のはじまりには、国内の自然農法以外にも、外国からの影響もあります。「オーガニック」の名を掲げた農業運動の源流があります。それは、ナチス・ドイツの農業政策です。そして、ナチス・ドイツの農業政策に相互に影響を与え合った、シュタイナーの「バイオ・ダイナミック農法」があります。
ドイツではじまった有機農業は、アメリカなどの他の国の農業にも影響を与えますが
、日本有機農業研究会は、ドイツからの影響については、国内で実践者がいる「バイオ・ダイナミック農法」を、たまに「不思議がいっぱいの農法」などという、ビミョーな表現で紹介する程度で、まったくといっていいほど、語りたがりません。一楽照雄は、東大の農学部を優秀な成績で卒業した人なので、海外の動向を知らないわけがありません。「ナチス・ドイツ」という、「印象の悪い」ところが源流なので、隠したのでしょう。

日本の有機農業の本質をまとめます。それは、新しい開発型の、言い換えれば自然破壊型の、農業様式です。「新しい」というのは、農薬と「化学肥料」を使う「古い」農業と比べて「新しい」という意味です。しかし日本の有機農業は、うまく隠してはいますが、じつは、ナチス・ドイツのまねです。この農業様式に「有機」という多義的な名を付けて(正確に言えば、的確な訳語を付けて)、全体主義に親和的な思想を広めました。こうして、もともと全体主義に親和的な、70年代の挫折した左翼たちをとり込むことに成功しました。「自分たちは「有機農業」という特別の、素晴らしい活動をしている」という「ほこり」を持たせることで、農民を農作業を押しつけられやすくなつけて、都市の富裕層を有機農産物を買わせることで「提携」させて、農作業を押しつける罪悪感を麻痺させる、という形で、農業と流通の産業を組織していきました。

さて、それでは、イバン・イリイチの「「生命」の偶像崇拝」を読んでいきましょう。この論文は、元カトリックの神父であったイリイチが、プロテスタント系のアメリカ福音ルーテル教会に招かれておこなった講演が元になっています。教会は「神の言葉(聖書)」に照らして、偶像崇拝を裁け、という考え方が基調になっています。
わたしは、「聖書」は、有害無益なものと思っていますので、イリイチの発想には同
調しませんが、産業社会がわたしたちの日常に埋め込んでくる諸概念を、異化して、批判する手法は、学べるものが多いと思います。

イリイチは、「生命そのもの The Life」と「一つの生命 A life」を区別して、前者は実在するが、後者は虚構だと言います。そして、後者の「生命」は、専門家たちによって管理される対象になりさがっている、と批判します。
イリイチがこのような批判を展開する根拠は、「聖書」です。「「生命」の偶像崇拝」か
ら引用します。

皆さんが船上に掲げているのは、主の福音です。つまり、主がマルタに対して「わたしは生命(いのち)である」と言われたときに、マルタに告げられた福音です。主は「わたしは一つの生命である I am a life」などとは言いませんでした。ただ「生命〔そのもの〕である I am Life」と言ったのです。

ひとりひとりの生命があるのではなくて、生命そのもの(神)があるだけだ、というのです。「生命」という言葉を使えば、そういう実体もあると勘違いしてしまう、わたしたち人間の認識習性を、イリイチは批判しているのです。
もっとも、概念批判ということでしたら、仏教のほうが徹底しています。仏教では「
諸法無我」と言って、すべてのものごとには実体がない、と言います。「わたし」という、人間の中核になるもの、通俗的な言い方をすれば「霊魂」となりますが、そういうものは存在しない、と考えます。すべてのものごとに実体がないのですから、「生命そのもの(神)」も、原理的には、ないことになります。

続いてイリイチは、「生命」という語の使われ方の歴史をたどりますが、注目したいのは、「生命という概念のいかがわしさは、エコロジー論議において、とくにはっきりとあらわれ出る」と言っている部分です。同書から引用します。

 エコロジーとは、まずさしあたって、生あるものと、その住環境との間にむすばれる相互関係についての学問、と言うことができる。しかしさらに、このことばは近年ますますさかんに使われるようになってきて、すべて知りうるかぎりの現象を関連づける、一つの哲学的な方法をさして言うようになってきた。その後エコロジーは、サイバネティック・システムという考え方をさすようになる。このサイバネティック・システムとは、同時にモデルでもあり実在でもある。言いかえれば、自らを観察すると同時に定義し、自らを規制すると同時に維持するようなプロセスである。このような考えかたのスタイルにおいては、生命は、システムと等置されるようになる。つまりこうした考えかたは、生命をおとしめ、かつ同時にそれを構成するという、抽象的な偶像崇拝なのである。

ようするにイリイチは、「神に根拠づけられないシステムは、けしからん」と言っているわけです。神を根拠に、いかがわしい概念を洗い出せと、プロテスタント系にけしかけているのです。こういう方式で批判ができるのなら、いろいろな概念が「いかがわしい」とされて、ぼろぼろ出てくるだろうなあ、と思われますが、事実、イリイチは、次のように、「いかがわしい」概念を、批判しまくります。

 来る日も来る日も、管理された諸事のなかに暮していると、われわれはみな、さまざまな虚構された実体の世界をあたりまえのものとして受けとるようになっていきます。われわれはしだいに、健康管理の進歩だとか、万人の教育だとか、国際的(グローバル)意識だとか、社会開発だとかいった新しいことばで、これら管理された幻について語るようになっていきます。また、それに加えて、誰にも文句のつけようのないような「より良い」「科学的な」「近代的な」「すすんだ」「貧しい者たちの利益になる」といったことばがそえられます。われわれは、管理によってはぐくまれた幻を指して「ことばのアメーバ」と呼んでいますが、こうした「ことばのアメーバ」は、自明性、啓蒙、社会的関心、合理性といった意味合いをもつとしても、けっして、われわれ自身が自分で味わい、嗅ぎ、体験することのできるようなどんなものも言い表すことができないのです。このような、ことばの蜃気楼のゆらぐ「意味論的な砂漠」とも言うべきもののただなかにあって、われわれはどうしても「ライナスの毛布」がほしくなります。つまり、いつも身近にかかえ歩くことができて、聖なる価値を手ぎわよく守ってくれるような気がする、威信ある偶像が必要となるのです。ふり返ってみれば、国内における社会的正義も、海外における開発も、世界平和も、みなこうした偶像であったことがわかります。そして、いまやそうした偶像の新しい名が「生命」だというわけです。

言葉は、考える道具ですが、感じさせられる道具でもあります。考えるということは、身近すぎて分からなくなっている言葉を、自分から引きはがして、距離を置いて見えるところに置くことです。感じるというのは、この逆で、感じさせる言葉の中に没入して、それが客観的に何であるかを分からなくさせてしまうことです。
自分の言葉に酔う人は、論理的にハチャメチャでも、気にならなくなります。「人の
振り見て我が振り直せ」ではありませんが、自戒しなければ、と思います。
イリイチが批判する際に根拠にしている「聖書」は、人間にとってなんの根拠にもならない、とわたしは思いますが、イリイチが、
身近な、わたしたちが疑うこともしないでいる概念を、次から次へと批判していく姿勢には、学ばなくてはならないと思います。

シュタイナーの「バイオ」、ナチス・ドイツの「オーガニック」、日本有機農業研究会の「有機」などは、「生命」という語が持つイメージ喚起力を、とことん利用して、人びとを管理してきた実例として、挙げることができると思います。
ここからは、日本有機農業研究会の活動から、「生命」のイメージ喚起力を利用して
いると思われる例を、挙げていこうと思います。脱会記念スペシャルです。

