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筑波常治「エピローグ――亡国の思想を!」

筑波常治さんの『自然と文明の対決』(日本経済新聞社)を読むシリーズ。途中をすっ飛ばして、いよいよ最終回です。「エピローグ――亡国の思想を!」を読みます。

筑波さんは、「文明には「寿命」がある」と言います。人間が生まれ、生長し、老衰し、死んでいくのと同じように、文明も、生まれ、生長し、老衰して、死んでいく、ということです。生きものの種属も、突然変異で新しい種属が生まれて、環境に適応すれば、生き残り、適応できなければ、滅んでいくのと同じで、この考え方は、進化論になじんでいるわたしたちには、特に奇異だとは思えません。ある特徴を持った文明が発生し、自然環境に適応しながら発展しますが、何らかの事情で環境に適応できなくなって、やがて衰退して、いつかは亡びるのです。
時間の長さで言えば、一人の人間の一生は、せいぜいがんばって生きても100年ぐらいでしょうが、一つの文明であれば、何百年、何千年という寿命になるでしょう。しかし、一人の人間が、いつか必ず死ぬように、一つの文明も、いつかは必ず滅びていきます。事実、今までも、数多くの文明が滅んできました。一人間や、一文明にとどまらず、人類という種属も、いえ、生物という現象全般も、永遠ではあり得ないでしょう。何億年、何十億年先まで、地球が生命を養える環境であり続けるとは、誰も保証できません。

筑波さんの考えによると、稲作文化を中心に発展してきた日本は、元禄時代に文化の絶頂を迎えたのだそうです。元禄時代には、凶作や地震や富士山の噴火などといった災厄があったにもかかわらず、残された文化は非常に高度で、明るい。筑波さんは、元禄時代を人生にたとえて、「もろもろの生理作用がバランスをたもち、肉体的にもっとも充実した青年期にあたるといえようか」と、言います。
ところが、享保時代あたりから、日本の社会は、人間と環境のズレ、自然と文化のバランスの歪みを増大させていきます。そして、明治以降、西洋文明の急激な摂取によって、社会的バランスの崩壊を早めた。現代の日本は、「文化的バランス」の歪みが、史上かつてないほど極端化している、いわば老衰期なのだ、と、筑波さんは言います。引用します。

 老人には、老人にふさわしい生きかたがある。年齢をわきまえずに青年期や壮年期とおなじにふるまうと、かえって死期をはやめるのみか、その死にかたをぶざまなものにするだろう。過去にも、多くの民族が、そのようにして、まだまだ前途があるつもりで、しだいにジリ貧におちいり、とうとう「史上まれにみる悲惨な滅亡」を遂げたという事例は、それこそ史上にまれでなく存在している。その愚をくり返さないため、この国の滅亡を前提にして、もっとも犠牲少なくそれを完了する準備こそ、何よりも必要ではあるまいか。亡国の過程をみずからの手で積極的に計画すること、これこそが最大の「愛国的」な行為という逆説がなりたつように考えられる。そこに目標をおいて、そこから現状への対策を考える。そのことがかえって逆に、日本の寿命を長びかせるいちばんの有効な処方箋かもしれない。

筑波さんがこの文章を書いてから33年たった今ふりかえって、日本は、ますますぶざまな突然死に近づいているような気がします。経済が落ち込み、人口も減少へ向かいつつある最近になって、やっと気づく人もでてきたようですが。
大切なことは、人間は必ず死ぬ、文明は必ず滅びる、永遠に続くものなどない、という事実を認めることでしょう。これをしないから、みんな失敗するのです。人間でも、文明でも、壮年期を過ぎたら、日常を生きながらも、同時に、上手に死ぬ準備を進めていくべきなのでしょう。どうやって? それは、筑波さんが言うように、「文化的バランス」の歪みを解消するように努力することによって、でしょう。間違った方向に偏ってがんばりすぎたことを深く反省して、生き方を変えていきたいものです。

もう一カ所、引用します。

 現在の日本では、相対的な言論の自由のもとで、日本国そのものの罪業への告発が盛んである。たとえばアイヌ人に対し、朝鮮民族に対し、そのほか多くのアジアの人々に対し、さらにはアジア以外の地域の民族に対し、日本はとくに明治以降、少なからぬ悪業を行ってきたというのである。そういった告発の多くに、わたしも同感だ。だが、そういう告発を声高におこなう以上は、それらの「犯罪」に対する代償として、日本人みずからの手で、この国を葬り去るだけの覚悟をかためるべきである。それだけの覚悟もなしに、つまり日本国の存続を空気のように当然のこととして、批判やら告発やらをくり返しているありさまは、生活の不安のない境遇のなかで、老人がグチをこぼしていることと何ら変わるまい。

この筑波さんの本が出版される2年から3年前にかけて、日本人のテロリストたちが「反日」の主張を掲げて、アジアの人びとを苦しめた日本の企業数社に対して、連続的に爆破事件を起こして、多数の死傷者を出しました。日本は、軍事的侵略だけではなく、民間企業の活動によっても、他国の人たちを苦しめてきました。テロリストたちが掲げた「反日」の主張に、筑波さんは「亡国」で呼応したのだと思います。
もちろん、筑波さんは、テロリストたちの犯行に同感したわけではありません。大きな歴史的な流れとしての「文化的バランス」の歪みのあらわれと、テロ事件の背景にひそむ問題とを、重ね合わせているのです。それにしても、多数の死傷者を出した事件のあとで、このような発言をするのは、勇気のいることであったろうと想像します。
日本のこのような、「覚悟をかためるべき」状況は、現在でも、基本的には、変わっていません。日本の軍隊は、アメリカがはじめた理不尽な戦争に追随しています。日本の産業は、諸外国の資源・労働力を安く利用することで成り立っています。現在の日本の文化は、諸外国の人びとの自給的な、「文化的バランス」のとれた暮らしを阻害することによって成り立っている、と言ってもいいのです。
バランスが崩れた文化は、他の周囲の文化のバランスも崩す。他の周囲の文化のバランスが崩れることによって、さらに深く、自らの文化のバランスが崩れていく……。悪循環です。どうやって清算しましょうか?

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