木の種をまく

先月の31日から今月の3日にかけて、ナショナルトラスト・チコロナイの活動に参加してきました。畑で育てている苗木の植え替えと、10種類ぐらいの木の種を苗箱にまく作業をしました。
苗木は、植え替えをすると、丈夫になるそうです。大きくなった苗を選んで、来年の春に、山に移植する予定です。
木の種の中から、キハダとオヒョウニレとカツラの種を少しもらってきて、自宅でも、苗箱にまいてみました。

Kihadatane

これが、キハダ。この実を食べたり、木の内皮を煎じて胃腸薬をつくったりします。

Ohyoniretane

これは、オヒョウニレ。木の内皮を細く薄くはがして、紡いで糸をつくって、それを編めば、衣服をつくることができます。

Katsuratane

そして、これが、カツラ。木材として使われます。
木や草の名前を、実際に利用しながら、そして育てながら、少しずつ覚えていっているところです。

細く薄くはがしたオヒョウニレの内皮を、紡いで糸をつくっているところです。

Kaeka

窓際に下がっているのが、オヒョウニレの繊維です。
2本の繊維を、ひねりながらよっていきます。繊維の終わりのほうになったら、別の新しい繊維を重ねて、「クロスフェード」させて、どこまでもどこまでもより続けていって、あとで、必要な長さに切って利用します。

Saranip

これは、作品例。中にものを入れて運ぶ袋です。アイヌ語で「サラニプ」と呼ばれます。

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ばっかり食

ある食べものばっかり、そればかり食べている、そういうのを「ばっかり食(しょく)」とか「ばっかり食(ぐ)い」とか言うんだそうです。ようするに、偏食のことです。「ばっかり食は、やめましょう」という言い方をされることが多いです。
食べものの生産現場にいますと、ある時期には、特定の野菜がドッとできて、結果、そればかり食べている、という状態になりがちな事情が、よく分かります。今の時期で言えば、球形ズッキーニが旬です。豊富にあって、おいしいので、「ばっかり食」したくなるのは、しかたがないです。

ズッキーニの実は、ほうっておくと、どんどん大きくなっていきます。耕作人さんのブログに、ズッキーニは大きくなる前に収穫すると、おいしく食べられる旨の記事がありました。「そうだ、そうだ」と(東京では「そうだ」の「そ」を高く発音しますが、北海道では「だ」を高く発音します)、まだそんなに大きくならないうちに、ズッキーニを収穫して、食べています。

球形ズッキーニの食べ方は、わたしがよくやるのは、薄く切って、市販の「浅漬けの元」に漬けることです。これが一番簡単でしょうか。
その次によくやるのは、網の上で焼いて、市販の「焼き肉のたれ」をつけて食べるやり方です。「肉なしバーベキュー」とも言います。

この時期、ズッキーニに負けないぐらい、食卓にいつも上がっているのは、スベリヒユです。畑の雑草です。取っても取っても出てくるので、材料には事欠きません。
スベリヒユは、別名、ツメキリソウとも言います。爪は、切っても切っても生えてきますが、スベリヒユも、取っても取っても、また出てくるところから、こう名付けられた、と言われています。

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北海道有機農業研究会、まとめ

わたしは、以前の記事で、有機農業を批判しています(「「有機」ということについて」)。わたしとしては、自然農ならやりたいですが、有機農業は、やりたくありません。
そもそも
「有機」という概念が肌に合いませんし、法律で規定されている「有機農業」にも、ひかれるものを感じません。まして、自分から有機農産物を買って食べる、なんてことは、ありません(単純に、値段が高いし)。
掲示板のほうにも書きましたが、要するに、有機農業というのは、「生産者と都市の富裕層とが結託して、お互いの生き残りをはかろうとしているだけ」のことで、ディープ・エコロジーの観点から言えば、生産者―消費者の関係にはさわらないうえに、食料生産には(手間ひまかけるので)余計にエネルギーを消費するようになる。ですから、結論から言えば、やらないほうが「いい」のですが、わたしがそんなことを言っても、誰も何とも思わないでしょう。直感的に分かりやすい言い方で、今のわたしの心境を表現すれば、「有機農業? 勝手にやれば?」という感じです。

ここのところ、北海道有機農業研究会のことを書いているのですが、この会の催しに集まる人たち(生産者、消費者、研究者)のどの人たちとも、立ち位置や感性が遠く感じられます。(あ、家庭菜園とか、自給農みたいな人なら、近いかな。でも、そういう人って、ゼロではありませんが、ほとんど残っていないみたいです)。
こんなときに、もしそばに釈尊がいたら、「分からない」人たちとは、深く関わらないで、「ひとり、犀の角のように歩め」って、言うのでしょうね。中島正さんも、「周囲との関係を切って、みの虫になれ」って言うのではないでしょうか。勝手に想像して言ってますけど。

北海道有機農業研究会とは、わたしとしては、深入りしないで、ほどほどにおつきあいしようと思います。
わたしは、栽培技術的には、試行錯誤でやってくスタイルがなじんでいて、有機農業式の栽培から学ぶことは、少ないと思います。社会的・農業政策的な考え方の勉強としても、あえて尊大な言い方を許してもらえるなら、「大枠は、見えてしまった」という感じが、しないではありません。

以下に、北海道有機農業研究会のメーリングリストに送った、わたしのメールを掲載します。けっきょく、会を「切り捨て」ることは、しませんでした。なぜなのかは、自分でもよく分からないです。

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田中敬三「会員名簿の管理のことと、総会の会場選定のこと」

会員名簿の管理のことと、総会の会場選定のことでお騒がせしております、といいますか、お騒ぎしています、田中敬三です。上記2点について、若干補足させていただきます。

まず、会員名簿の管理の件です。
去年の事務局長の××さんと、おととしの事務局長の××さんに電話をして、事情をお聞きしました。おととし、わたしが入会したときに紙に手書きした住所をパソコンに入力するときに、間違えて、他の会員の方の住所を入力してしまったらしいです。
去年の総会は、わたしは、総会が終わったあとで、総会があったことを知りました。わたしは事務局に電話をして、連絡が来なかったことを抗議して、正しい住所を言いました。××さんは、わたしの住所を正しく直した住所録をつくって、××さんに事務を引き継いだ、とのことですが、実際の住所録は、おととしの間違ったままの住所でした。ですから、今年の総会の案内も届かなかったのです。
これは、わたしの想像ですが、××さんは、わたしの住所を直したあと、保存しないでファイルを閉じてしまったのではないでしょうか。そうだとすると、正しく直した記憶と、実際に直っていないファイルとの、つじつまが合います。
2年間、連絡が来ないので、「何これ、いじめ?」と、疑心暗鬼になりましたが、説明をうかがって、事務局には、もちろん、悪意などなく、ただ偶然、運悪く、「うっかりミス」がわたしに重なって当たってしまったのだ、ということが分かりました。
今回、××さんに、正しい住所に直してもらいましたので、仕切り直しということで、改めまして、みなさん、よろしくお願いいたします。

会場選定の件で、クリスチャンセンターは、会場がすいていて、利用料金も安い、とありましたが、それには理由(わけ)がある、ということを、たとえを使って補足します。
民放のテレビは、NHKのように受信料をとらなくて、「安い」と思われているかもしれませんが、コマーシャルの効果が実際にあるから、放送局は成り立っているのです。いつの間にか暗示にかかって、商品を買わされているわけですから、じつは、ものすごく高いテレビ番組と考えられるかもしれないのです。
宗教団体関連の施設も、それと同じようなものです。その宗教に親しませて、近づきやすいムードにする効果がある、と思われるから、あえて安い料金に設定してあると考えられるのです。

わたしは、テーラワーダ仏教を信仰しています。
現在、テーラワーダ仏教徒が国民の多数を占めるスリランカでは、もともとテーラワーダ仏教の信仰が盛んだったのですが、スリランカを占領したイギリスは、教会と学校を建てて、キリスト教の布教を進めました。学校は国民の税金でまかなわれていましたが、西洋文明やキリスト教こそが優れていて、仏教や伝統的な文化は、低級・野蛮なもの、という価値観に基づいた教育が、徹底しておこなわれました。学校長は神父や牧師が兼ねていて、生徒が学校を卒業して、役人などの社会的地位のある職に就こうとするときには、学校長から「キリスト教徒である」という証明書をもらわなければなりませんでした。
こうした政策のために、一時、仏教は滅びかけますが、やがて、仏教復興運動が起こって、それがスリランカ独立の原動力になります。
自分が信じるのと同じテーラワーダ仏教を信じるスリランカの人たちの歴史を思うとき、高野さんの言われた「器(文化)」の大切さを、改めて、しみじみ感じないではいられません。
わたしが、クリスチャンセンターでの総会に参加できない気持ちを、少しでも分かってもらえたら、と思って、書きました。失礼しました。

次回からは、もらったブルーベリーの苗穂のこととか、拓殖短大の食農研の「メ・シクーナ」というミニコミ(わたしも原稿を書いた)のこととか、栽培のブログっぽいことを書きましょうね。

【関連記事】
北海道有機農業研究会の場合
北海道有機農業研究会のメーリングリストから
矢部正範・右京零『爆笑トリビア 解体聖書』コアラブックス
藤原辰史『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)
一楽照雄と日本有機農業研究会

【参考外部リンク】
北海道有機農業研究会という組織のこと - 農民芸術学校ブログ

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北海道有機農業研究会のメーリングリストから

きのうの記事、「北海道有機農業研究会の場合」で、わたしが書いたところだけををご紹介しました、北海道有機農業研究会のメーリングリストでの一連のやりとりですが、書き手のかたがたから転載承諾が得られましたので、つなげてご紹介します。本当は、もうひとかた、転載承諾待ちの書き手のかたががいらっしゃるのですが、そのかたの分は、承諾が得られてから追加することにします。承諾してくださったかたがた以外のかたのお名前は、××で伏せます。それ以外は、原文のままです。

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田中敬三「北海道有機農業研究会の総会に参加しません」

××様

会員名簿管理の状況についてお答えいただきありがとうございます。

会員名簿の管理については、2点、指摘させていただきます。

一点は、わたし田中は、北広島に住んでいたことは一度もないということです。「今回も北広島に送らせていただきました」とありますが、「北広島」って、どこの田中さんの話ですか? 去年の××さんの言い訳も呆れましたが、××さんのこのお答えを聞いて、管理のし方が杜撰そうな印象を、さらに濃くしました。

もう一点は、2カ月ほど前の、11月11日に××さんの名前で発送されたメールが、宛先がCC(カーボンコピー)で、全員のアドレスが晒されているんですけど、これについては、どのように思われているのか、新旧事務局の見解をお知らせください。

会員名簿の管理については、以上です。

今年の総会の会場が宗教団体関連の施設となっていることについて、わたしは、信じられないほどの不見識だと考えていますが、役員の人たちはどう考えていらっしゃるのか、ぜひともうかがいたいです。黙る、という反応も含めて、それぞれの方がどのように考えていらっしゃるのか、非常に興味があります。

  田中敬三

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牧野時夫「田中様の質問へのお答え」

牧野です。

 田中敬三さんの毛嫌いしているクリスチャンの一人ですが、私の意見を述べます。北海道クリスチャン・センターは、宗教に関係なく一般の市民活動に広く開放している施設です。仏教徒の方が使いたくないと言って利用しないことに文句を言うつもりはありませんが、クリスチャン・センターに偏狭な考え方はありませんから、もしかしたら仏教やイスラム教の集会にだって快く貸してくれるかもしれません。有機農研として利用することに、何ら問題はないと思います。というか、問題にする方が、おかしいと思います。
 例えば上智大、立教大、青山学院大、明治学院大、北海道では酪農学園大、藤女子大、北星学園大など、みなキリスト教主義の大学ですが、クリスチャンだけを対象にしたものではないし、学生をクリスチャンにしようとしているわけでもないのと同様です。全国吹奏楽コンクールの最終会場は、普門館という立正佼成会の経営するホールですが、キリスト教主義の学校でも参加を拒否したという話はきいたことがありません。

 宛先をBccにするべきところ、Ccにしてしまうことは、私も何度かやってしまったことがあります。ミスはミスですが、謝れば済むことです。その場で本人に指摘してあげれば、よいのではないでしょうか?

