« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

槌田敦『「地球生態学」で暮らそう』(ほたる出版)

この本には、エントロピー則に則った、持続可能な生態系をつくりだす方法が展開されています。森と農地と海の間で、必要な物質を循環させていこうではないか、と呼びかけているのです。

植物の栄養素(肥料分)がなければ、農地の作物は育ちません。これは、わたしも、以前、2年間ほど、丘の上の畑で栽培をやった経験から、よく知っています。無肥料で栽培ができる場所は、近くの森などから、何らかの栄養素(肥料分)が供給されています。
鳥や、川を遡ってくる魚など、野生の動物たちが、重力に逆らって、海から森へ栄養素を運びます。そして、その栄養素は、今度は重力に従って、水系を流れ下って、農地を肥やし、さらに、海の生物を育てることになります。
生きものが生きていく上で、なくてはならない物質に、鉄があります。窒素やリンがあっても、鉄がないために、プランクトンなどの生物が存在しない海域がたくさんあるそうです。鉄を、どのように上手に、生物が利用できる形にして活用していくかが、生態系を維持するポイントになるようです。

この本で紹介されていて、わたしも、もっと活用されたらいいと思った技術は、人間が食べない海産物を肥料として利用する、というのと、人間や家畜の糞尿を、ため池に入れて、コイや水草に処理させて、そのコイや水草を取り出して、やはり肥料として利用する、というものです。
森と農地と海の間で、このように物質を循環させれば、外部から肥料を輸入する必要はなくなり、自立した生態系を形成できるようになれるのです。
時間的にも、空間的にも、狭い範囲で観察したことを元に物事を考えると、何も問題がないように勘違いしてしまいがちですが、生態系は、ある意味「たやすく」崩壊して、砂漠化していきます。人間が与えてきた損害は、ため込まれています。森林伐採、ダム建設、そして農業……。未来のことを考えて、今のうちにやっておかなくてはならないことが、たくさんあるのです。

面白いと思ったのは、『みの虫革命』の中島正さんの考えを引き継ぎ、発展させているのだと思いますが、この本の著者の槌田さんも、自給以上の食料生産をしてはいけない、と考えているところです。つまり、農産物を自分たちが食べる以上に生産して、それを販売して生計を立てているプロの農家の存在は間違いである、というのです。余剰食料は、国家権力成立の源泉であって、余剰食料こそが、農民が支配される社会をもたらしたのだ、というのです。農民にとって農業は、自縄自縛なのですね。だから、プロの農家としては自己否定的な、しかし、自由に生きる人間としては自己肯定的な生き方が求められるわけです。そのような生き方を、槌田さんは、「半日自給農」という言葉で表現しています。

槌田さんは、また、安全保障の観点から、次のようにも言っています。

 国民が余剰食糧を生産しなければ、他の国々に狙われることも少ない。各家庭に隠されている食糧を探し出して徴発(強制的に取り上げること)するには手間がかかるから、完全徴発はできない。
 これは、かつてルソーがいった「幸福で平穏な共和国」、つまり「隣国の野心を誘発しない国」に相当する(ルソー『人間不平等起源論』1755)。

必要以上に働かない、あってもなくてもどうでもいいような無駄なものは最初から生産しない、これはある意味、知的で合理的な社会文化を目指す、ということなのでしょう。そういう社会は、もちろん、人口も少なくなっているはずです。『老子』にある「小国寡民」のイメージでしょうか。

槌田さんは、砂漠化を防止するために、科学技術といわゆる「自由貿易」にブレーキをかけよう、と呼びかけています。ひたすらに、生産性を向上させることを目指してきた近代農業のイデオロギーに毒されている人には、ぱっと読んで、何を言っているのかよく分からないかもしれません。食料備蓄=余剰価値の形成こそが、人間の文明の諸悪の根源なのですから、生産性を衰退させることは、人の生き方として正しいのです。必死になって食料生産してはいけません。消費することに酔い痴れてはいけません。やるべきことは、自然の恵みで楽して生きていけるような生態系をつくりだしていくことです。近代農業のイデオロギーを、壊されかかった自分の知性から引きはがして、正気を取り戻すためにも、この本を読んで、考え方をきちっと整理することを、わたしは強く強くお勧めします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小さな紅葉

