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畝幅

栽培に関して判断を必要とするときは、わたしは、現場で考えることにしています。「畑の図」とかを描いてみたりはしますが、現場で歩いて見て回らないと、的確な判断はできません。

今は、種まきの時期ですが、一つ、大きな問題は、畝幅です。
畝は、なぜ作るかと言いますと、一つには、水は
けをよくして、根腐れを防ぐ、という目的があります。元水田畑など、雨が降ると、ぬかるんで大変です。でも、ここ数年は、雨が少ししか降らなくて、水不足で問題になったことはありますが、水が多くて困る、ということはありませんでした。
畝を作るもう一つの目的は、作業のしやすさです。畝間を歩いて農作業ができれば、種まきでも、刈り取りでも、効率よく仕事をこなすことができます。
面積が少ないときは、どのように作物を植えようと、どうでもいいのです。わたしも、自宅の庭では、挿し木で増やした食用菊の苗を、あいているところに適当に植えてありますし、タイサイと春菊の種など、混ぜて適当にぱらぱらまいて、覆土もしていませんが、いい具合に芽を出してきています。有毒の植物との区別さえつけば、作物をきれいに並べて生やす必要など、全くないと言ってかまいません。
しかし、上記のようなことは、栽培面積が狭い場合のことでして、ある程度以上の面積の栽培をこなさなくてはいけないときには、畝があったほうが便利なのです。

では、畝幅は、どのぐらいにしたらいいのでしょうか。これは、作物によって、最適な畝幅があるのですが、不耕起栽培のように、一度畝を作ったら、毎年その畝を使うような栽培方法の場合、どの作物にも使えるような、〈汎用畝幅〉があると便利です。
昔からよく、いろいろな作物に使われていた畝幅は、2尺=約60センチでした。去年、わたしが作った畝(土を盛らない〈平畝〉ですが)は、平均で約50センチでした。耕耘機の刃の幅が50センチだったからです。

50cmune_2

この図のように、耕耘機で耕した筋2本分(1メートル)に、135センチ幅のマルチを張って、筋1本分を通路にしたのですが、あとから欲張って、この通路にも作物を植えたのが災いしました。
マルチを張ったのは、中島正さんの、『農家が教える自給農業のはじめ方』という本に、マルチ利用が勧められていたからです。マルチについては、実際に使ってみて、使ったほうがいい作物と、使わないほうがいい作物とがあることが分かりました。
今年は、3カ所借りている畑のうち、2カ所は、全部はがしましたが、一番広い畑は、めんどくさくなって、今年も張ったまま使うことにしました。ただし、今年は、マルチの中央に穴を開けて、下の図のように、畝幅が75センチになるように使います。

75cmune

畝幅を広げることで、去年いろいろあった弊害が、かなり改善されると思います。
下の写真が、マルチを残す予定の畑です。畝間に見える緑の筋は、秋まき小麦(ホクシン)です。

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畝幅のほかに、もう一つ悩んでいるのは、トンネルを作ろうとしていることです。トンネルというのは、作物の上に張る、アーチ状の支柱と透明フィルムで作る、ミニ温室です。陸稲の一部と、今年初挑戦のハトムギの一部に、使ってみようと思っています。陸稲もハトムギも、トンネルを張ることによって、苗の生長が安定することになると思われます。
資材購入にお金がかかるので、全面に展開するのは厳しく、お試しで一部分、やってみます。経費以上に効果があれば、来年、面積を広げますし、たいしたことがないようであれば、別の方法を考えます。
使い回し3年目になる不織布も、風よけ、鳥よけ目的に、今年も使います。

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この写真は、去年、春まき小麦を栽培した畑の現在です。赤クローバーが生えています。今年は、ここで豆類を栽培するつもりでいます。
赤クローバーの種は、適当にぱらぱらまきます。覆土はしません。水気があれば、発芽します。ここ北海道ですと、冬以外でしたら、いつ種をまいても、発芽しました。
赤クローバーは、草勢がほどほどで扱いやすい、窒素固定をしてくれる、〈肥料草〉です。

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RIWKAKANT のブログに

リウカカントの「ダブルファンタジー」というアルバムがいいよー、という記事を、一ファンとして、少し前に書いたのですが(「リウカカント「ダブルファンタジー」」)、その RIWKAKANT のブログに、なんと、わたしの豆が出ているではありませんか!!! 題して、「田中敬三、その祈りのカタチ /the beans of Keizo Tanaka」。どうしましょう???