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田中敬三「Re:田中様の質問へのお答え」

牧野様

お答えありがとうございます。牧野さんは答えてくださると思っていました。

簡単にコメントします。クリスチャンセンター側が広量な精神をもって、仏教徒やイスラム教徒にも施設を貸すとしても、仏教徒やイスラム教徒側では、クリスチャンセンターで催しをしようとはしないでしょう。
問題の所在は、施設を貸す側ではなく、借りる側がどの施設を選ぶか、というところにあります。宗教団体関連の施設でなければ参加したいと思っていた人が、参加できなくなるわけですから、その責任は、会場を選択した人にあります。
北海道有機農業研究会は、有機農業を研究する団体ですから、宗教団体関連の施設を選ばなければ、誰でも気持ちよく参加できるはずです。わざわざクリスチャンセンターで総会を開催しようとするのは、常識的に考えても「変」です。
それでも、北海道有機農業研究会の総会をクリスチャンセンターで開催することを「問題にするほうがおかしい」とおっしゃるのであれば、それは、文化の多様性を理解しない、傲慢な考え方だと思います。
ミッションスクールについては、ミッションスクールだから行かない、という人は、いくらでもいます。

CCについては、会員名簿の杜撰な管理と同質の問題で、メーリングリスト参加者全員のアドレスを無断で晒してしまっているわけで、こういう事では困る、ということの一例として挙げました。

以下は、事務局への意見です。

わたしのところに去年も今年も総会の案内が届かないのは、どうやら、北広島の田中さんという人の所に届いていて、間違いとして返送されてこなかったから、というのが真相なのでしょうか。
わたしは、去年の1月に会に転居届を出したのではなく、会報類が届いていないことに気づいたわたしが、3度請求しても来なかったので、××さんに電話をかけて、「正しい」住所を連絡したのです。それなのに、今年の総会の案内も届かないというのは、本当に北海道有機農業研究会の事務局って、どうなっちゃってんの?!って感じなんですけど。
今年は総会前に発見できてよかったですが、会場がクリスチャンセンターということなので、わたしは参加できません。キリスト教関係だからどうのといちゃもんつけているのではないのです。有機農業の研究団体なのですから、誰でも気持ちよく参加できるように、特定の宗教や特定の政治傾向などに関係しない会場を選ぶのは、役員として当然の義務ではないかと、わたしは思います。

  田中敬三

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高野健治「田中様へ」

高野です。
いろいろ不愉快な思いをさせてすみません。
以前交流会で親しくお話して以降、お会いできなくて、深川でその後、どうしていらっしゃるかと思っていましたが、こちらの不手際で全然案内が行ってなかったんですね。本当に申し訳ありません。
さて、私は、田中さんおっしゃる所の、ずさんで不見識な会の代表を現在しておるのですが、クリスチャンセンターを総会学習会で使用することについて、私の考えを述べさせていただきます。
私は、田中さんのように、敬虔な仏教徒でもなければ、牧野さんのようにクリスチャンでもありません。もともと宗教には多大な興味を持っていましたが、現在無宗教だと言ってよいでしょう。

田中さん、実は去年の我会の総会学習会は札幌の世界救世教の建物をお借りして行われています。去年、世界救世教で今年、キリスト教ですから、田中さんに言わせると、もう滅茶苦茶ということになりましょう。でもね、残念ながらこの会はそういう会なんですよ。
私も、この会に入った時、いろんな意味で、もうちょっときちんとした方が良いんではないかと思いました。しかし、事務局のずさんさは強く自己反省しなければなりませんが、それ以外の物事に対する「ゆるさ」こそがこの会の魅力なのでは?!と思っています。
田中さんは「不見識」とおっしゃいます。 私は「見識の違い」かなと思うわけですよ。

ぶっちゃけた話、会場として、集まりやすく、しかも低料金な場所はなかなかないんです。
クリスチャンセンター内で宗教的なことを押し付けられたら私も嫌ですが、今まで、何べんもこの会場を使用してますが、そういうこともなかったですし、器はどこだって、良いんじゃないのかなーと、言うと田中さんをまた怒らしてしまうかな?
どうですか、田中さん、今度農業の話以外にも宗教の話もしませんか、個人的に。
良かったら、長くこの会ともお付き合いください。

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田中敬三「Re:田中様へ」

高野さん、こんにちは。

誠実なお答えをいただき、ありがとうございます。高野さんの発想の「ゆるさ」に、ほっとさせられました。

個人的には、キリスト教であれ、神道であれ、宗教団体関連の施設での総会への参加は、遠慮させていただきます。皆さんにお会いできないのは残念ですが、わたしの宗教的良心が許さないですね。

それで迷惑をこうむる人がいない限り、文化の多様性は、できるだけ尊重されるべきだと、わたしは思っています。その意味では、「器はどこでもいい」というご主張は、文化の否定のように感じられます。

わたしは、思っていることを、わりとすぐ言ってしまうのですが、中には、黙って欠席する人もいるかもしれませんし、出席はするけど、違和感を抱き続ける、という人も、いるかもしれません。

来年の総会の会場選定のときは、「ついていけない」と感じかけている人がいるかもしれない、ということを、ちらっとでも想像していただけると、うれしいです。

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高野健治「Re:田中様へ」

田中さん、ご返答ありがとうございます。
なるほど、器も文化なのかもしれませんね。
文化を否定するつもりはないのですが、確かに、僕は仏、あるいは神というものの在りように比べたら器(文化)を軽視しているかもしれません。
ところで、道新の朝刊に五木寛之が親鸞について小説を連載しています。ご存知ですか? 今、若き日の親鸞は「仏とは何か」について、苦しみながら自問自答して答えを探し求めています。
田中さん、『仏とは、何なのでしょう?」、そして『仏はどこにいるのでしょう?」答えはこの欄でしなくて結構です。今度、お会いした時にきかせてください。
田中さんのような考えの会員が一人でもいる以上、次回からは会場について 留意します。
転載の件、O・Kです。 では、お元気で!
高野

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田中敬三「Re:田中様へ」

高野さん、
こちらこそありがとうございます。

器(文化)って、大切なのです。集金力のある宗教団体は、集会場でも、講演会場でも、コンサートホールでも、学校でも、病院でも、図書館でも、何でもつくって、「器」をとおして布教をすすめてこようとします。そういった文化戦略には、自覚的でありたいものです。

で、総会の会場には、わたしのように声を上げる人がいなくても、公共の施設のような、ニュートラルな会場を選んでください。たばこの煙を迷惑だと声を上げる人がいなくても、公共の場では喫煙しないのと同じようなことです。

1月の中旬に開催する、と決めたら、公共の施設の予約申し込み開始にあわせて、近所でいける人に、行って予約してもらえば、それですむことです。今回のように、2週間前に開催を知るのでは、都合のつかない人もいます。

ちなみに、わたしは、きょう、16日現在、まだ、総会の案内を受け取っていません。このメーリングリストで、総会があることを知っただけです。
事が終わったあとで案内が来ても、古新聞の束を持って来て、新聞の購読料を請求されるようなものです。

宗教の話は、はた迷惑な信仰を押しつけようとする人が近くにいる状況では、時間の無駄なので、したくありませんが、誠実そうな高野さんとでしたら、有意義な時間が過ごせそうです。
いつか、お会いできるときを楽しみにしています。

  田中敬三

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北海道有機農業研究会の場合

世の中には、いろいろな組織がありまして、人間がやることですから、何かとトラブルはつきまとうわけなのであります。
栽培生活の掲示板のほうで、今、盛り上がっている話題で、「北海道有機農業研究会」という組織があります。掲示板を見て、「メーリングリスト」って、何?という人のために、くだんのメーリングリストでの一連のやりとりを、このブログに転載しようと思ったのですが、書いた人たちが転載を許可してくれそうにないので、とりあえず、わたしが書いたところだけを転載することにします。個人名は××で伏せます。
組織運営の参考にしていただければ、幸いです。

××様

会員名簿管理の状況についてお答えいただきありがとうございます。

会員名簿の管理については、2点、指摘させていただきます。

一点は、わたし田中は、北広島に住んでいたことは一度もないということです。
「今回も北広島に送らせていただきました」とありますが、「北広島」って、どこの田中さんの話ですか? 去年の××さんの言い訳も呆れましたが、××さんのこのお答えを聞いて、管理のし方が杜撰そうな印象を、さらに濃くしました。

もう一点は、2カ月ほど前の、11月11日に××さんの名前で発送されたメールが、宛先がCC(カーボンコピー)で、全員のアドレスが晒されているんですけど、これについては、どのように思われているのか、新旧事務局の見解をお知らせください。

会員名簿の管理については、以上です。

今年の総会の会場が宗教団体関連の施設となっていることについて、わたしは、信じられないほどの不見識だと考えていますが、役員の人たちはどう考えていらっしゃるのか、ぜひともうかがいたいです。黙る、という反応も含めて、それぞれの方がどのように考えていらっしゃるのか、非常に興味があります。

ちょっと補足します。去年の総会の案内が、事務局のミスによって、わたしのところに届かなくて、わたしは、去年の総会には、参加できませんでした。で、事務局に電話をして、正しい住所を伝えたのです。なのに、今年の総会の案内も届かなかった、という事情です。
はい、では、続きです。このあと、宗教がらみの記述に反応して、××さんからの投稿がありました。それへの、わたしからの答えです。

××様

お答えありがとうございます。××さんは答えてくださると思っていました。

簡単にコメントします。クリスチャンセンター側が広量な精神をもって、仏教徒やイスラム教徒にも施設を貸すとしても、仏教徒やイスラム教徒側では、クリスチャンセンターで催しをしようとはしないでしょう。
問題の所在は、施設を貸す側ではなく、借りる側がどの施設を選ぶか、というところにあります。宗教団体関連の施設でなければ参加したいと思っていた人が、参加できなくなるわけですから、その責任は、会場を選択した人にあります。
北海道有機農業研究会は、有機農業を研究する団体ですから、宗教団体関連の施設を選ばなければ、誰でも気持ちよく参加できるはずです。わざわざクリスチャンセンターで総会を開催しようとするのは、常識的に考えても「変」です。
それでも、北海道有機農業研究会の総会をクリスチャンセンターで開催することを「問題にするほうがおかしい」とおっしゃるのであれば、それは、文化の多様性を理解しない、傲慢な考え方だと思います。
ミッションスクールについては、ミッションスクールだから行かない、という人は、いくらでもいます。

CCについては、会員名簿の杜撰な管理と同質の問題で、メーリングリスト参加者全員のアドレスを無断で晒してしまっているわけで、こういう事では困る、ということの一例として挙げました。

以下は、事務局への意見です。

わたしのところに去年も今年も総会の案内が届かないのは、どうやら、北広島の田中さんという人の所に届いていて、間違いとして返送されてこなかったから、というのが真相なのでしょうか。
わたしは、去年の1月に会に転居届を出したのではなく、会報類が届いていないことに気づいたわたしが、3度請求しても来なかったので、××さんに電話をかけて、「正しい」住所を連絡したのです。それなのに、今年の総会の案内も届かないというのは、本当に北海道有機農業研究会の事務局って、どうなっちゃってんの?!って感じなんですけど。
今年は総会前に発見できてよかったですが、会場がクリスチャンセンターということなので、わたしは参加できません。キリスト教関係だからどうのといちゃもんつけているのではないのです。有機農業の研究団体なのですから、誰でも気持ちよく参加できるように、特定の宗教や特定の政治傾向などに関係しない会場を選ぶのは、役員として当然の義務ではないかと、わたしは思います。