Momiji

自宅の庭に、ブルーベリー、アロニア、ハスカップを鉢植えで植えてあるはずなのですが、放置状態で、ほとんど忘れていました。ふと目をやると、葉っぱを真っ赤にして、存在を主張していました。今の時期は、雪が積もる前に雪よけで囲ってやるぐらいで、特に何かできるというものでもありません。来年、雪がとけたら、大きめの鉢に移してあげようと思います。
まわりの緑は、コンパニオンプランツのつもりで植えたスペアミントです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

錦甘露

Nishikikanro

しましまのカボチャ。「にしきかんろ」という品種らしいです。別名「恐竜の卵」。
今年、この品種の種は植えていなかったのですが、畑の隅に、作物残渣を積んであるところがありまして、「堆肥場」なんて呼んでいるのですが、去年そこに枯れた葉やつるといっしょに捨てた未熟果の中にあった種から出てきたらしいのです。「堆肥場」には、カボチャだけでなく、豆や芋なんかがももさもさ生えてきていたのを放置してあったのですが、葉っぱが枯れる季節になって、葉っぱの下に隠れていた小さなカボチャたちが、ころころと発見されるに至った、というわけです。
まさかりカボチャ系よりも、若干粘りと甘みがあって、これはこれでおいしいですし、しましまが見ていて楽しいです。交雑は、していないように見えます。系統が遠いもの同士は交じりにくいのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カボチャ24きょうだい

Kabochakyodai

同じ一つのカボチャからとった種から生えてきたカボチャたちがつけた実です。見事に交雑していました。
先日の記事で、来年は種を買い直すと発言したのですが、気が変わりました。右上の一番大きい実から種をとることにします。基本、自家消費ですので、そろっていなくていいのです。いえ、そろっていないほうが、いろいろあって、楽しいかもしれません。
孫たちに、どんなふうなのが生まれてくるか、今から楽しみです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

白鳥飛来

Hakuchoup

近所の、稲刈りが終わった田んぼに、白鳥の群れがやって来ていました。かなりの大群でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ソラマメのひこばえ

Soramamehikobae

ソラマメなのですが、収穫が終わったので、根元からばっさり、鎌で刈り取ってあったのですが、根が生きていたらしく、また生えてきて、花まで咲きました。霜が降りる前に、実がつくところまでいけるでしょうか。
恐いぐらいのたくましさです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

畝間1メートル

Komugiunema1m

秋まき小麦、芽が出てきました。
小麦は、当地では、このように条まきではなくて、全面まきに近いまき方をします。わたしは、畝間に1メートルをとりました。近所の人が見たら、なんて無駄な畑の使い方をしているのかと、驚くのではないかと思います。
いいのです。このぐらい畝間があったほうが、間を通って作業をするのが、しやすいのです。草刈りなど、刈り払い機を持って、ダーッと走れば、片付いてしまいます。やろうと思えば、耕耘機を入れて中耕もできます。
小麦だけではなくて、来年は、すべての作目で、畝間1メートルを標準にしようと思っています。秋まきの小麦と、先日植えたニンニクから、このルールを適用しています。
去年は50センチメートル、今年は75センチメートル、そして来年は1メートルと、畝間が年ごとに広がっていきます。いいのです。北海道には、余っている畑地は、いっぱいあるのですから。
今年は、草の勢いに負けて、作物が日陰になって、熟度にばらつきができて、収穫できなくて、無駄になった作物が多かったです(豆類など)。来年は、そういう無駄をなくして、さらに、作業の軽減化をも目指します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今年も、キクイモを販売します

Kikuimotohuku

強風で倒伏したキクイモを掘り出してみました。芋が食べられる大きさに育っていました。
今年も、キクイモを販売します。ご希望の方は、栽培生活の「会員頒布」のページから、お申し込みください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地面から黒い虫が

Mushiwaki

虫に詳しい方、教えてください。
畑の地面の草の陰なんかに、写真のような黒い虫が集団でうごめいているのをときどき見かけるのですが、これは何なんでしょうか。まるで、地面から虫が湧き出てきているように見えます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

食用菊の加工・保存

「菊のり」という食品が売られています。食用菊の花びらを〈海苔〉のように薄く広げて干したものです。お湯で戻して、酢の物なんかにして食べます。この「菊のり」を、何とか自宅で再現できないかと、試行錯誤していたのですが、干しているうちに、枯れた、汚らしい感じの薄茶色に変色してしまったり、いつまでたってもよく乾かなかったりで、困っていました。
そうこうしているうちに、「菊のり」のつくりかたが載っている本を見つけました。板木利隆『家庭菜園大百科』(家の光協会)です。この本によると、花弁をサッとゆでるときに、熱湯カップ5に対して大さじ1杯の酢を入れるのだそうです。
さっそく、酢を入れた熱湯でゆでてみました。この酢が、褪色に対して、魔法のようによく効いて、熱湯をくぐらせたあとに水ですすいでも、その効果は変わりません。
このあと、もう一度、ざるに広げて、1分ほど蒸します。