わたしが栽培している豆は、まあ、普通に豆なのですけれど、その一粒の豆に、ここまで迫って、世界を引き出してこれる海沼武史さんの才能というのは、これは尋常でないです。

わたしは、おだてられると調子に乗るので、豆で何か表現活動をしてみたくなりました。豆の歌とか、豆の踊りとか。
豆かあ。そうですね、豆ですね。芋? あ、芋もいいかも。

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いももち

広辞苑によれば、

いも‐もち【いも餅】
ゆでたじゃがいもに片栗粉を加えて餅状にし、焼いたもの。北海道の郷土料理。

なのだそうです。広辞苑が、いももちは北海道の郷土料理だと、認定してくれています。
広辞苑による作り方の説明は、簡潔明瞭でいいのですが、ちょっとだけ補うと、「ゆでたジャガイモをつぶして、片栗粉を加えて、練って餅状にして、焼くか、揚げるか、炒めるかしたもの」ということになります。つなぎの片栗粉を少し多めに入れれば、ゆでてもできると思います、たぶん。
いももちを知らないと言ったら、北海道育ちの人に驚かれてしまいましたが、北海道の外では、いももちを知らないのがあたりまえなのです。

Wikipedia によると、北海道以外にも、いももちはあるのですが、材料が違うようです。
和歌山県と高知県のいももちは、餅米とサツマイモで作るそうです。岐阜県のいももちは、里芋と米で作るそうです。地域で手に入りやすい材料で作るのですね。

ま、とりあえず、北海道ふうに、ジャガイモで、作ってみました。

Imomochi

オーブンで、油を使わないで、焼いてみました。乾いてべたつかないので、スナックをつまむような感覚で、手づかみで食べてもいいのではないかと思います。
味は、生地に練り込んでもいいですし、ディップのような、付けて食べるものを用意してもいいでしょう。
きょうは、わたしは、しょう油と海苔で、磯辺巻きふうにして食べました。

北海道農業改良普及協会編の『改訂版 絵を見て作れる 北国の手づくり食品』には、「イモだんご」の名前で出ています。
冷凍保存する場合には、直径4~5センチの棒状にして、ラップフィルムで包んでから、冷凍するのだそうです。食べるときは、自然解凍して、1センチぐらいの厚さに輪切りにして、焼いたり、揚げたり、炒めたりするそうです。
また、片栗粉の代わりに上新粉を使うと、固くなりにくいそうです。

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ジャガイモと菊芋の販売を再開します

Jagakibi

ジャガイモ畑だったところです。まだ掘ってないジャガイモが、たくさん埋まっています。今年は、このまま、ここから芽が出るに任せてみようと思っています。ジャガイモやトマトのようなナス科の作物は、連作障害が出やすいのですが、この畑には、イナキビと赤クローバーを混植していたので、大丈夫なのではないかと踏んで、より自然風な栽培を決行します。
ジャガイモと菊芋を掘って、調理して食べてみました。雪が積もる前に掘り出して自宅で保存してあったジャガイモや菊芋は、芽が出てきていて、芋本体も水気がなく、すかすかになっていますが、土の中にあった芋たちは、十分にいけます。販売を再開しようと思います。

Jagakiku4

芽が出てくるまでの、期間限定販売です。扱い続けているかどうかは、栽培生活のホームページの、「会員頒布」のページで確認してください。この記事では、販売終了のお知らせはしません。

食べてみましたけれど、どちらもおいしかったですよ。

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ジャガイモは、ゆでて、マヨネーズ&ケチャップ。菊芋は、油で炒めて、ソース&ケチャップ。しょう油&みりんで、和風にしても、おいしいです。料理は、あまりこらないほうがいいです。塩味なんてのも、シンプルでいいですね。