近年の日本有機農業研究会の活動で、「生命」節を炸裂させたのは、去年の第36回全国大会でした。テーマが「つながるいのち つなげるいのち」です。「繋がる命 繋げる命」と漢字で書かないところがミソです。漢字で書くと、意味が伝わりすぎてしまうのです。「いのち」のほうが、ほんわか、ムードだけが伝わるのです。「つながる」と「つなげる」を並べて、違いの「が」と「げ」に注目させるのも、リアルにイメージさせないための策略です。
こういう全国大会に参集する人たちというのは、「いのち」や「つながり」に飢えて
いるのでしょう。しかし、有機農業は、人を引き寄せようとするだけで、本物の「いのち」には触れられないし、「つながる」ことも、できません。有機農業で作物を育てても、有機農業の作物を買って食べても、ただそれだけのことで、「いのち」や「つながり」とは関係ありません。宣伝というのは、人が集まれば、それでいいのです。
去年の全国大会の記念講演は、『生物と無生物のあいだ』の著者、福岡伸一さん。講
演の題が「生命とは何か? 食べ続けることの意味と有機農業」。ほとんど、「新興宗教いのち教」といった感じです。

同じく、去年の全国大会での基調講演として、一楽照雄とともに日本有機農業研究会の創設に参加した坂本尚さんが、「創立者一楽照雄と有機農業」という題で、次のように語っています。

 1972年、国連人間環境会議(ストックホルム)が開かれています。この国際的な会議でいろいろ検討をし、自然と人間の敵対矛盾関係を正していこうと論議しています。国連の会議というのは、そういうことが世界各地で検討されていたから開けたわけですね。それが1972年です。
 そのような時、一楽照雄は日本にいて、有機農業研究会をつくるにあたって、そう
いう世界の動きをちゃんと認識して有機農業の意味を把握し、そのことを宣言した。もう少し私なりの意味を申し上げますと、階級闘争の歴史は終わって、すなわちブルジョアジーとプロレタリアートの敵対矛盾関係ではなくて、自然と人間との敵対矛盾関係に地球がさらされている。70年代は、そこをどうするかを問題にする時代に入った。
 その、自然と人間の敵対矛盾関係を克服する能力をもっているのは、工場労働者=
プロレタリアートではなくて、農民なんだということを、一楽はその根底で考えています。およそ人類史上初めて、一楽は、農家が都会の人々を指導するべきだということを言った。そこに大きな意味があるということを申し上げたい。こんなことを言った人は、それまでただの一人もいなかった。

「人類史上初めて」ではありませんね。わたしが書いた前回の記事(「農民の誇り」のつくり方)でも触れましたが、藤原辰史さんが『ナチス・ドイツの有機農業』の中に引用している、ゲオルク・ハルベが、一楽の30年も前に、同じようなことを言っています。もう一度、前回の記事と同じ部分を引用します。

 例えば、ナチ期農業思想の重要な担い手のひとり、ゲオルク・ハルベは、有機農法を単に様式としてばかりでなく、人間の自然認識変革をもたらすものとしても捉えていた。ハルベは、ユダヤ人やイギリス人がもたらした「物質主義的世界観」が現在の自然科学の基礎となっていると指摘し、都市の研究室や実験用農場で得られた研究成果で満足する自然科学者の自然科学観を徹底的に攻撃している。その根拠となるのが、ゲーテの次の言葉だ。「自然を把握しそれを直接利用することは、人間にはほとんどできない。認識と実用のあいだに、人間は、妄想を見いだそうとする。かれらは、それを入念につくり出し、それにかまけて、利用するはおろか対象そのものを忘れる」。ハルベは、そうした人間の傲慢さを最も体現しているのが、生きたものを死んだものとして把握する自然科学者だと批判する。そして、生きたものとして把握できる農民をそれに対置させる。そのうえで農民は、農場内の土壌、植物、動物、人間のつながりのなかで生き、そうした有機的関連性のなかで自然を把握するので、化学肥料ではなく、農場内の家畜が排出した糞尿を肥料として用いるべきだと推奨している。いうまでもなく、その家畜の飼料も、農場内で育った植物でなくてはならない。最後には、有機農法を「国民社会主義的な仕事」として称賛さえしているのだ。