  田中敬三

はい。この××さん、クリスチャンセンターで総会を開催することを「問題にすることがおかしい」とのたもうのです! で、クリスチャンセンターは、宗教に関係なく誰でも利用できる、と。そして、ミッションスクールを例に挙げて、それらと同じだ、と。ミッションスクールは、「学生をクリスチャンにしようとしているわけでもない」ですって。あのう……ミッションスクールって、日本語に訳すと、「伝道学校」なんですけど。
この××さん、こういう、まったく矛盾することを平気で強弁するくせがあるんですよね。以前も、ご自分のことを、「絶対的権威(神)に服従するアナーキストだ」と、自己規定されていました。白い猫は黒猫だってか。束縛は自由だ!ってか。オーウェルですか。××さんは、バクーニンを読んだことがないんじゃないかと推測しますが、どうですか。百科事典の解説じゃなくて、本として、の話で。
××さんではないですが、ちょっと前に、詩人で、キリスト教日本聖公会の伝道師でもあった山村暮鳥の詩を読んでいましたら、「苦痛は美である!」「苦しめ」とかいう行が出てきました。日頃からはりつけの物語に親しんでいると、感覚が倒錯してくるのかもしれません。図書館で借りたこの山村暮鳥の詩集の中に、明白な差別用語がもろに差別的に出てきたので、図書館の職員に指摘したら、閉架のほうに引っ込めてしまいました。

次は、別の方からです。
この方は、わたしが総会の会場の選定が「不見識だ」と非難したことに対して、「見識の違いでしょう」と、かわします。そして、こういう「ゆるさ」が、この会の味なんだ、とおっしゃいます。過去には、世界救世教の施設で総会を開催したこともあるそうです。信ジラレナ~イ! 不見識というか、無節操というか。
はい。では、その方への、わたしからの答えです。

××さん、こんにちは。

誠実なお答えをいただき、ありがとうございます。××さんの発想の「ゆるさ」に、ほっとさせられました。

個人的には、キリスト教であれ、神道であれ、宗教団体関連の施設での総会への参加は、遠慮させていただきます。皆さんにお会いできないのは残念ですが、わたしの宗教的良心が許さないですね。

それで迷惑をこうむる人がいない限り、文化の多様性は、できるだけ尊重されるべきだと、わたしは思っています。その意味では、「器はどこでもいい」というご主張は、文化の否定のように感じられます。

わたしは、思っていることを、わりとすぐ言ってしまうのですが、中には、黙って欠席する人もいるかもしれませんし、出席はするけど、違和感を抱き続ける、という人も、いるかもしれません。

来年の総会の会場選定のときは、「ついていけない」と感じかけている人がいるかもしれない、ということを、ちらっとでも想像していただけると、うれしいです。

  田中敬三

とまあ、こんな感じで、やりとりしました。
結果から言うと、会の、ほとんど唯一の活動である総会の案内が、2年連続して、わたしのところへ届かなかった、ということと、総会を宗教団体の関連施設で開催することについて、「おかしい」という感覚がない、ということです。変でしょう?

北海道有機農業研究会というのは、こういうところです。ご参考までに。

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森林を開拓して就農するやり方

わたしは、「販売農家」という意味での就農は、する気がなくなりましたが、自給のための栽培は、続けていきたいと思っています。タイトルの中の「就農」は、「販売農家」だけではなくて、「自給のための栽培」を含めて言っています。

自給のための栽培をしようと思ったときに、農地は、法律の縛りがあって、利用しにくいものがあります。特に北海道の場合、小規模での農業は、新規参入がむずかしいです。
では、どこで栽培をしようかと考えたときに思いつくことの一つが、「森林」ではないでしょうか。わたしも、そう思って、森林組合の事務所を訪ねたことがあります。森林の売買についての情報は、森林組合にあります。森林組合には、住宅地での「住宅地図」に当たる「森林地図」があって、森林の所有者や、それらの森林の性質について教えてもらえます。
北海道の森林は、かつてそれが一般の人たちに「払い下げ」られたときに、5町(約5ヘクタール)が標準的な単位だったために、今でも、5町単位で区切られていることが多いです。5町の森林を買って、その一部を、業者に頼んで、畑や住居用に開拓してもらう、というやり方は、可能だと思います。値段は、地面だけの値段としては、5町で50万円ぐらいからあるようです。
ただし、交通が不便なところが多いです。雪の多い地域では、冬の間は、陸の孤島のようになります。電気・電話・水道などのライフラインがないところがほとんどです。人間に有害な虫や野獣(クマとか)などが多いところも多いです。気候や地質によっては、農耕に向かないところも多いでしょうから、事前の十分な調査と、かなりの覚悟が必要になります。
冬期は町場に住む、という方法は、現実的だと思います。家を2軒持つ余裕があれば、の話ですが。一年中町場に住んで、畑をやりに山へかよう、というのは、自動車の燃料代がかさみます。いわゆる「粗放的農業」で、あまり手をかけないでやれる作物であれば、可能かもしれません。

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降雪前の追い込み作業(ご近所の様子)

雨がちな日が続いています。このまま、雪がちな日に続いていくのでしょうか。
わが深川市と、北海道第2の都市旭川市とは、隣同士ですが、長いトンネルを通らないと、隣の市に行くことができません。JR函館本線ならば、神居(かむい)トンネル。国道12号線ならば、春志内(はるしない)トンネル。山の西側に当たる深川市は、東側に当たる旭川市に比べると、明らかに雨がち、雪がちです。雪の季節にトンネルを抜けていくと、風景の違いが、はっきりと見てとれます。

ご近所の農家は、雨の合間をぬって、トラクターを走らせています。夜中中、ライトをつけて、畑を起こしていることさえあります。タイムリミットが迫っている感じが伝わってきて、わたしもあせってきます。わたしは、早朝は苦手なのでやりませんが、せめて、日が暮れて暗くなるまでは、畑に残っている作物を、収穫できる限り収穫しようとは、思っています。

先日、暗くなるまで作業をして、さて帰ろうとして車に乗って、暗い中、手探りでラジオのボタンを操作したら、普段聞かない放送局の番組が聞こえてきました。こじゃれた音楽番組なのですが、ときどき入るコールサインが、「農政部です」と言っています。「???」。北海道庁の農政部が、こんな番組のスポンサーをしている? しばらく、訳が分からなかったのですが、よく聞いたら、「ノースウェーブです」と言っていました。そういう名前の放送局(FM NORTH WAVE)らしいです。

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食欲の秋で、自給率、急上昇

「だめだよ。もう気がついたよ。誰もトウモロコシ、注文しないようだよ」
「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、「交雑しています。黄色い粒の中に黒い粒が混ざってたりして
ます」なんて、間ぬけたことを書いたもんだ」…………。

わたしは、トウモロコシは、白もち、黒もち、黄もち、八行、キャンベラの5種類を栽培しているので、雌花に5種類あって、それぞれに5種類の雄花からくる花粉を受けるのですが、全種類の花粉を同時に受けることも可能です。雌花と雄花の順列組み合わせは、全部で何種類になるのでしょうか。
「一夫多妻ですね」と言ったIさん、違います。「一妻多夫」です。トウモロコシ1本を動物の1回の出産にたとえると、多卵性多生児の、一人一人の父親が違うようなものです。すごいことになっています。全然売れないです。おかげで、我が家の晩飯は、毎日トウモロコシです。

トウモロコシだけではなくて、ジャガイモも、ミニトマトも、キャベツも、ズッキーニも、くらかけ大豆の枝豆も、畑でとれる野菜がいっぱいあって、食品は、なーんにも買う必要がありません。ここ1週間ほどは、買い物をしていません。
ある日の、家族ごとの自給率を調べることがあれば、我が家は、間違いなくトップクラスにランクされるでしょう。

先日、市役所から電話があって、「「健診結果相談会(健康診断の結果についての相談会)」をやるから、来てください」と言います。健康診断を受診したら、やれ肥満気味だ、善玉コレステロールが少ない、糖尿になりやすい、などと、身に覚えのないことをいろいろ言われたので、この際はっきりさせてやろう!と、出かけていきました。
栄養士さんにアドバイスをもらえるというので、
「油ものも、甘いものも、ほとんど食べていません。もっぱら畑でとれる野菜を食べて、畑で一日中体を動かしていて、運動も十分なはずです。どうしてこのような結果になるのですか」と問いただすと、栄養士さん、「うーん」と考え込んでしまいました。
しばし間があって、ふっと、栄養士さんが聞いてきました。「トウモロコシとか、枝豆とか、ジャガイモとか、どのぐらい食べているのですか?」。わたしが食卓を思い浮かべながら答えると、栄養士さんが、きっぱりと言いました。
「原因が分かりました。田中さん、あなた、食べすぎです」

教訓:「健康にいいものを食べていても、食べすぎたら、何にもならない」

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食事制限

制度がかわって、今年からは、ただで健康診断をしてもらえるというので、受診してみた結果、「善玉コレステロールが少ない」「糖尿病になりやすい体質」という診断がくだりました。お医者さんが「薬を使わないで、食事療法で改善していきましょう」と言うので、どんな食事をすればいいのか、たずねると、「油と砂糖をひかえる」という、とても簡潔なお答えがありました。

まず、揚げ物はダメ。カレーも、クリームシチューもダメ。マヨネーズもダメ。乳製品(バター、チーズ、ヨーグルト)もダメ。
ホームベーカリーで、バターを入れて、パンを焼いて、チーズをはさんで食べる、なんてのは、ダメなんですって。乳酸菌は体にいいと信じてヨーグルトを食べていたのに、これもダメなんですって。北海道は、乳製品の産地なのにねえ。

食生活ということで思い浮かぶのは、農家の食生活です。ここ、深川近辺で見聞きする限りでは、一日5食であることが多いです。午前10時と午後3時に「いっぷく」といって、出面さん(臨時雇い労働者)や「研修生」さん(←「」をつけたらいけないか(汗))に、菓子パンや缶入り、ないしは、ペットボトル入りの飲み物が、ふるまわれることが多いです。Aコープに電話で人数を言うと、適当に見つくろって、持ってきてくれたりします。で、この「いっぷく」で摂取する油と砂糖が、半端でないのです。まあ、「力仕事しているから、これぐらい食べとかないとね」というのが、言い訳なのですが。

今現在は、わたしは毎日、一人で、自分の畑で働いているので、お昼には、自分でにぎって持っていったおにぎりを食べているだけです。飲み物は、ふつうの水道の水です。
自宅でパンを焼くといっても、1週間に1度ぐらいです。ふだんは、畑でとれる野菜を、いっぱい食べています。
健康的な食生活をしているはずなのですが、調べてみると、ダメなんです。体質が原因らしいです。というか、原因が分からないので、体質のせい、ということにしているんじゃないか、と邪推しています。

お医者さんに、「油と砂糖をひかえなさい」と言われたので、今後、それ系の食品は買わないつもりですが、すでに買ってしまってあるものは、捨てるのももったいないので、ただ今、「在庫一掃・食べ尽くしセール」を実施中です。ものすごく体に悪そうです。

塩、油、砂糖、「うまみ(だし味)」は、人間が食べ物をおいしく食べるために発明した調味料です。食べられるものを食べるのではなくて、より「おいしい」ものを食べようと志向しはじめたあたりから、食べ物のバランスが崩れて、不健康になっていったのではないでしょうか。そして、世界中から食べものをかき集めて、食欲をそそる味付けをして、なんだかんだと付加価値をつけて、すぐ食べられるように加工して、売るようになったのでしょう。

萱野茂さんの『アイヌのイタクタクサ 言葉の清め草』(冬青社)という本を読んでいたら、かつてアイヌ民族は、鮭や鹿を狩ってくると、数日間は食べ物があるので、余暇の時間がたっぷりあって、その間に彫刻にこったりしていた、という話が出てきました。
遠い外国から「うまい」ものをとってくるのではなくて、身近なところにあるものを食べる幸せを感じさせる話だと思いました。この本から引用します。「当たり前の、日常の幸せ」を表していると思います。

 アイヌの〝ウゥェペケレ=昔話〟のおしまいに、

ネプアエルスイカ
ネプアコンルスイカ
ソモノオカアン


私は何を食べたいとも
何を欲しいとも
思うことなく暮らしていた

という言葉がよく出てきますが、かつてのアイヌ社会での理想的な暮らしは右の言葉に凝縮されているように思います。

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さようなら、山の畑

北海道の小中学校は、お盆を過ぎると、夏休みも終わりです。急に秋らしく、涼しくなってきました。深川市のきのうの最低気温は、わたしの実測で14℃。ラジオの天気予報では、お隣の旭川市では、「あしたの朝方、10℃を割るところもあるかもしれない」と言っていました。

わたしは、お盆は関係なく、畑仕事をしています。盆踊りにも、ジンギスカンにも、参加しませんでした。わたし、お酒飲みませんし、たばこの煙も苦手ですし、ガキの甘ったれた声の盆踊りの音楽なんか、遠くから聞こえてくるだけでゾッとしますし……。
何日か前に、町内会の人が、お祭りへの寄付を集めに来たときに、わたしが断ったら、目を丸くして驚いていました。少額であっても、みなさん、出しているんでしょうね。拒否する人がいるとは思っていなかったんでしょうね。
京都府から北海道に来て新規就農した人が、「北海道人は、反対意見があることを想定していないことがある」という意味のことを言っていたのを思い出しました。

去年の秋に種をまいて、そのまま放置してあった秋まき小麦も、無事みのって、その収穫も終わりました。もう、山の畑に来ることもないでしょう。2年間かよった畑なので、愛着もあって、去るとなると、感慨深いものがあります。
地面が傾斜していること、草が生えていること、風や、水の流れの音がすること、野生生物がいること、人目を気にしないですきなようにできることなど、思い出がよみがえってきます。

山の畑全体を見渡して気づくのは、去年栽培していた作物の区切りに沿って、草の色が違う、つまり、違う草が生えている、ということです。栽培する作物によって、土がかわって、そのあとに生えてくる草も違ってくることが分かります。
よく、作物のあいだに生えてきてきらわれるヒエも、こぼれ種で生えることがあるのでは、と思っていましたが、全く生えていませんでした。作物として品種改良されてきたヒエは、繁殖力が弱まっているのか、低肥料で、ほかの種と競争状態に置かれると、負けてしまうようです。
小麦は、畝間に赤クローバーの種をまいておいたのがよかったのか、草に飲まれることもなく、無事に穂をつけるところまで成長しました。

そのほかで、わたしが種をまいた作物で、生き残っていたのは、とり残した芋から育ったキクイモと、いく本かとり残っていたニセアカシアがありました。
キクイモは、肥料がなければないなりに、こぢんまりと成長します。ニセアカシアは、このへんの自然発生する森の中には、自生している木なので、多少残っていても、悪影響を与えることは少ないと思います。言い換えれば、ニセアカシアぐらいしか、このへんでは、木は育たない、ということです。

わたしが、この山の畑を離れなければならなくなった理由には、ここが農地で、北海道の基準では、わたしの農業のやり方では、わたしは農業者として認定される可能性がなくて、したがって、農地を借りることも買うことも、法律上はできない、ということが、まず一つあります。
もう一つの理由は、わたしがここに住み着けなかった、ということがあります。2年間、わたしは、ふもとの町から、山の畑まで、車でかよっていました。わたし一人でしたら、とりあえず、安い中古のスーパーハウス(鉄骨と合板でできた箱の家。積雪に耐える。)でも買って、森の中でワイルドな生活をはじめてもよかったのですが、年老いていて、虫やらヘビやらが大きらいな母がいるので、そうもいきませんでした。

というわけで、現在わたしは、電気・ガス・上下水道完備、おまけにインターネットも使えて、冬は灯油で暖房、雪が降っても業者さんが除雪してくれる、まさに都市的な、なまぬるい環境で生活しています。それに加えて、「かよい」ではありますが、山の畑に比べれば、はるかに「近所」のところに、3カ所ほど畑を借りて、「栽培生活」を続けています。
クライブ・ポンティングさんの『緑の世界史』を読んで以来、都市的な、資源・エネルギーを浪費するスタイルの生活はしたくないと、強く思うようになったのですが、そこから逃れられない自分もいて、動けないでいます。
自分一人の生き方だけでなく、大きく、人類のゆくえについて考えても、解決策は見えてきません。多くの人びとにかかわる大きな危機は、避けられないのかもしれません。

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田舎の人たちと街の人たち

きょうは、山の畑に行ったのですが、仕事を終えて帰ろうと車を動かしたときに、車輪をU字溝に落としてしまいました。草が生えていて、そんなところにU字溝があるとは思ってもいなかったところに、それはありました。車は、進むことも、戻ることもできなくなりました。
軽トラを使っている人には分かると思いますが、軽トラには2つのギア・チェンジ・レバーがあります。10段変速の自転車に、ギア・チェンジ・レバーが2つあるのと、同じようなものです。元のギアを「ロー」に入れると、車輪は、ゆっくり、じわーっと動くので、傾斜地やぬかるみなどから脱出することができます。ところが今回は、頼みのローギアも、ききめがなく、わたしは車から出て、JAFのロードサービスを呼ぶことにしました。
ところが、わたしは携帯電話を持っていません。仕方がないので、人家をさがして、電話を貸してもらうことにしました。ところが、この地域、人家がなかなかないんです。おとなりの家が何キロも先にあって、見えないようなところなんです。もう、ひたすら歩きました。ところがところが、せっかく人のいる家を見つけても、ノックをしても、大声で呼んでも、出てきてくれない家もあります。出てきてくれた家の人の反応から推測すると、知らない人の呼びかけには応えないことにしている家があるようです。

この地域には、学校も、病院も、商店も、警察や消防署もありません。たまに、食料品や日用品を積んだ「移動販売車」が来ます。住んでいる人たちは、たぶん、100%農民でしょう。深川の街まで出るのに、車でも30分以上かかります。
この地域に、わたしは、おととし、去年と畑を借りて、車で通って、栽培活動をしていました。2年めの夏に、地域の責任者のお宅を訪ねて、「来年の新年会で、簡単に挨拶させてほしい」と頼んだところ、「農協の組合員になっていない人間には、挨拶させない」と、あっさり断られてしまいました。そもそも、農協というのは、任意加入の組織なのですが、そんなことを言っても通じなさそうなので、認定農業者制度のことを説明して、農協の組合員になりたくても(本当は、なりたくないけど、それは内緒)なれないのだ、ということを言ったのですが、「上」からの指示がなければ、村の人たちに会わせるわけにはいかない、の一点張りで、話になりませんでした。
村のトップがこのような調子なので、村の人たちも似たようなもので、村の外から来る人たちに対して、かたくななまでに拒絶しようとする態度が認められます。今回のわたしの場合、電話を貸してもらえればそれでよかったのですが、それができないのです。まず、わたしが、本当に今困って、電話を借りにきているだけなのかどうか、というあたりから疑うのです。そして、変な番号にかけられて、あとで面倒に巻き込まれないかと、心配するのです。4軒当たって、各家でそれぞれ相当にねばったのですが、やっと4軒めで用が足りました。

今回困ったのは、まず、JAFのロードサービスが知られていない、ということ。「なんだそりゃ?」ってな感じ。もう一つは、♯ではじまる4桁の「救援コール」がつながらない、ということ。この地域の固定電話は、見た目はプッシュ式の電話機なのですが、ダイアル式の信号が出るタイプの、プッシュ回線ではない電話ばかりなのです。携帯電話ならば、当然プッシュ回線なのですが、携帯電話を貸す、ということには、固定電話を貸すこと以上の抵抗があるらしく、ほとんど拒否されました。1軒、ようやく使わせてくれた家があったのですが、運悪く、JAFにつながってすぐに、電池が切れしてしまったのでした。ああ!
最後の4軒めでは、「なんで、もっと近いところで借りなかった」と言われました。だから、貸してくれなかったんだよう。ここも、携帯電話は、絶対だめ、と言われ、JAFの会員証を見せて、固定電話から「救援コール」を押してもらったところ、「ただ今使われていません、だってさ」と言われました。外は真っ暗、7~8キロぐらいは、小走りで歩いてきたわたしは、絶望的になってしまったのですが、ふと、その家の玄関にかけてあったカレンダーを見たら、それが、JAF指定の自動車修理工場の名前が大きく入ったカレンダーで、そこに「JAF指定工場」の文字もあります。「あ、これですこれ。JAFって書いてありますでしょう」ということで、やっとこさ、そこに電話を入れてもらうことができたのでした。
自動車修理工場や電気器具販売店なんかが配るカレンダーって、たいていデザインのセンスが最低で、それでいて、もらっていながら家にかけないと、いけないことのような雰囲気がありますし、かけたらかけたで、そこの店の「檀家」にされたようで、やな気分なのですが、今回の、この自動車修理工場のカレンダーにだけは、本当に、ありがたいと思いました。

外から来る人たちに対する態度の開かれ具合というのは、慣れ次第なのだと思います。街に住んでいる人たちは、人の出入りに慣れていますから、市外から来た人でも、道外から来た人でも、外国から来た人でも、すぐに打ち解けることができます。それに対して田舎の人たちは、生まれてから死ぬまで、変化のない顔ぶれ同士で過ごしているので、外から来る人たちに対して、異様なまでに、拒否的な態度を見せるのでしょう。
街と田舎を比較して、どちらがいいとか悪いとかを評価するわけではありませんが、そういう違いがあるものだ、ということが分かっていれば、いざ拒否されたりしたときでも、あわてないですむだろうと思われます。

今回の一連のできごとの中でよかったなあと思うのは、空が晴れわたっていて、星がいっぱい見られたことです。

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オヒョウの皮はぎ

ナショナルトラスト・チコロナイの催しに参加してきました。今回は、オヒョウの木の皮をはぐ体験をしてきました。アイヌ民族は、オヒョウの木の内皮を薄くはがして、これから繊維をとって、衣服にしたり、ひもとして利用したりしてきました。森で作業をはじめる前に、カムイノミ(神へ祈る儀式)を、おこないました。
木の下のほうにおので切り込みを入れて、そこから上へ向かって、皮をはがしていきます。今回は、木を切り倒して、手分けをして、作業をしました。最初は、内皮と外皮を一緒にはがします。そのあとに、内皮を薄くはがします。内皮は、薄くはぐと、何枚にもはがすことができます。

Kawahagi 写真は、山から持ち帰ったオヒョウの内皮を、広げて乾かしているメンバーたちです。昆布干しみたい?
この段階から、繊維をとり出したり、衣服にしたりするまでには、水につけたりとか、まだまだ、やる工程があるのですが、とりあえず今回やる作業としては、ここまで、ということでした。
自然の中から、生活用品として利用できるものを見つけだして、加工して、活用してきた、民族の知恵を、体験的に学ぶことができて、よかったです。

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ストレッチング

「こわい」というのは、北海道の言葉で、「つらい、だるい、疲れた」の意味です。「田植えの手伝いをしたので、こわくて、こわくて……」のように使います。田んぼに、お化けが出るのではありません。

畑仕事で疲れたときに、その疲れをとるために、わたしはよく、ストレッチングをします。寝床で寝たままできる、簡単なやり方を2つほど、ご紹介しましょう。

Stretching1 正座をした姿勢で、そのまま上体をゆっくりうしろにたおして、ももの前がわの筋肉を伸ばします。少なくとも、2~3分は、伸ばしたままでいます。しゃがみ姿勢が多い仕事をしたあとで、これをやると、気持ちよくて、短時間で足が軽くなります。

Stretching2 仰向きで寝た姿勢から、手で腰を支えるようにして、両足先をあげていき、頭の上を越えて、その先まで持っていくようにします。背中の筋肉が伸びます。くわを使うときのような、前かがみの姿勢が続く仕事をしたあとに、これをやると、歪みがほぐれるような感じがします。