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統計で見る日本の農業

今回読んだのは、農林水産省大臣官房統計部編集『ポケット農林水産統計 平成20年版』(農林統計協会)です。

「主要国の土地種類別面積」という表があります。
日本の耕地+永年作物地(果樹とか)の面積は、469万2000ヘクタールなのだそうです。これを、平成18年の日本の人口、1億2795万人で割ると、3.7アールになります。農地を国民に均等に分けた場合の、一人の取り分です。穀物食なら、ぎりぎり自給できますか。かなり厳しいかもしれません。もっと少子化が進んだほうがいいですね。
他の国ではどうかといいますと、例えば、アメリカ合衆国が58.5アール。フランスが30.0アール。インドが14.7アール。中国が11.8アール、といったところです。

「主要国の産業別就業者数」という表があります。
〈農業・狩猟業・林業の就業者数〉を〈就業者総数〉で割ってみます。国民の何%が農林業者かということですが、日本は3.9%です。
他の国の数字も、ちょっとご紹介しますと、ブラジルが20.5%。ポーランドが15.7%。ロシアが9.7%。お隣、大韓民国が7.4%となっています。

「農林水産物の輸出入額」という表では、輸入が8兆5574億2400万円であるのに対して、輸出は5159億7100万円で、圧倒的に輸入超過です。
輸出品目別輸出額のランキングで意外に思ったのは、3位に〈真珠〉が入っていたことです。年間365億2800万円も、真珠を輸出しているのですね。

ちょっと、社会科のクイズをしてみましょうか。輸入農産物の、輸入相手国の上位3カ国を言いますので、農産物の品目を当ててください。ヒントは、牛肉、小麦、大豆、バナナのうちの、どれかです。
第1問。アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア。
第2問。アメリカ合衆国、カナダ、ブラジル。
第3問。オーストラリア、アメリカ合衆国、ニュージーランド。
第4問。フィリピン、エクアドル、台湾。
簡単すぎますか?
第1問と第2問は、似ています。3位がオーストラリアかブラジルかが違います。答えは、オーストラリアのほうが、小麦です。ブラジルのほうが、大豆です。アマゾンの森をつぶして、遺伝子組み換えの大豆畑にして、日本の豆腐・納豆・みそ・しょう油用の大豆を作っています。
第3問は? 牛肉ですね。OGビーフオージービーフ(オージーって‘Aussie’と綴るそうです。OGというのは、卒業した女子先輩を指す和製英語なんですって。間違えました)。1位のオーストラリアは、2位のアメリカの10倍以上の、圧倒的な輸入量です。アメリカの牛肉は、きらわれているんですね。産地をチェックしにくい外食とか、加工食品とかに使われているのでしょう。
第4問は、そう、バナナです。

国内に目を向けて、「都道府県別農業産出額」の表を見てみましょうか。
農業が盛んな都道府県ランキング、ダントツトップは、日本の食料生産基地=国内植民地の北海道です。桁違いの1兆飛んで527億円。
農業生産額第2位の県は、どこでしょうか。南へ飛んで鹿児島の4079億円なのです。3位以下は、千葉県、茨城県、宮崎県と続きます。

「耕作放棄地」の表があります。全国の耕作放棄地は、38万5791ヘクタールあるそうです。耕地面積が、田と畑を合わせて465万ヘクタールですから、8.3%が耕作放棄地、ということになります。けっこうあるものですね。

「耕作目的の田畑売買価格」という表があります。田んぼや畑を買うとしたら、どのぐらいの値段がするのでしょうか。
全国平均で、10アール当たり、101万4000円だそうです。うーん、高いですね。でも、耳寄り情報です。北海道は、やはり10アール当たり、なんと13万円ぽっきりだそうです。家族で〈3反農業〉をやって、40万円弱。これなら、買えるかもしれません。

農地を買うのではなしに、借りるんだったら、年にいくらぐらいで貸してもらえるのでしょうか。「田畑別実納小作料」という表があります。これによると、10アール当たり、全国平均で、6225円だそうです。貸し農園とかに、謝礼を払いすぎていませんか? 北海道では、4311円ですって。〈実納〉の平均ですから、場所によっては、ただみたいな小作料で借りている人もいるんでしょうね。北海道にいらっしゃいますか?