ナチス・ドイツは印象が悪いから、影響を受けたことを言わないでおこう、ぐらいまでは、まあ、同情もできますが、「人類史上初めて」の名誉まで奪うことまでやっては、やっぱり、まずいでしょう。これが、講演者の坂本尚さんの思い違いならばいいのですが、どうも、一楽照雄自身が、当時から、「自分たちが一番だ」と言っていたような印象を受けます。
こういう、自分たちに都合がいいように言う、正しくなくても、人が思ったように動
けばそれでいい、という発想で言う、「大本営発表」みたいな体質になるのは、一番最初に「有機」という、多義的な語を看板に掲げた最初の時点で、もう運命づけられていたような気が、わたしにはしてなりません。

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「農民の誇り」のつくり方

藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)を読んでいます。シュタイナーの「バイオ・ダイナミック農法」とナチス・ドイツの農業政策との関わりについて研究した本です。プロローグとエピローグを読み終わりました。全部読み終わったら、改めて感想の記事を書きます。
とりあえず、読み終わったところ(プロローグとエピローグ)の内容について、わたしの立場から言えることは、これは、「農民の誇り」のつくり方の研究ではないか、ということです。シュタイナーにしてもナチス・ドイツにしても、農民をおだてて、農業労働をやらせようとして、農業にまつわる「神話(物語)」をつくったのではないでしょうか。それが、「有機農業」だったのではないでしょうか。

日本有機農業研究会では、シュタイナーの「バイオ・ダイナミック農法」とナチス・ドイツの農業政策については、まるで知らなかったような扱いをしていますが、有機農業の源流は、間違いなく、ドイツにおけるこの2つの思潮の交流にあります。そして、有機農業の本質、つまり、「生命(バイオ)・有機(オーガニック)=生命力を有するの意味」という言葉が持つイメージ喚起力を最大限利用する、という点では、発足時から現在に至るまでの日本有機農業研究会は、有機農業の源流である、ドイツにおけるこの2つの思潮と、まったく同質だと言えます。

シュタイナーの「バイオ・ダイナミック農法」のほうは、「どうしてこのような儀式のような農法をするのですか」とたずねても、象徴的な、神秘主義的な答えしか返ってこないのではないかと想像しますが、ナチス・ドイツの農業政策は、現代の日本人が聞いても、よく分かりますし、非常に魅力的に聞こえます。
ナチ(国民社会主義)党政権は、革命やクーデターで成立した政権ではありません。選挙で、国民の支持を集めて当選しました。ドイツ国民は、ヒットラーの演説に熱狂していました。熱狂するほど、魅力的だったのです。

『ナチス・ドイツの有機農業』に引用されている、ナチス・ドイツの農業政策を見てみましょう。まずは、1935年に制定された「帝国自然保護法」前文「そのもの」です。

 今も昔も、森や野原の自然は、ドイツ民族の憧憬であり、喜びであり、保養地である。
 昔と比べると、故郷の景観は根本的な変化を遂げ、その植物相も、集約的な農業や林業、一面的な耕地整理と針葉樹林の植林によってしばしば変質した。植物相の生命空間(レーベンスロイメ)が減少することによって、多種多様な、森や野原を活気づけていた動物世界も次第に消えていった。
 こうした展開は、多くの場合、経済的必要性によるものだった。今日では、ドイツの景観をそのように改造したところで、観念上の、あるいは経済的な損失が公然のものとなっている。
 世紀転換期の頃に生まれた「天然記念物保護区」は、部分的にしか指定されなかった。なぜなら、本質的な、政治的および世界観的前提に欠けていたからである。ドイツ人の改造があってはじめて、有効な自然保護の前提が作り出された。
 ドイツの帝国政府は、最も貧しい民族同胞にさえも自然の分け前を確保することをみずからの義務としている。それゆえ、帝国政府は、下記の帝国自然保護法を制定し、ここに公布する。

どうでしょうか。「生命空間」とか、ちょっと怪しげな言葉も出てきますが、大筋で間違ってはいませんでしょう? 現代の環境政党が起草した法律だと言っても、とおりそうではありませんか。
藤原辰史さんは、この『ナチス・ドイツの有機農業』のプロローグの中で、こう言っています。