以上。モデルは、豆のボブくんでした。

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朝型人間

北海道は、日本列島の中で、一番北にあります。ですから、夏場は、一番日が長いです。そして北海道は、日本列島の中で、一番東にもあります。ですから、日がのぼる時刻も、一番早いです。農家は、日の出とともに起きて、田んぼの水の状態を点検します。パイプハウスのすそを開けて、中が熱くなりすぎないようにします。水やりが必要な作物は、朝のうちにやります。出荷する作物を段ボール箱につめたりすることもあります。そうやって、朝ごはんの前に、ひと働きしているわけです。一般的な農家は、ですね。
わたしは、朝寝坊ですし、母を病院に連れていったり、デイサービスの迎え送りに付き添ったり、炊事やらの家事をわたしがやっていたりするので、午前中は、畑に行く時間がないことが少なくありません。去年まで行っていた畑に比べれば、畑のある位置は、だいぶ自宅に近くなりましたが、それでも畑へは「通い」ですし、その畑も3カ所あるので、毎日全部の畑を見られるわけではありません。
畑仕事のやり方にも、いろんな「型」があっていいのではないかと思います。

このように、農村では、朝のうちに働く習慣があるので、早寝早起きの人が多いです。都会では、遅寝遅起きの人が多いのと、対照的です。きょうも、このあたりの、感覚の違いからくるすれ違いと言えるようなことがありました。まあ、例によって、わたしの失敗談なのですが……。

今年から、国民健康保険にかかっている人は、ただで健康診断を受けられるようになった、という案内が、市からのお知らせに書いてありました。農業は「体が資本」的なところがあるので、ここらで一度、健康状態を調べておいたほうがいいかも、と思って、市役所に行って、受診を申し込みました。そうしたら、「7日の6時に保健センターに来てください」と言われました。ああ、働いている人が、仕事のあとに健康診断を受けられる時間設定にしてあるのだな、と、わたしは思いました。
きょうが7日、当日でした。受診10時間前から、飲食禁止ということで、わたしは、昼食をぬいて、水も飲まないで、畑で働いていました。一度家へ戻って、シャワーを浴びて、着がえて、6時ちょっと前に保健センターへ行くと、何と、鍵がかかっていて、誰もいません。建物のまわりをうろうろしていたら、市役所の宿直らしい人がいたので、「6時から健康診断があると言われて来たのですが……」と聞いてみると、「ああ、健康診断ならば、朝の6時ですよ」と言われてしまいました。
今ごろの日没は、7時ごろ。6時なんて、まだ明るいのです(朝の6時は、もっと明るいですけど……)。まあ、6時と言われて、夕方の6時だと勝手に思い込んだわたしが悪いといえば、悪いのですけど……。
でも、もしこれが、たとえば東京で、「6時に健康診断をします」と言われたとしたら、夕方の6時だと、ふつう、思うんじゃありませんか?! 朝の6時なんて、みんな、まだ寝てますよ。
どーーーーっと疲れましたね。

これから、都会から田舎へ移住しようと考えているみなさん、もし移住した先で、たとえば、「6時に会いましょう」などと言われたとしたら、それは、朝の6時の可能性があります。確認が必要です。農家は、夜の8時には寝る、という人が、けっこういます。夜に電話をかけると、失礼になることがあります。ご注意ください。

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「嫁に行くなら……」

去年、深川市の農業高校が閉校しました。形式的には、今の、深川東高校に統合されたのですが、農業高校の校舎が使われなくなったのですから、地域の人たちからすると、やはり閉校です。「春には、毎年、安くていい苗を販売してくれていたのにねえ」と、さびしがる声が聞かれます。少子化や、農業人口の減少の結果と考えられます。

自転車で深川橋の手前の交差点で信号を待っていると、自転車通学の深川東高校の学生たちが、にぎやかに、おしゃべりしながら、とおっていきます。あるとき、一人の女子学生が、「嫁に行くなら……」と言いかけました。
わたしは、高校生の会話に聞き耳をたてているわけではありませんが、深川市の将来を案じているので、若い人たちの考え方を知っておくのもいいかも、と思って、聞くともなく聞いていました。

「嫁に行くなら、漁師よね」
「なんでさ」
「だって、漁師ならば、カニ、食い放題だべさ」

高尿酸血症(通風)になりそうな会話です。
確かにカニは、缶詰でも高くて、おいしいけれど、船の中で缶詰をつくらされている労働者は、安い賃金で酷使されて……って、それは、小林多喜二の『蟹工船』の世界でした。
今どきのカニ漁の現場って、どんなんなんでしょうね。漁師さんたちが、海辺で網を直していたり、昆布を干していたりする姿は見るのですが、実際に漁をしているところは、わたしは見たことがありません。
おいしい魚介類が豊富にとれる北海道、ではありますが、深川市は、北海道の内陸部にあって、海がないせいもあって、漁師さんたちの生活を身近に見ることがないのです。

漁師もいいですけど、どうせなるなら、農家っていうのは、どうでしょうか。それも、「半農半X」の自給的農業なんていうのは。そしたら、キクイモ、食い放題だべさ。

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ポケット・ラジオ

わたしが知っている範囲では、農家で、農作業をしながら、ポケット・ラジオを聞いている、という姿を見ることが、けっこうあります。車の運転をする人が、天気や交通の情報を得るために、カーラジオを聞いていることがあるのと、似たような事情かもしれません。
わたしも、耕耘機や刈り払い機などの、うるさい機械を使っているときは無理ですが、静かな作業をしているときは、ポケット・ラジオを聞くときがよくあります。「ながら族」ですね。
わたしは、家にテレビがないので、NHKの受信料は払っていませんが、ラジオを聞くだけならば、受信料を払わなくてもいい、ということなので、助かります。

わたしがよく聞くのは、旭川から来る、NHK・FMの電波です。「邦楽のひととき」とか、「音の風景」とか、「ミュージック・リラクゼーション」とか、「みんなのコーラス」とか、徹底して、断乎として流行を追わない、「わが道を行く」番組編成は、感動的ですらあります。
土曜日は、STVラジオの「ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー」を聞くことが多いです。日高晤郎さんという、自称「芸人」は、北海道では、有名人です。9時間に及ぶ長時間のトーク番組ですが、毎週、飽きさせないで、最後までしっかり聞かせてしまう「芸」は、たいしたものだと思います。
NHKとSTVのほかに、HBCラジオの電波も、雑音が入りますが、「十分に聞ける」音質で、とどいています。この局から放送される番組では、「カーナビラジオ、午後一番!」というのが、農家のオバチャンたちには人気がありますが、わたしが、ずばぬけてすばらしいと思うのは、自局制作ではありませんが、「テレフォン人生相談」という番組です。人は、いろんなことで悩んでいるんだなあ、ということがよく分かって、勉強になります。
「テレフォン人生相談」では、曜日ごとのパーソナリティーが、番組の冒頭で、それぞれの「決まり文句」をナレーションします。パーソナリティーの一人、加藤諦三さんのナレーションをまねて、「きょうの一言」として、こんなこと↓を、言ってみました。

「育つ作物は、育てる努力をしましょう。育たない作物は、なかったことにしましょう。発芽しないことをなげいているよりも、これから植えても、まだ収穫できそうな作物の種を、皆で一緒に植えなおしましょう」

分かる人にしか分からないネタで、ごめんなさい。

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近所の人たちとの会話

今年、街場の畑に戻ってくるまで、2年間、山の畑に通っていました。山の畑に通っている間は、ほとんど人と会うことがなくて、人と会話するということが、ほとんどありませんでした。会うのはキツネやシカや、斜面を吹きのぼる気流に乗って滑空する鳥たちなんかでした。
また、街中の畑で栽培をするようになって、その作業の様子を近所の人たちが見るようになって、話しかけられることが多くなりました。何を栽培するのか、とか、ポリマルチの効用は?とかは、よく聞かれます。
亡くなった相馬暁先生が、「新規就農」という言葉を地域の人たちに広めていてくれたので、北海道では例外的な「小さな農業」をやっていても、不審がられることがないのは、ありがたいです。いまだに、相馬先生の思い出が、街の人びとによって、なつかしそうに語られています。
以前わたしがつくったカボチャを食べたことがある、という人がいたり(わたしは覚えていないのですが……)、毎日煮豆を煮て食べているので、大豆でも小豆でも花豆でもトラ豆でも、豆ができたら買いたいから、頑張ってつくってくれ、と励ましてくれる人がいたり、ほんとに、よく話しかけられます。わたしがつくっていない作物を持ってきて、「食べなよ」と、くれる人もいます。
農業の話をしても、農家でない人とのほうが、農薬を使わないことや、育てている作物のことや、小規模でやっていることなどに対して、率直に意見を言い合えることが多いです。
畑で働いているところを見てもらって、そこでできたものを食べたいと思ってもらって、買ってもらえるとしたら、生産者と消費者の関係としては、とても自然な感じで、いいのではないか、と思います。
山の畑には、山の畑の魅力がありますが、街の中の畑も、近所の人たちとの会話が楽しめて、おもしろいと思います。畑を借りて農業をやる人は、どのような環境の畑でも、適応して仕事をできるようにしておく必要があると思います。

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おいしい水(今年の畑の水事情)

種をまくときや、ポットで育てた苗を畑に移植するときなど、水やりをすると、活着がよくなります。水がない畑で種まきをするときは、天気予報で雨が降ると予報された日の前日にまきます。しかし、雨というのは、そんなに都合よく降ってくれるものではないので、水が使える畑では、人間がジョウロで水をやります。
日照りが続いて、植物が枯れそうなときにも、水が使えると、枯らさないですみます。なければないで、何とかするのですが、あれば便利でありがたいのが、畑の水です。

わたしが今年借りている3カ所の畑の水事情を説明します。
一番広い畑は、「去年まで水田だった畑」です。ここは、畑の50mぐらい先に、ポンプのついた井戸があって、地主さんに「いくらでも使っていいよ」と言われています。この井戸は温泉で、冬でもこおりません。温泉の成分は……よく分かりません。作物に与える影響も、よく分かりません。家畜に飲ませているので、毒ではないとは、思います。
二つ目の畑は、「家庭菜園を引き継いだ畑」です。ここでは、湧き水を水源にする水道の水を使うことができます。わたしの自宅では、川の水を水源にする、深川市の水道局の水道水を使っています。消毒臭がして、利用料金が高いことで知られています。それに比べると、この二つ目の畑で使える水は、水源の水質がいいので、消毒も薄くてよくて、おいしくて、安い水です。畑のすぐ横には、水田の用水が流れていますが、これは、稲作をしていない人は、絶対に使ってはいけません。昔から、水争いというものは、恐ろしいものでした。
三つ目の畑は、「住宅地の中の空き地の畑」ですが、ここには水がありません。どうしても水が使いたいときには、自宅から、水道の水をポリタンクに入れて、持っていくしかありません。

湧き水を水源にする水が飲める、「家庭菜園を引き継いだ畑」に行くときは、わたしは水筒を持っていきません。おいしい水がいくらでも飲めるからです。いえ、逆に、水筒を持っていって、水を入れて持って帰りたいぐらいです。
種まきのときに、こんなにおいしい水で目を覚まして成長できる作物は、幸せだなあ、と思います。

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拓殖道短大が「新規就農コース」の募集停止へ

タイトルは、きょうの北海道新聞の見出しです。

わたしの母校の拓殖大学北海道短期大学の、環境農学科「新規就農コース」が、今年入学した学生を最後に、なくなってしまうそうです。この「新規就農コース」は、市と農協と短大が協力して発足させた、ユニークなシステムとして注目されていたのに、残念です。
そうなるといううわさは聞いていたのですが、「うら」がとれない情報だったので、言わないようにしていましたが、新聞に載ったので、解禁ですね。

冷めた人は、「あれはお祭。お祭がいつまでも続けられるわけない」などと言っていたのですが、わたしは、相馬先生が生きていたら、続けられたと思っています。
空想的だと非難されそうですが、あえて言えば、未来をイメージする力を持った人がいれば、人間は飛び続けられるのだと、わたしは思っています。

環境農学科の授業料免除の社会人入学制度は続くはずなので、農業の勉強をしたいという社会人の方は、こちらの制度を利用するといいと思います。
新規就農コースは、実際の農家での実習に重きを置いたカリキュラムの、いわば「特別コース」でしたが、それにくらべて、環境農学科本体のほうは、短大で勉強する時間が長いので、人によって向き不向きはあると思いますが、勉強がすきな人には、魅力ある学びの場になるのではないかと思います。

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フキ、アスパラガス……旬の野菜

きのう、きょうと、朝方に雨が降るパターンが続きました。
今年は、3カ所の畑を借りています。「元水田畑」と「家庭菜園引き継ぎ畑」と「住宅地の中の空き地畑」の3カ所です。
ここのところ、一番広い「元水田畑」に種まきを続けているのですが、雨が降ると、ぬかるんで、仕事になりません。そこできょうは、近所の人たちから頼まれていた、耕耘機による家庭菜園の耕し作業を、2軒、こなしました。耕耘機を持っていて、ひまそうなので、「耕してよ」と、頼まれるわけです。
耕したあとに、「お礼に」と言って、ゆでたフキを、山ほどもらいました。このフキは、畑で育てたフキではなくて、そこらへんに、自然に生えているものです。今ごろの時期が、おいしいようです。もう1軒では、耕す前に生えていた、赤いチューリップの切花を、もらいました。
「お礼」と言われても、現金を出されると、受けとらないのですが、こういう、ちょっとした食べ物なんかだと、つい、ありがたくいただいてしまいます。もらいものも、「自給」のうちに入るのでしょうね。

午後、「家庭菜園引き継ぎ畑」に行って、耕耘機で耕しました。この畑は、狭いのですが、果樹や、野菜類がすでに植えられていて、いつでも食べられるのが、いいところです。今ごろは、アスパラガスがどんどん出てきています。Asparagus 適期にとりそびれると、大きく、かたくなって、食べられなくなります。もったいないので、どんどん食べています。アスパラガス、食べ放題です。
アスパラガスって、掘って、株を分けて、移植するだけで増やせますし、こぼれ種で勝手に増えたりもします。一度生えると、10年ぐらい収穫できる、ということで、ズボラ家庭菜園には、うってつけの作物ではないでしょうか

イチゴが露地に植えられているのですが、高めのうねに、黒色ポリマルチを張って、植えなおしたいです。そこまで手がまわるかな。
イチゴは、ランナーという、新しくのびてくる株を育てて、古い株は「更新」しなさいと、栽培マニュアルにはあります。要するに、どんどん若い株にとりかえて、古い株は捨てなさい、ということですね。玉子の産みが悪くなったニワトリを「廃鶏」にするのを連想しました。老いの悲しみ? あるいは、世代交代することで、若返っているのでしょうか。

この、「家庭菜園引き継ぎ畑」は、木もあるし、花もあるし、いろいろ変化があります。生産効率一辺倒でない、ゆるい雰囲気が、農作業をしていても、心地いいです。ほどよい「狭さ」がいいのかもしれません。

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山で倒れた人

きょうは、山の畑でキクイモを掘っていました。旭川から山菜とりにきたという老夫婦がいて、わたしがいたところから1キロぐらい離れたところで、旦那さんが倒れて動けなくなったんだそうです。自動車の運転ができない奥さんは、救急車を呼んでもらいたくて、旦那を置いて、人を探していたのですが、山の中で、誰にも会えず、畑にいたわたしに助けを求めてきたのでした。
わたしも携帯電話を持っていないので、その奥さんを車に乗せて、一番近い人家まで行き、電話を借りて、救急車を呼びました。奥さんは、土地勘がないようだったので、わたしが救急車を旦那さんがいる近くまで誘導して、あとは救急隊にまかせて、畑に戻りました。

救急車を待っている間に奥さんが話していたのですが、旦那さんは、以前にも倒れたことがあったそうです。わが北海道では、春は山菜、秋はきのこと、山に入って食べものを探す人たちが多いですが、健康に不安のある人は、山に入るのは、ひかえたほうがいいと思います。動けなくなったときに、発見されなくなる恐れがあります。
自動車の運転も、やめたほうがいいと思います。運転中に意識を失うと、大変に危険です。旦那さんは、今年の車検までに自動車を処分して、免許を返上しようと考えていたそうです。

夫婦で仲よく山菜とりはいいのですが、今回は、少し、無理があったのかもしれません。

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野焼き?

きょうは、キクイモを掘ったり、去年つくった堆肥を持ち帰るなどをしに、山の畑に行ったのですが、途中で、田んぼの続きの一角の表面が燃えているのを発見しました。

Noyaki 近くには、誰もいませんでした。きっと、この一角では、去年、稲でないものをつくっていたか、草が生えていたかしたのでしょう。
木に燃え移らないか、ちょっと心配でした。

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新たに、2反5畝の畑を借りました

きのうお会いした地主さんの畑は、畑というよりは、ご自宅のまわりの庭、といった感じでした。すでに、何カ所もアスパラガスやネギやブドウや苺などが植えられていて、自由に食べていい、とのことでした。すぐに食べるものがあるのは、確かにうれしいのですが、自分のやりたいようにやろうとしたら、それら、すでに植えてあるものたちを避けなければならないので、けっこう、やりにくいです。しかし、観賞用の木もあって、花も咲いていて、そんな中で栽培ができるのは、かなり楽しくはあります。
ここは、井戸水を水源にした水道が引かれていて、飲んでおいしいだけでなく、市の水道に比べて、数分の1程度の定額の管理費(使用料)で使えるとのことなので、特に今年は雨が少なそうなので、保険の意味で、使用を申し込むことにしました。
ヒエを植えていいかどうか聞いたらば、まわりの田んぼには除草剤をまいているから、何を植えてもかまわない、とのことでした。「でも、大麻は栽培しちゃいけないよ」と言われました。そりゃ、そうでしょう。

きょうお会いした地主さんは、電話では1反ほどの畑、と聞いていたのですが、行ってみたら、2反5畝あって、とても「自給だけ」というわけにはいかなくて、どうしても販売しないわけにはいきません。うね立てと種まきが終わったら、「半農半X」の「X」探しをしなくては、と思っていたのですが、また農業のほうに振りもどされることになりました。これも何かの縁でしょうから、あらわれた舟に乗ることにします。
この畑は、去年まで水田だったところで、肥料分は、かなり残っていて、豆類なんかでしたら、今年は無肥料でもとれそうです。問題は、水がないことと(水田をやめたので、用水は使えない)、風が強いことと、近くにカラスがいっぱいいることです。風は、べたがけ資材なんか、飛んでいくのではないかと思えるほどの強さです。マルチを張るのも、大変そうです。それから、カラスは、かしこくて、腹をすかせていて、とにかく数が多いです。べたがけ資材なんか、ちょんちょんと、くちばしで壊していくらしいです。防鳥糸も、役立たないような気がしますが……どうなりますか。
それと、ここの畑は、「ヒエはだめ」だそうです。
パズルみたいな諸条件を、解いていくのは、大変です。とにかく、計画は大変更です。約 50m四方の水なし、強風、カラスつきの畑で、収益をあげる農業をしなさい、という指令です。わたしがやってきたことをよく知っている人が、畑の持ち主です。こういう申し出は、ありがたく受けるしかないでしょう。受けて、できるだけのことをするしかないでしょう。
これら2カ所は、とりあえず2年契約、3年目以降については、状況を見ながら話し合う、ということにしました。2年契約なので、安心して秋まきの種が植えられます。

もう1カ所、借りることにしてある畑があります。そこについては、地主さんからの連絡待ち、ということになっているので、ひたすら待っています。ここは4畝ぐらいで、ヒエOKです。何年先まで使えるかは、まだ分かりません。

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畑のこと、水のこと

おはようございます。

きのうは、「穀雨」にあたる日で、しかも「満月」ということで、たまねぎの種を植えました。たまねぎは、もっとずっと早い時期から、ハウスで育苗している人たちが多いのですが、直まきでは、もうちょっと遅くになります。温度関係ですね。ハウスで育苗したほうが、大きい玉に育ちます。わたしは、中途半端で、今ごろ、自宅の窓ぎわで育苗しはじめています。まだ種が余っていますが、自給用の栽培なので、そんなに多くつくりたくないのです。種から育てないで、苗を買ってくる、というのも、自給用の少量栽培では、現実的な方法かもしれません。もっとも、自家採種に適した在来種の苗は、なかなか売っていないので、種から育てる、ということにもなるのです。

きのうは、畑の地主さんの一人に会って、話してきました。とりあえず2年契約で借りて、その先は、お互いの状況次第、ということにしました。きょうもまた、別の地主さんに会うことになります。新しく、1反ほどの畑を貸してもらえそうなお話も、いただきました。先日、一件、畑を貸してもらう約束を反故にしたばかりでしたが、別口でまた貸してもらえそうな感じで、結果、栽培面積が増えそうです。増えたと言っても、全部で2反に満たない程度なので、仕事量としては、問題なくこなせるはずです。
山の畑と違って、周りが水田地帯なので、栽培する作物に制限を受けるかもしれません。陸稲は、同じ稲なので、許されるかどうか、分かりません。ヒエは、田んぼのヒエを一所懸命とっているので、ひんしゅくものかもしれません。
それと、特に今年は、去年以上の日照りが予想されるので、水をどうするか、という問題があります。周りが田んぼなので、水はいくらでもあるのですが、「用水」は、絶対と言っていいぐらいに、使わせてもらえないでしょう。必要なときに使えて、安価(できれば「ただ」で)な水は、ないでしょうか。湧き水を汲みにいく、という方法もあるのですが、その場合は、車のガソリン代も計算して、割に合うかどうかを考えないといけません。
中島正さんが、『農家が教える自給農業のはじめ方』で、陸稲の栽培を勧めていましたが、水稲を作るには大量の水が必要になるので、小規模での参入というのは、非常にむずかしく、それでも米を自給したければ、陸稲という選択になるのですね。

もう一つ、「半農半Xを目指す」と言っているのだから、「X」をどうするか、という課題があります。2反の畑をやりながら、兼ねてやり続けられる仕事というのは、田舎には、なかなかありません。

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自転車通勤

今年は、3カ所、畑を借りています。そのうち2カ所は、自宅から自転車で通える距離にあります。わたしは、重いものを運ぶ必要がないときは、いつも自転車で通っています。くわを自転車のかごに入れて、自宅と畑を行き来しています。職住接近、というやつです。去年まで、山間の畑に自動車で通っていたのに比べれば、すばらしく、ガソリンの節約になります。
ワゴン車は処分して、今は、軽トラ1台を所有しています。いろいろあって、自動車なしの生活にまでは、踏み込めないでいます。しかし、去年の10月からの半年間、1度も給油していません。たいしたものでしょう? 歩いて行って済ませられる用は、歩いて行きます。雪や氷の上を歩くこつを覚えました。すべって転ぶようなことはなくなりました。雪がとけてからは、自転車を使うようになりました。

野生の鳥やけものたちがひょっこり顔を見せる山間の畑もいいのですが、自動車で毎日通うのは、ちょっとつらいかな、と思います。山間に住んでしまえばいいのですが、なかなか人間、思うようにはいきません。
街中の畑は、自動車の音や、人の声がひっきりなしに聞こえますが、それはすぐに慣れると思います。東京に長く住んでいたのですから、それに比べれば、まだまだ静かほうです。それよりも、今回、自動車の使用を抑えられるようになったのが、うれしいです。

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豆干し、大根干し

北海道に来て驚いたことの一つは、今ごろの季節になると、スーパーマーケットに、漬物用品がズラーッと並ぶことです。どーんと積まれた大根・白菜の「束」からはじまって、桶とか、重石とか、塩とか、砂糖とか、干し昆布とか、甘麹とか、酒かすとか、唐辛子とか、すでに塩漬けにされたナスやキュウリとか……。この光景、いまだになじめません。
ちなみに、
夏は、同じ場所にジンギスカン用品が並べられています。季節感が残っている、ということで、いいということにしましょう。

先日、熟してから枯れた大豆と、熟す前に霜に当たって傷んだ大豆の話をしましたが、証拠写真を貼っておきます。Kanjuku

これが、よく熟してから、霜に当たって枯れたほう。
そして、Mijuku これが、よく熟する前に霜に当たって、枯れたほうです。

分かりにくいですか。上手に撮影できなくて、ごめんなさい。

熟した豆を取って、シートの上で干しています。Mamehoshi うまくいったら、また、みそを作ってみたいです。「大豆もやし」もいいですね。

干すと言えば、大根も干しています。目指せ、切り干し大根ダイエット、なんて。
Daikonhoshi 2本ある物干し竿のうち、外側にある竿に、「農ビ」をぶら下げました。これで、干している途中で雨が降ってきても、濡れてかびる心配がありません。
向かって左のほうにまとめてぶら下げているのが、乾燥して、軽く、小さくなった大根です。

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“あられ”です。きょう、畑に降ってきました。冷たくて、何でもみんな腐っていくような、湿った土です。作物が熟す前に、寒さで枯れていきそうです。濡れているので、脱穀はできません。

地主さんが、最近市内に道外からやってきた、ある新規就農の人の話をしてくれました。その人は、家を買って、2町ほどの畑を買って、まだ足りなくて、わたしが使わせてもらっている畑を見に来たのだそうです。暗に、「おまえ、出て行け、金のあるやつに売りたい」と言われたような気分です。「国産の木材の価格が上ってきているので、畑に木を植えてもいい」とまで言ったのですよ! わたしは、不耕起や無肥料や草生の話をして、2年3年とたつうちに、だんだんよくなってくるのだ、ということを説明して、「先のことは分からないけれど、今はここで就農するのが第一希望なのだから、来年もやらせてほしい」と、正直に言って、どうにか理解してもらえたような感じでした。

で、家に帰ってきたら、卒業以来メールをもらったことのなかった拓殖短大の先生からメールが来ていて、「旭川で1反の畑を耕作してもらいたがっている人がいるけれど、田中できないか?」という内容でした。畑を斡旋してくれる気持ちはありがたいのですけれど、旭川で1反(約10a)とは、またずいぶんと中途半端な……。旭川に引っ越して、介護か何かの仕事をして、畑は家庭菜園程度からはじめる、という方針変換であれば、この物件、引き受けられなくもないけれど、どうなのでしょうね。

人を混乱させるようなことを、みなさん、言ってきます。
一つだけ、いいことがありました。動かなくなっていた足踏み脱穀機ですが、「注油」と書いてある穴にスプレー式グリースを注入したら、あっさりと動くようになりました。油が切れていただけでした。
切干大根の話題は、あした、お話できると思います。
それでは。

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農業で働く

サユールイトシロさんが、彼のブログ「サユールイトシロ・エキスプレス」で、同じ「農業で働く」というタイトルの文章を書いていらっしゃいました。何かコメントしたいなーと思いながら、考えがまとまらなくて、タイミングを逸してしまいました。遅ればせながら、自分のブログで、ゆっくり考えてみますね。

サユールイトシロさんが書かれていたのは、営農の規模が大きくなってきて、一人ではやりきれなくなってきていて、人を雇おうかどうか考えるほど、肉体的にしんどくなってきた、ということと、にもかかわらず、農業を続けられる理由として、すべての過程を自分で体験できて、それを自分の知識や技能として身につけることができる、という楽しみを挙げていらっしゃいます。同じ農作業でも、ひとから指示されてやるだけでは、面白くないだろう、と。だいたい、そのようなことを書かれていたのではないでしょうか。で、ひとつの解決策として、作業量が一時期に集中しないように、栽培計画を組む、ということを挙げられていました。

これに対して、耕作人さんのコメントが寄せれています。まとめにくいので、そのまま貼り付けます。

この仕事は好きだけじゃやっていけないような気がします。
場合によっちゃぁ、その日にやらなきゃいけない仕事もありますし、オーナーだからこそやれるのかも知れませんね。
サラリーマンで月給仕事、休みが欲しい~と言ってたらできないですもんね。

「オーナーだからやれる」という感覚が、わたしには理解できません。わたしには、「すきだからやる」で十分です。これは、決して、耕作人さんにケチをつけているわけではありません。

わたしは、北海道に来て、初めて「出面(でめん=日雇い労働者)」という言葉を知りました。今ごろでしたら、機械で掘ったジャガイモを集める仕事があります。人海戦術です。大きさや傷や表皮の色を見て、規格に合う芋を拾い集めて、大きなコンテナに放り込んでいきます。
出面は、もちろん、オーナーではありません。が、彼ら、彼女らは、いろいろな現場を渡り歩いているので、へたなオーナーよりも、知識や技能が上回っている人が少なくありません。たぶん、出面には出面の哲学があって、あえてオーナーになろうとしないのだと思います。

サユールイトシロさんも、いわゆる「サラリーマン農家」では、農業の面白さが分からないのでは?といった言い方をしていましたが、出面は、きっちり時間で働いて、決められた時給なり日給をもらっています。農業についての知見も豊かです。しかも、能力のある出面は、引っ張りだこで、安定した収入を得ています。見下げることのできない人たちです。

耕作人さんの「サラリーマンで月給仕事、休みが欲しい~と言ってたらできないですもんね」というのは、わたしがまだ勤め人・雇われ人の体質を持っているせいかもしれませんが、感覚的に分かりません。
上川町の「かむつみ」の三栖さん以外のお二人が、まさしく「休みがほしい」と言っていたそうなのですが、わたしも、休みを要求するほうに共感します。日曜日でなくても、雨の日でもいいですし、今年の夏のように干ばつ続きでしたら、3人で交替で休みを取れば、業務には差し障らないでしょうし、リフレッシュできてよかったのではないかと思います。
「休むな、働け、働け」というのは、何か「母に捧げるバラード」みたいで、お説教臭くて、わたしの趣味には合いません。

サユールイトシロさんが示されたように、作業量が一時期に集中しないように、栽培計画を組むのも、一つの方法です。
わたしのように、乾きもの=穀物類を中心に扱うのも、一つの方法です。
忙しい時期だけ出面を頼むのも、一つの方法です。
方法はいくらでもありますから、あきらめないで、創意工夫して、困難を乗り越えていきましょう。

最後に、わたしが農業に見る魅力について触れておきます。わたしが魅力を感じる農業は、自給的な農業です。地域の人びとが、何ものにも依存しないで、何ものからも収奪しないで、自由に、自立的に生きていく可能性がきっとあるはずだという、希望です。種も、肥料も、エネルギーも、地域内で自給できるはずで、その可能性は、忘れさせられているだけなのだと思います。種を埋めておけば、芽が出てくるということ、収穫物を調理して食べたら、おいしいということ、そういう具体的な体験が、忘れさせられていた感覚をよみがえらせてくれるのではないでしょうか。
まだ、わたしにとっても、かすかな予感でしかないのですが、この道に、残りの人生をかけてみる価値はあると、感じはじめています。

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春よ恋

「春よ恋」というのは、春まき小麦の品種名です。誤変換ではありません。

コムギには、秋に種をまく秋まきと、春に種をまく春まきとがあります。前の年の秋から育てる秋まきのほうが、生育期間が長いので、収量や食味の点で、有利です。
菊丘の、わたしが使わせてもらっている畑の、周辺の農家では、コムギとジャガイモの種芋を作っている農家が多いのですが、8月のうちに薬(除草剤に似たもの)でジャガイモの地上部を枯らして、早く収穫して、そのあとに秋まきのコムギの種をまく、という畑の使いまわしをしているところが多いです。
わたしが今栽培していて、もうじき刈り取ろうとしているのは、ホクシンという品種の、秋まき小麦です。この品種から作られる小麦粉は、薄力粉で、うどん用です。わたしは、パンを作れる強力粉を作れる品種のコムギを探していました。
近隣の農家で聞いているうちに、春よ恋という品種が作られていて、これがパンを作れるコムギらしい、ということが分かってきました。ただし、春よ恋は春まき小麦だとのこと。
しかし、「春まき小麦の初冬まき」というやり方があって、雪が降り出す前あたりに、春まきのコムギの種をまいて、雪の下で休眠させて、雪がとけたら芽が出てくる、ということをするらしいです。

イネのゆきひかりの種を探したときに、深川の農協と旭川の農協の対応の違いを、以前このブログにも書いたような記憶があるのですが、春よ恋でも、同じようなことがありました。
去年、パン用のコムギの種がほしくて、深川の農協に聞いたら、あっさり、「ホクシンしかありません」と言われて、ホクシンを買ってきてしまったのです。(うどんはうどんで、わたしはきらいではないのですが、パンも食べたいので……。それと、ホクシンでもパンを作れなくはないのですが、やはり、ふくらみが弱いです。)

今年は、深川市内で春よ恋を作っている人がいる、という情報を持っていますから、深川の農協で、「春よ恋の種を売ってください」と言ってみたのです。農協の人は、一度奥のほうへ行って、何か相談しているようでしたが、もどってきて、「種を十分に確保できないかもしれないので、非組合員の方からの予約は受けていないのです」とのこと。
旭川の農協に電話で聞いてみると、「春よ恋の種ですか? お売りすることは、問題ありません。でも、何で深川の農協で買えないのですか?」と言われてしまいました。わたしも、そのへん、聞きたいぐらいです。

深川の農協と旭川の農協の態度の違いは、深川市の場合、農協の組織率が高くて、プロの農家にとって、種苗に関しての、ほぼ独占的な窓口になっているのに対して、旭川の農協の場合は、農協の組織率が低くて、非組合員(一般の人)をお客さんとすることが多いことと、農協以外の種苗業者がいくつもあるので、それらと競争する意識もあるのではないかと、わたしは推測します。
一口に結論を言うと、深川より旭川の農協のほうが、融通の利く、「使える」農協です。さすが旭川市。札幌に次ぐ、北海道第二の都市だけのことはあります。

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土曜市

Doyoichi 深川市地域卸売市場で毎週開かれている、土曜市です。花・野菜・苗・海産物・加工食品・焼き鳥や揚げ物など、その場で作って売る食品・雑貨など…。安く買えるというので、買い物客も多いです。お祭のような雰囲気を楽しんでいるのでしょう。
Ratchikun ←土曜市のイメージ・キャラクターの、マッコウクジラのラッチくんです。よろしくネ!

