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2016年8月

中井久夫「いじめの政治学」

本棚を整理していたら、中井久夫さんの『アリアドネからの糸』(みすず書房)という本が出てきた。今日のタイトルは、この本の冒頭に置かれたエッセイだ。今、この文章に出会えたのは、わたしにとっては、グッドタイミングすぎる。
こどもで言えばいじめ、おとなで言えばいやがらせ、ハラスメントとも言う。建前では、してはいけないことになっている。しかし現実には、どうしようもなく蔓延していて、あるのが当たり前のように勘違いされている。
著者の中井さんは、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階に分けて説明している。なるほどと思う。

 いじめはなぜわかりにくいか。それは、ある一定の順序を以て進行するからであり、この順序が実に政治的に巧妙なのである。ここに書けば政治屋が悪用するのではないかとちょっと心配なほどである。

悪用される心配をしておられるが、わたしには、自分が置かれた状況を意識化し、呪縛を解く力添えになった。
いじめ、いやがらせがあっても、周囲の誰も、それをいけないことだといさめる人がいなければ、助けを求めることができなくされる。いじめ、いやがらせの原因がいじめ、いやがらせを受ける側にあるかのような考え方を前提にした「いじめ、いやがらせを受けないようにするための助言」をするのも、被害者を追いつめる。いじめ、いやがらせをしていい理由なんてない。いじめ、いやがらせをやり返したのでない限り、いじめ、いやがらせは、それをやるほうが100%悪い。いじめ、いやがらせは犯罪だ。
さしあたって必要なのは、とにかくなんでもいいから、安全な逃避場所を作ることだろう。そして、そこから少しずつ、いじめやいやがらせのない世界をひろげていけたらいいのだろう。

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