さて次は、「よく乾かない」という問題。
これは、ディハイドレーターという、食品を乾燥させる機械を買えば解決するのかもしれませんが、アメリカの会社の製品らしく、手に入りにくそうです。
わたしは、エアドライという、ファンで空気を当てて食品を乾燥させる機械を持っているのですが、ゆでた菊の花は、よほど薄く、粗く広げないと、空気を通さなさそうで、エアドライでは、うまく乾かないのではないかと思われました。どうすりゃいいのか、思案橋。
そこで思いついたのが、コンデンス除湿機を使うことです。大きな縦長の段ボール箱の、下のほうにコンデンス除湿機を置いて、上のほうから干し網籠をぶらさげる、というアイデア。一晩コンデンス除湿機を働かせてできたのが、これです。

Kikunori

パリパリすぎて、触ったら崩れていきそうです。扱いにくそうではありますが、とりあえず、乾燥できて、保存ができそうです。色も鮮やかですし。ちなみに、こちらは、

Kikutenpi_2

天日干しをしたほうです。なかなか乾きません。

あと、わたしは、酢を入れた熱湯でサッとゆでて、水ですすいだあとに、洗濯ネットに入れて、ソメラの高速脱水機にかけることにしました。花びらが固まって、ざるに広げるときに、このかたまりをほぐす手間がかかりますが、乾燥時間は、確実に短くてすむようになります。
ソメラの高速脱水機は、洗濯機が付いていない、脱水専用機です。うちでは、食品専用として使っています。新品で購入以来、これで洗濯物を脱水したことはない、ということです。こういう‘けじめ’は、大切でしょう。気分の問題ですけど。

「菊のり」のほかに、「菊酒」もつくりました。梅酒の梅の代わりに菊の花を入れます。菊の花は、空気に触れると、変色して醜くなりますので、空気に触れないように、ホワイトリカーをふたのところまでたっぷり注ぐとか、氷砂糖で花が浮いてくるのをおさえるとか、工夫してください。

Kikusake

菊酒と言えば、安房直子の「ハンカチの上の花畑」を思い出します。古い壺から‘菊酒づくりのこびとさん’たちが出てきて、菊を栽培して、菊酒をつくってくれる、という幻想譚です。めくるめく幻想の中に、生産する/生産させる、楽しい労働/辛い労働といった、のっぴきならないテーマが織り込まれてあって、読み終わると、街の風景が違って見えるような、すごい作品です。
この本、たしか昔、読書感想文コンクールの課題図書に指定されていたような記憶があります。まだ読んだことない人は、ぜひ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アズキの脱穀

アズキは、一本のアズキの木に生るさやのうち、早い時期に熟したさやが割れないうちに、鎌で刈り取って、島立てして乾燥させます。同じ木に、まだ熟していないさやがあっても、乾燥させているうちに追熟してきますので、大丈夫です。
乾燥中に雨に当たっても、そのあとまた晴れの日が続けば、中の豆はだんだん乾燥していきますから、気にしなくていいです。

Azukibo_2 乾燥したアズキの木は、ブルーシートの上で棒でたたいて脱穀します。パシパシたたくと、さやが割れて、中の豆が飛び出してきます。このあとは、ふるいで大きなごみをふるって、とうみで軽いごみを飛ばします。

Azukitemi これが今年のアズキの全収穫です。
このなかから不良豆を抜き出して捨てます。目で見て、一粒一粒ピンセットで取り出していきます。雪が降ってきてから、ゆっくりやればいいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アピオスの花のお茶

アピオスの花の盛りのころは、遠くから歩いてきても、アピオスの花の香りが漂っていたものです。アピオスの花を摘んで乾燥させて煎じて飲むとハーブティーのようになると聞いて、アピオスの花のお茶をつくってみました。

Apioscha

結論から言うと、アピオスの花のお茶は、味もにおいも、ほとんどありません。期待をしていたので、肩すかしを食らった気分です。ハチミツを溶かして、ハチミツドリンクにして飲みました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »