「すききらいで食べるのではない」
きのう(12月26日)の北海道新聞のコラム欄「卓上四季」(北海道新聞のホームページでも読めます)に、ホッチャレ(産卵を終えた後のサケ)の話が出ていました。
アイヌ民族の長老は、ホッチャレはうまいかと聞かれ「好みと言うより、摂理に従っているだけ」と答えたそうだ。
うまいから、それを選んで食べる、というのは、世界中からいろいろな食べものを輸入して、あふれるほどにある状況の中にいる人の発想なのでしょう。
わたしも、北海道に来て6年間、いろいろな作物を栽培してみましたが、気候や土質に合った作物だけが残ってきました。「あれが食べたい」という発想で、初めていどんだ作物もありますが、たいがいは、失敗しました。
主食系で、今残っているのは、秋まき小麦、イナキビ、タカキビ、ヒエ、ソバ、ジャガイモ、キクイモ、カボチャ、大豆、小豆、菜豆類、エゴマです。
今は、お店で買ってきた食べもの、人からいただいた食べものも食べていますが、量的には、片手間で栽培しても、かなりのところまで自給は可能なのではないかと思えるようになってきました。
こういうのが、「摂理」に乗る感覚なのかもしれません。ただ、「摂理」という語は、もともとはキリスト教の宗教用語で、神の意志(providence)の意味なので、仏教徒のわたしとしては、「因果の関係を理解する」ぐらいの表現にしておきたいですけど。
先ほど引用した、北海道新聞のコラムの中に「北海道サーモン協会」の語があったので、検索してみましたら、元ネタらしいブログを見つけました。北海道サーモン協会のブログです。
北海道新聞よりも、もう少しくわしく書かれています。
ある時、アイヌの萱野氏が対談で、質問者の「もっと下流のほうが赤い身のサケが獲れるのに、アイヌはホッチャレが好きなのか」との問いに、「アイヌは好きでホッチャレを食べているのではない。自然の摂理で生きているだけだ」と答えていた。
サケが川をさかのぼれないようにダムをつくってきたのは、わたしたちです。さまざまな動植物を得させてくれた谷・沢を、ダムの底に沈めたのは、わたしたちです。
二風谷ダムは、土砂がたまって、洪水が起きた場合には危険なダムになっているそうです。脱ダムどころではなくて、どうやって安全に廃ダムするかが、大きな課題になっています。
身近な自然を殺して、食べものは輸入する、という、これまでわたしたちがやってきた無理な生き方のツケを、いよいよ払わなくてはいけない時代になってきたのです。わたしたちは、将来の世代の人たちに、「あの時代の人たちがツケを残していった」と、うらまれることがないように、生きていかなくてはいけないと思います。
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