「人間中心主義」批判と「動物への権利」の主張。ディープ・エコロジーが目指す理想を、ナチスは、1935年の「自然保護法」と1933年の「動物保護法」という二つの法律ではっきりと描いていた。つまり、〈第三帝国〉は「人間中心主義」から「生物圏平等主義」へという未知の領域に踏み込む実験を、国家規模で、しかもディープ・エコロジーが登場する40年前に、法律上においてはじめて断行した国家なのである。言い換えれば「人間」だけではなく、人間も動物も植物も包括する「生命」を国家の軸に据えようとしたはじめての試みなのである。

わたしが当時のドイツにいたら、ナチ党の農業政策に賛同して、喜んで有機農業をやっていたかもしれません。
もう1カ所、「プロローグ」から引用しましょう。

 例えば、ナチ期農業思想の重要な担い手のひとり、ゲオルク・ハルベは、有機農法を単に様式としてばかりでなく、人間の自然認識変革をもたらすものとしても捉えていた。ハルベは、ユダヤ人やイギリス人がもたらした「物質主義的世界観」が現在の自然科学の基礎となっていると指摘し、都市の研究室や実験用農場で得られた研究成果で満足する自然科学者の自然科学観を徹底的に攻撃している。その根拠となるのが、ゲーテの次の言葉だ。「自然を把握しそれを直接利用することは、人間にはほとんどできない。認識と実用のあいだに、人間は、妄想を見いだそうとする。かれらは、それを入念につくり出し、それにかまけて、利用するはおろか対象そのものを忘れる」。ハルベは、そうした人間の傲慢さを最も体現しているのが、生きたものを死んだものとして把握する自然科学者だと批判する。そして、生きたものとして把握できる農民をそれに対置させる。そのうえで農民は、農場内の土壌、植物、動物、人間のつながりのなかで生き、そうした有機的関連性のなかで自然を把握するので、化学肥料ではなく、農場内の家畜が排出した糞尿を肥料として用いるべきだと推奨している。いうまでもなく、その家畜の飼料も、農場内で育った植物でなくてはならない。最後には、有機農法を「国民社会主義的な仕事」として称賛さえしているのだ。

分かりますでしょうか。要するに、「農民が一番!」という、おだてです。ただの農業でおだてても効果が薄いので、有機農業という、「特別な」農業に限定することによって、「ありがたさ」を増幅せようという目論見です。
牛・豚・鶏といった家畜は、実在します。それら家畜は、糞尿を排泄します。これも実在することです。それら糞尿をを田畑の肥料に使うこと、それ自体は、なんの問題もありません。問題なのは、そのような農作業に「バイオ(生命)」だとか「有機(オーガニック)=生命力を有するの意味」だとかいった、実体のない、ただの観念の「おふだ」をはりつけて、さも特別な農法であるかのように飾り立てて、農民や都市住民をだますことだと思います。

わたしは、このブログで何度も言ってますが、有機農業と非有機農業の境界線は、非常に恣意的に引かれています。たとえば、有機JASでの線引き(やっていいこと/悪いこと、使っていい資材/悪い資材)の根拠を示そうとしても、それは相当に気まぐれ・ご都合主義的に定められたものだ、ということが分かるだけなのです。ですから、有機と認定されたとたんに、突然特別な農産物になるわけではありません。有機と認定されたとたんに、その農作業をする農民が、特別な存在になるわけでもありません。しかし、特別になったような「気がする」効果だけは、絶大なのです。しちめんどくさい認定作業は、「気がする効果」を際だたせるための「儀式」のようなものです。

有機農業は、自分や自分の家族だけは「安心・安全」な食べものを食べたい、という、エゴ丸出しの富裕層の需要をまかなうためだけではなく、農民に「自分は特別な農法でがんばってるんだ」という意識を持たせて、農民であることを誇れるように仕向けるためのものでもあるのです。
そうやって、おだてられた農民は、人がいやがる農作業を、自発的に引き受けるように仕向けられます。国やマスコミが「農業は大切だ」というキャンペーンを、よくはっていますが、ああいうのを見ると、ほんとに、「おまえが田んぼに入って、米をつくれよ」と言いたくなります。

わたしは、以前このブログで、「ほこりを持たないで生きていくということ」という記事を書きました。

ほこりを持たないで生きていくということ

皮肉な言い方かもしれませんが、目の前に「誇り」というエサをぶらさげられて、働かされることほど、著しく誇りを傷つけられることはありません。
では、何のために働くのか、と聞かれれば、わたしの答えは、「食べるため」でしょう。もう少し広く、「生活するため」と言ってもいいです。わたしは、生きる現実のために生きたいとは思いますが、「誇り」などという幻想のために生きたいとは思いません。
わたしのこういう感覚を分かっていただくために、農業まつわる、わたし田中による「神話(物語)」を、以下に、サクッと広げておこうと思います。つきあってもらえると、うれしいのですけど。

地球は、だいたい、46億年ぐらい前にできました。で、だいたい40億年ぐらい前に、地球上に生命が発生しました。それがいろいろ進化して、だいたい500万年ぐらい前に、二足歩行して、音声言語を使えて、家族を最小単位に生活する、現代人につながる、「人類」が、誕生します。1万年ぐらい前までは、人口400万人ぐらいで、安定した暮らしをしていました。マーシャル・サーリンズが言う「始原のあふれる社会」です。

マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』(法政大学出版局)

そのころ人類は、自然が自然状態で人類を養える範囲内で生活を営んでいましたから、食べものは、特に苦労しなくても、おなかのすいたときに狩猟採集することで、簡単に得ることができました。
ところが、1万年ぐらい前に、人類は、食べものを必要以上に備蓄するようになって、これがきっかけになって、人口が増えはじめます。(アラン・テスタール『新不平等起源論』法政大学出版局、参照)
やがて、農業や畜産・酪農の技術が発明されて、人口増加に拍車がかかります。そして、人類500万年の歴史の中で、長い間400万人ほどで安定していた人口が、最後の1万年で、一気に1000倍以上にふくれあがってしまったのです。

自然が自然状態で養える人口の1000倍以上ですから、食料生産は困難を極めます。備蓄された食料は、富となり、権力が発生し、都市が形成されます。食料生産は、奴隷によってになわれるようになりました。
奴隷は、昔は、鞭でたたいて、強制労働させていましたが、曲がりなりにも民主国家においては、そのようなことはできません。そこで発明された「道具」の一つが、農民をおだてることです。農業は素晴らしい、食料生産をになうことは名誉なことだ、という農本主義的な「神話(物語)」がつくられ、教え込まれました。

「有機農業神話」も、このようなものの一つなのだと思います。神話によって、つらい思いを紛らわせたい農民と、同じ神話によって、農民に食料生産を押しつけている罪悪感を紛らわせたい都市住民とが結託して、自分たちは何か崇高なことをおこなっていると信じ込ませるような、自己催眠をかけているのです。
そうはいっても、世界の人口は、まだまだ増えている、どうしたらいいのか、という話になります。強制的な人口抑制策が間違っている、という記事も、以前に書きました。

人口抑制策批判 その1

人口を急激に減少させようとするのは、危険な発想です。そんな発想を許せば、それこそ、ハルマゲドンを自演しようとする人たちが現れかねません。1万年かけて増加したのですから、1万年かけて減少させるぐらいの、長期戦の心構えがなければ、絶望してしまいます。
短期戦では負けます。負けてもし方がないのです。これは、それほど、人間性の深い部分にある、人間の本質に関わる戦いなのですから。負けても、負けても、いつか人間は変われると信じて、伝え続けたいと思います。
人類が、自然が自然状態で養える範囲内で、つつましく生きていくことを目指していきたいです。人類が歩んできた間違った方向性を指摘することと、間違った方向に発達した社会から自分の生活を引きはがして、自立した生き方をはじめることとを、とりあえずの実践方法としたいと思います。一口で言えば、自給を目指す、ということです。

最後に、わたくしごとですが、先日、わたしは、日本有機農業研究会を退会しました。電話で住所と氏名を言って、退会する旨を伝えました。会のほうからは、「長い間のご支援、ありがとうございました」ぐらいの大人の挨拶ができれば大したものだと思っていたのですが、実際に返ってきたセリフは、「あ、そう。はい」だけでした。

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