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酒井映子『五行歌集 ひまわりの孤独』(市井社)

上記タイトルの本から。

ページを
めくったら
白紙だった
終わりは
突然がいい

小説の終わり方と人の生の終わり方とを重ねている。老人ホームで働いていると、人が死ぬ場面によく立ち会う。人は老いて、いつか死ぬ。昨日まで普通にお話ししていた人が、今日は死んでいる、ということは、よくある。いっぽうで、長く苦しみながら死んでいく人もいる。確かに、突然、ぽっくり死ねたほうが楽だろう。わたしもそういう死に憧れる。しかし、人生思うようにならない、というのも、事実だ。

もう一つ。

崩れかけた
廃屋
朽ちるという
やすらぎに
身を任せている

これも、老いを語る比喩だ。老い衰えていくことは自然なことだと思えば、それを厭わしく思うこともない。むしろ、老いることに抵抗しないで、老いを自ら受け容れていくことの平穏さは、清々しい。……と、言うのは簡単だけれど、得てして人の意識は老いに逆らうもの。これをなだめすかすのが難しいのだが。

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コメント

次のページをめくると白紙でした。でも、世界は相変わらずページを積み重ねています。歴史は、いつも繰り返されています。そして、再びページは勢いよく新たな思考で埋まっていくことでしょう。昭和39年、ぼくは12歳でした。その年に東京オリンピックがありました。でも、その年に材木価格の自由化があったことは、あまり知られていません。その後に起こったことは、日本の山の閉村でした。かつては山のいたるところ煙が立ち上っていた炭焼き小屋はなくなり、山で住んでいた人々は生活の糧を失い、移住をしました。近くの山村に出かけてみると、畠は植林された杉や檜で被われて、まるで古代の遺跡のようです。江戸時代初期の日付が残る墓石が、大雨で流されて散乱し、墓参に訪れるものは、イノブタと鹿くらいしかいません。納屋の中をのぞくと、昭和4、50年代の時代がそのまま静止した時間の中で眠っているのに気がつきます。もちろんそれを悲しんでいる暇はありません。これからやってくるのは、二回目の東京オリンピックとTPPだからです。農村では、もはや米を作る人はなく、牛を飼う人も居なくなるからです。田舎の人口は半減し、TPPの次に待っているのは、移民自由化です。若い人たちは、生きるために都会へ向かい、残された老人たちの世話をするのは、心優しいアジアの移民たちでしょう。次のページをめくりましょう、そしてその次にやってくるのは、大きな希望だと感じながら。

投稿: 金塚勝 | 2013年12月21日 19時58分

北海道で暮らして10年が過ぎ、その間、農業に憧れ、あれこれ試し、挫折してみて、東京にいてコンビニの店員をしていたのでは(わたしは、世田谷区内の、とあるファミリーマートで、ちょうど10年働いていたことがあります)絶対に知ることのできない「現実」を、見聞き、経験することができました。小説が書けそうなほど、ネタは貯め込んであります。ただ、「現実」から落ちこぼれ続けることを身上とするわたしとしては、積極的に自らの「現実」を物語る意欲が湧かないのです。いつでもホワイトアウトしてよいという情緒を吐露するぐらいが、せいぜいです。リアルな「非現実」を、例えば五行歌のような小さな表現に凝縮させるようなことなら、もしかしたらできるかも、と夢想することはあります。

投稿: 田中敬三 | 2013年12月21日 23時15分

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