〈新規就農〉という言葉がはやっていますが、どういうような人たちなのでしょうか。
「就農形態別新規就農者数」という表があります。平成18年の数字で、〈自営業就農者〉、つまり、学校を卒業して、農業をやっている親の跡を継ぐようなケースが、7万2350人。〈雇用就農者〉、つまり、法人などに雇われる農業労働者が、6510人。〈新規参入者〉、つまり、農地を買うか借りるかして、独自経営で農業をはじめる人が、2180人なのだそうです。必ずしも、新規就農者=新規参入者ではないのですね。親の跡を継ぐ人を除けば、むしろ、新規参入者よりも雇われて農業をする人のほうが、約3倍も多い。このへんは、飛び込む前に、イメージをつかんでおいたほうがいいです。

では、雇われた場合の給料は?ということですが、「主要産業と農業賃金の比較」という表があります。
平成18年のデータで、1日当たりの賃金ですが、製造業は、1万3476円。運輸業は、1万5480円。卸売・小売業が、1万2340円。飲食店・宿泊業が、6876円。農業臨時雇賃金は、データが男女別になっていて、男が、8653円。女が、6538円です。
女の農業が最低で、男の農業は、かろうじて、飲食店・宿泊業よりはまし、という結果です。農家に雇われるよりも、工場で働くか、運送業をやったほうが金になる、というわけです。

もう一つ、農家の借金のデータがあります。平成18年のデータで、農家1戸当たりの借入金は、全国平均で、217万5000円だそうです。これが、北海道に限定すると、1034万8000円になります。北海道は、規模の大きな農業が多く、大型機械など、設備にお金をかけることが多いので、運が悪いと、たちまち借金もふくらみます。平均して約一千万円の借金ということは、もちろん、借金などなく、貯蓄をしている人もいますから、逆に多い人は、億単位の借金を抱えていたりする人も、いくらでもいるわけなのです。
経営で赤字が出ることが予測できながら、お金を貸し付け続けてきた、農協の責任が問われるのではないでしょうか。

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備蓄・定住・農耕

地球は、だいたい、今から46億年ぐらい前にできました。そして、だいたい今から40億年ぐらい前に、地球上に生命が発生しました。それがいろいろ進化して、だいたい、今から500万年ぐらい前に、二足歩行して、音声言語を使えて、家族を最小単位に生活する、現代人につながる、〈人類〉が、誕生しました。それから、今から1万年ぐらい前まで、人類は、人口400万人ぐらいで、安定した暮らしをしていました。マーシャル・サーリンズが言う「始原のあふれる社会」です。
人口が400万人ぐらいだったころの人類は、自然が自然状態で人類を養える範囲内で生活を営んでいましたから、食べものは、特に苦労しなくても、おなかのすいたときに狩猟採集をすることで、簡単に得ることができました。今でも、狩猟採集民は、1日平均、4~5時間程度働くだけで、必要な物のすべてを得ることができています。
ところが、今から1万年ぐらい前に、人類は、食べものを備蓄するようになりました。食料を保存するようになると同時に、必要以上の食料を集めて、剰余が発生するようになったのです。これがきっかけになって、人口が増えはじめます。
やがて、農業や牧畜の技術が発明されて、あるいは進歩して、人口増加に拍車がかかります。そして、人類500万年の歴史の中で、長い間400万人ほどまでで安定していた人口が、最後の1万年で、一気に1000倍以上にふくれあがってしまったのです。

自然が自然状態で養える人口の1000倍以上ですから、食料生産は困難を極めますが、狩猟採集時代に比べたら、はるかに激しく、躍起になって働くことで、必要以上の収穫を得られるようになりました。備蓄された食料は、富となり、権力が発生し、都市が形成されます。食料生産は、奴隷によって担われるようになりました。
現代の農業は、化石燃料を大量に投入することで、かろうじて成り立っています。現代の農民を「奴隷」と呼ぶのは、語弊がありますが、農業が底辺労働であることには、変わりありません。特に、輸入食品について考えると、プランテーションでの、児童労働を含む、労働者の過酷な労働、そして、いわゆる〈飢餓輸出(国内に深刻な飢餓を抱えている国が食料を輸出すること)〉も考え合わせると、まさに「奴隷」によって文明は支えられている、と言うことができます。

ローマ、中華、ビザンツ、イスラーム、ヨーロッパ……歴史上の帝国は、すべて農業を経済の基礎に置いていました。農業がなかったら、人間は滅んでしまう、という強迫観念は、歴史的事実に基づいていますが、逆に言えば、事実によって、代替的想像力が押し殺されてきたとも言えます。

わたしは、自分の政治的な立場は、超反動だと思っています。例えば、千数百年ぐらい昔の、大化の改新の時代の社会あたりにあこがれる反動派なんて、まだまだ中途半端で、もう1万年ほどさかのぼって、縄文時代にまで戻ろうとしなくては、本物ではないと、わたしは本気で思っています。
縄文時代の生活は、現代に比べたら、物質的な所有物の量としては、とても「貧しい」のですが、主観的な意識としては、はるかに「豊か」で、幸福であったろうと想像します。

さて、ここで疑問に思えてくるのは、なぜ人類は、約1万年ぐらい前に、とてつもなく激しく働くようになったのか、食料を備蓄するようになったのか、定住して農業をはじめたのか、ということです。高校の歴史の授業でどう教わったか、忘れてしまいましたが、「新石器革命」とか言って、優れた道具が生産性を上げた、というような説明を聞いたような、かすかな記憶があります。
優れた道具が作れるようになったから、人類の社会が変わってしまった? では、なぜ、そのような道具が作れるようになったのでしょうか。偶然? 「新石器革命」という考え方は、わたしには、あまり説得力があるようには思えません。
とは言っても、こんな批判的な発想ができるようになったのは、高校を卒業して30年近く経った今だからなのですから、学校教育が、学生の心に、教育内容に対する批判精神が芽生えないように、どれほど抑圧的な教育をしているかが、分かります。

この、「今から約1万年前に何があったのか」という疑問に答えてくれる本がありました。

西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫、です。

この本によると、今から約1万年前に、地球上では、温暖化がはじまったのだそうです。言い換えると、氷河期が終わったのだそうです。
わたしのような、北海道のような寒冷地で栽培をやっている立場からすると、温暖化すれば、作物がよく生長して、結構なことではないか、と思ってしまいがちですが、事は、そう単純なことではなかったようです。
この本によりますと、今から約1万年前にはじまった地球温暖化は、低緯度の、熱帯・亜熱帯地方には、あまり影響がなかったそうです。高緯度地方は、それまで氷河に被われていた地が、現在の寒帯・亜寒帯のようになりました。温暖化の影響を、一番激しく受けたのは、中緯度地帯です。それまでは、草原や疎林が多い地域だったのですが、この時代を境に、温帯森林が形成されていったのでした。そして、この地域こそ、人類が多く住んでいた地域なのでした。
引用します。

 氷河期の中緯度地域には、亜寒帯的な草原や疎林に棲むトナカイ、ウマ、バイソン、マンモス、オオツノジカ、ウシなどが広く分布し、後期旧石器時代の狩猟民は、これら大型有蹄類の狩猟に重点を置いた生計戦略を持っていたと予想される。しかし氷河が後退し、草原や疎林に代わって温帯性の森林が拡大してくれば、これらの有蹄類は減少するし、またそれまでの、視界のきく開けた場所で発達してきた狩猟技術は効果を発揮しなくなるだろう。

ということなのです。
この頃の人類は定住していませんから、食料を求めて移動していくのですが、広範囲で草原が森林になったのでは、行き場がなくなるわけです。で、大型の動物中心の食料を、植物性食料か魚類中心の食料に切り替えていくことになるわけです。
ところが、大型動物に比べると、植物性食料や魚類は、収穫できる量が、季節によって大きく変動します。「実りの秋」に収穫して、それを冬中食べて、春につないでいかなくてはならなくなります。このような必要から、食料の備蓄が行われるようになったのではないか、というのです。
大型動物を主食にしていた人類が、植物性食料や魚類を中心にした食料に代えていく、というのは、大変難しいことだったのではないかと想像します。これができなかったグループは、滅んでいったのかもしれません。
これは、わたしのいい加減な想像ですが、この時期に人間は、死に対する恐怖を感じるようになったのではないでしょうか。そして、この死に対する恐怖を紛らすために、〈とてつもなく激しく働くこと〉も、同時に思いついたのではないかと想像します。
この、〈とてつもなく激しく働くこと〉は、のちに現れる農耕民が持っている、〈とてつもなく激しく働こうとする心性〉に、つながっていきます。

ところで、

アラン・テスタール、山内昶訳『新不平等起源論 狩猟=採集民の民族学』法政大学出版局

という本があります。書名の通りで、民族学の立場から、社会的不平等の発生について考察した本です。
著者のテスタールさんによると、「狩猟=採集民/農耕=遊牧民という対立は、不平等論の探究に主要な準拠枠とはなりえない」のだそうです。では、何が不平等発生の原因か、というと、「不平等の技術=経済的な基礎は、定住生活様式と大規模な食料備蓄にほかならなかった」のだそうです。このあたりの事情を表にまとめると、次のようになります。いろいろな民族の社会を比較・分類する具体的な考察は、この本を読んでください。

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食料備蓄が不平等の起源である、と。一言で言えば、そういうことです。そして、この食料備蓄の起源は、西田さんの本に出ていたように、気象変動による試練だったわけです。

西田さんの本とテスタールさんの本から備蓄型社会と非備蓄型社会の文化的な違いをまとめると、以下のようになると思います。

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縄文時代の社会は、非備蓄型―定住型―狩猟採集民ですから、上の表の、真ん中の白い部分、〈サゴの採集民〉と同じ部分にあたると思います。縄文時代は、のちの弥生時代のように、水田が作られ、邪馬台国のような国ができ、支配者の墓である古墳が作られるような時代よりも、ずっとストレスの少ない、自由で伸びやかな生活が展開されていたのだろうなあと、あこがれの気持ちを込めて、わたしは想像しています。
社会的不平等の起源に気象変動という要因があったにしても、だから不平等は、し方がないんだ、受け入れなければならないんだ、ということを言おうとして、これらの研究を、わたしは紹介したのではありません。それらの事実と、文明の弊害とを両方知った上で、これからわたしたちの社会を、どういう方向へ変えていったらいいのかを、議論していくべきだと思うのです。
そして、その議論の過程では、「人類は滅んではいけない」という、死に対する恐怖の集団化された観念や、「人類は繁栄するべきだ」という間違った観念が、自然環境を破壊して、かえって、人類にとっても危機的な状況を招いた、そして精神文化的にも、仏教で〈一切皆苦〉と呼ばれているような、苦しみに満ちた状況を招いた、そんな人類の愚かさを、しっかりと認識しなければならないと思います。

以上です。
以下は、2冊の本を読んで、面白いと思ったところで、まあ、〈おまけ〉です。

西田さんの本にあるエピソードで、面白いと思ったのは、南米にいるハキリアリがキノコを栽培する、という話です。アリが、植物の葉っぱを切り取って、巣に持ち帰って、それを咬み砕くと、そこからキノコが生えてきて、それを食べて生きている、ということです。一種の共生関係なのでしょうが、栽培が本能に組み込まれるようになることがあることを知って、興味深く思いました。
でも、アリの社会をモデルに、変なふうに人間のほうへ話を敷衍したりするのは、わたしは、ちょっとパスですけど。アリとかハチとかの社会に理想を見るのがすきな人、いますものね。

テスタールさんの本からは、「財宝は、それを占有する人の威信の印しに役立つ以外の使用価値をもっていない」という言葉と、C・キングさんの研究による、チュマシュ族のシステムについての考察が、面白いです。
チュマシュ族というのは、カリフォルニアに住む部族で、階層化された社会を形成しています。チュマシュ族では、財が過剰になりそうになると、インフレーションを防ぐために、その財に対する組織的な破壊が行われるそうです。壊すために作るなんて、完全に無駄なのですが、階層化された社会には、このような無駄が必要とされるのですね。
いろいろな財を、せっせと買い集めては、せっせと〈ごみ〉として捨てている、わたしたち「先進国」の日常も、これと同じ。都市の建造物は、破壊するために建てているようなものなのです。

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