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からし入り漬印ホームぬか

Homenukaかぬか漬けをはじめたのですが、最近は、ごはんと味噌汁とぬか漬け、で食事がすんでしまう毎日になっています。
ぬかは、スーパーマーケットでは、写真の商品しか売ってなかったので、これを買ってきたのですが、表示のセンスが味わい深かったので、ご紹介することにします。

「若奥様も上手に漬かる煎ぬか」→若奥様が上手に漬かってしまっていいのでしょうか? よくないような気が…。
「北海道用」→寒冷地仕様? 濃い味仕様?
「裏面に上手な漬け方を親切に説明しています」→自分で親切って言うか、ふつう。

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屋根ふき

きょうは、畑には行かなくて、地主さんが所有している小屋の屋根に、他所からはがしてきたトタン板を重ねて貼り付ける作業を手伝いました。手伝いました、と言うよりは、慣れた人たちがやっている作業を見学していました、と言ったほうが事実に近いかもしれません。屋根は高くて怖いので、わたしは結局一度も上に行きませんでした。はしごを登って、屋根の上の人にものを渡したり、釘を打つときに、垂木の位置を教えたりしているだけでした。
高いところに登るのは、建物を建てたり、増改築のときだけではありません。深川市のように雪の多いところでは、雪降ろしをしなければ、建物が壊れてしまいます。ところが、雪降ろしの作業は危険を伴なうので、市内だけでも、毎年のように、転落や落ちてきた雪の下敷きになる事故で亡くなる人たちがいます。
危険だけれど、いつか誰かがやらなくてはいけない仕事は、安全にできるように配慮しながら、やっていかなくてはなりません。最初は「見学」からはじめましょう。

Shika3 帰りに、3頭のシカを見ました。若くておいしそうでした(<こらこら!)。

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ハス池

畑に通う途中に、車から見える農家さんの家の池に、美しい赤いハスの花が咲いていたので、写真を撮ってみました。Hasuike ハスを栽培して、レンコンを取るのでしょうか。今度機会があったら、聞いてみようと思います。

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コイン精米所

Seimaijo 世田谷区に住んでいたころは、近所にコインランドリーがたくさんあって、わたしも利用したことがありました。ここ深川市では、コインランドリーを見かけません。そのかわり、無人のコイン精米所がたくさんあります。
コイン精米所では、100円で5kgの玄米を、約2分で精米することができます。深川市は稲作地域なので、自分で作ったコメを食べている人が多いのです。コメは玄米で保存されています。精米して時間がたたないうちに食べるのがおいしいのです。しかし、精米機を持っていない農家は多いです。そこで、このようなコイン精米所の需要があるのです。
この精米所のいいところは、精米で出たぬかを、「ご自由にお持ちください」としていることです。わたしはこれから、ぬかをここから少しずつもらってきて、これから開拓する畑にまいていこうかと思っています。
肥料分を補うのに、ぬかは非常に便利な資材です。わたしは、施肥設計をしたことがないのですが、ぬかの成分は、「窒素2.0~2.6、燐酸4.0~6.0、加里1.0~1.2」だそうです。燐酸が多いですね。貝化石と組み合わせて使うと、あとは何もいらない、という感じです。加里を補う必要があれば、まきストーブから出る木灰をまくといいでしょう。
ぬかをまいたあとに土とかき混ぜないで、地表面からじっくりと成分を浸透させるようにするといいと思います。

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産業廃棄物最終処理施設

今日は、山の畑へは行ったのですが、雨が降っていたし、このところ、40~50kgはある、掘り抜いたアシの株を移動たりして疲れていたので、車の中で、雨の音を子守唄にして、昼寝をしていました。たまには休まないといけません。

Sanpai この写真は、畑へ行く途中にある、「産業廃棄物最終処理施設」という看板。内容は、「がれき類、廃プラスチック類、金属くず、ガラス及び陶磁器くず、ゴムくず」とあります。“処理施設”といっても、持ってきて捨てているだけのようです。
場所が、沢の源流なのが、悲しいです。沢の源流のくぼ地にごみを埋め立てているのです。埋め立てたあとは、どうするつもりなのでしょうか。樹はもう永久に生えてこないでしょう。何かの施設を建てる? 公園にする? ガスが出たりして、健康にはよくない土地になりそうです。
わたしもうちでごみを出しているので、それがこういうところに来ているわけで、自然破壊の共犯者なのです。ふだんは忘れているのですが、たまにこうやって、捨ててある現場を見ると、ごみを出さないように生活を変えないといけないと思うわけです。

Shikajiru こちらは、シカ肉入りの、雑煮です。ニラとニンニク入りの、スタミナもりもりの、塩味です。もちは、もちろん、今日作ったよもぎもちです。おいしい雑煮を食べて、元気をつけて、明日からまた種まきを続けます

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耕耘機を盗まれました

去年買って、1月ぐらいしか使っていない耕耘機を、盗まれました。ホンダFF500、19万円で買ったものです。昨年、雪が降り出したころに、倉庫に入れておいたのですが、きょう、倉庫を開けて見てみたら、ありませんでした。冬の間の「倉庫荒らし」のしわざのようです。警察に盗難届けを出しましたが、たぶん、出てこないでしょう。愛着があったので、残念です。
どろぼうは昔からいたそうですが、近ごろは多くなってきているようです。機械だけではなくて、農作物も盗まれています。お城を築くわけにもいきませんから、盗ろうと思う人がいたら、防ぎようがありません。そんなにひんぱんに盗られ続けるわけではないので、さっさとあきらめて、たんたんと次の仕事をしていくのが正解のようです。
わたしは不耕起をめざしているので、耕耘機がなくなって、かえって目標が近付いたのかもしれません。買いなおす気はありません。くわを使って栽培するつもりです。

Kounki_1

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100g88円のミニトマトをめぐって

最近はあまり耳にしなくなりましたが、「奴隷根性」という言葉があります。弱者が強者に対して、ただ何も考えないで服従するだけでなく、強者に気に入られようとして、自ら積極的に服従する性質のことを言います(大杉栄「奴隷根性論」参照)。
自民党は一貫して食料輸入拡大政策で国内の農業者を苦しめてきたのに、強い者を支持しておけば、おこぼれがもらえると考えるのか、自民党やその類似の人たちに、自ら積極的に服従する農民が多いです。「自給率向上」だなんて、敗戦後の、食料難の一時期を除けば、本気度ゼロの、ただの掛け声にすぎないことは明白なのですけれど…。

日本の、国や地方自治体などの公的団体の借金の総額は、天文学的に大きな数字になっています。これは、構成員であるわたしたちの借金なので、いつか返さなくてはいけないのですが、その自覚はあるのでしょうか。国内に金がなくなれば、外国の奴隷になるしかないと思うのですが。家族ごと国外に移住できる余裕のない階級に属するわたしなど、考えるだけで恐ろしくなります。
このような事態は、単なる空想ではなくて、現実に進行中の事態です。奴隷と言うと語弊があるので、お金の流れを考えるためのたとえとして聞いてほしいのですが、カルロス・ゴーンさんが社長をしている日産自動車の株は、半分以上外国人の所有です。日本経団連の会長をしてる御手洗冨士夫さんが社長をしているキヤノンも、その株の半分以上は外国人の所有です。農地や大型農業機械を買うために、日本の金融機関にお金を借りたとしても、そのお金の元をたどると、外国人のものであったりします。日本人の利益が、配当や利子の形で、外国に吸い上げられているわけです。株式会社がもっと自由に農業がきるようになると、本国に送金するのが目的のような、「出稼ぎ会社」が進出してくるかもしれません。日本は弱い国から収奪していますが、日本も、さらに強い国から収奪されています。

ホクレンが、ながぬま農協の一部のタマネギ種子の購入注文に応じなかったことが報道されています(北海道新聞1月13日)。しかもホクレンは、「他の種苗業者に対しても(ながぬま農協に対して)種子の販売を控えるよう促す内容と受け取れる文書を送っていた」のだそうですから、恐れ入ります。
同農協前組合長の駒谷信幸さんは「スーパーなどとの直接取引を増やしたことへの制裁措置だ」と言っているそうです。ホクレンの言い分は、需給調整のためだ、ということらしいのですが、去年と同規模の作付けで、今年からは直接取引分だけ種を売らないとなると、制裁措置と受け取られても仕方がないと思います。ここはぜひ、公取委に入ってもらいましょう。がんばれ、駒谷さん!

駒谷信幸さんといえば、わたしが卒業した拓殖短大でレクチャーしてくれたのを思い出します。なぜよく覚えているかというと、レクチャーの中で駒谷さんが、北海道のことを「国内植民地」だとおっしゃったからです。拓殖短大の先生たちを含めて、聞いていた人たちの多くが、「そうだ」というようにうなずいていたのを思い出します。
わたしも、ある授業の中で、「北海道は国内植民地だ」と発言してみたことがあります。ところが、その授業を受け持っていた講師は、わたしに向かって「ばか」と言ったのでした。教室の中の雰囲気も、この講師と同じで、「ばか」と言いたげでした。今どき、同じ日本の中に植民地があるものか、と。同じことを言っても、言う人によって説得力がまったく違うのだなあと、みょうに感心したものです。
それは確かに、昔の奴隷のように、鎖でしばったり、ムチでしばいたりはしませんが、借金を方にとられて(もちろん、自殺されたときの損害を減らすために、生命保険にも入らせられて)、「指導」という名の「統制」をされるのですから、一生涯、すきなような栽培は、できないのです。

3日後の深川市の市長選挙のことは書きません。ただ、近所のじいさんばあさんたちと世間話をしながら、「奴隷根性」という言葉を思い出した、ということだけを書きとめておきます。

さて、今日は、ミニトマトの話でした。

うちのすぐ近所に、北海道内で組織されている某農業団体系のスーパーマーケットがあります。そこで、100g88円のミニトマトが売られていました。パックに詰められたミニトマトが6~7パックならんでいました。価格表示は「100g88円」となっていました。「100g」は小さい字で、「88円」は大きい字で書いてありました。1パックが100g入りで88円だと思ったわたしは、見かけに対して、やけに安いと思って、近くにいた店員(男)に、「これ、88円ですか」と聞きました。その店員は、パックを手にとって見て、「はい、88円です」と言いました。で、そのミニトマトと、その他いくつかの商品をかごに入れてレジに行きました。ところが、レジの店員さん(女)がミニトマトのパックのバーコードをスキャンすると、198円と出たのです。わたしが「あの店員さん(男)は、88円だって言っていましたよ」と言うと、確認のために棚を見に行きました。それで、100g88円というのは、100gで88円という意味で、このパックは100g以上あるので、高くなっているのだ、という説明をしてくれました。そこでわたしは、「1パックの値段が書いてなくて、100g88円と書いてあれば、1パックが100g入りで88円だと思うでしょう」と抗議すると、そのレジの店員さんは、「分かりました、88円でお売りします」と言ったのです。ところがそのとき、さっき値段を聞いたときに、パックを手にとって「88円です」と答えた店員(男)が来て、「88円で売ることはないだろう」と言うのです。そしてさらに、わたしに向かって、「紛らわしい表示だったことはお詫びします。でも、100g88円というのは間違いではありません」とのたまうのですよ。わたしはカチンときました。「間違いでしょう! あなた自身がさっき、パックを手にとって、88円だと言ったんですよ。詐欺じゃないんですか?」とわたしは言いました。そしたらその店員(男)は、何と、「裁判でも起こせばいいでしょう」と言い放ったのです!! あきれました。「店長を出せ」と言ったら、今日はお休みとのこと。「もう、何も買わん!」と言って、わたしは何も買わないで帰ってきました。そのあと、その某農業団体系のスーパーマーケットの本社に、名前と住所と電話番号を言って、クレームの電話を入れておいたところ、夕方になって、お休み中だった店長さんと、くだんの店員(男)が2人して、うちに謝りに来ました。

何が言いたいかというと、深川市には、東京都や千葉県に本社があるスーパーマーケットもあるのですが、商品管理と店員教育において、某農業団体系のスーパーマーケットは、それらの道外資本に完全に負けていると思った、ということです。そのへんが、某農業団体系であることの弱みでもあるのかなと、ふと思った次第です。

ホクレンのタマネギ種子販売拒否についても、近所の某農業団体系のスーパーマーケット店員の態度の横柄さについても、共通して言えることがあると思います。ホクレンは、共同購入によって、農業関連弱者が種子や資材を安く安定的に購入できるようにという目的で設立されたと思うのですが、それがいつの間にか、作物の販売経路まで統制できるように勘違いしてしまったのだと思います。
某農業団体系のスーパーマーケットの場合は、過疎化で一般の商店がつぶれていく中で、農業関連弱者が快適な消費生活を送れるようにするために設立されたのだと思うのですが、それがいつの間にか、「売ってやっている」というおごりの意識に変わっていったのではないでしょうか。
つまり、どちらの場合も、はじまりは弱者の側に身を置いていたのに、いつの間にか自分が強者であるような錯覚を持つようになってしまったのではないでしょうか。ここはぜひ、初心に戻って、弱者を大切にする姿勢で頑張ってもらいたいものだと思います。

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歳末警戒

町内会の人たちと、「歳末警戒」といって、夜の街を見回ることをしてきました。同じ深川市内でも、町場の人は、人の出入りが多いせいでしょう、比較的気安い感じがします。農村地域の人たちがなかなか打ち解けにくいのと対照的です。
歳末警戒で集まった人たちの中で話題になっていたのは、今日市内で、一人暮らしの高齢の男性が1人、屋根の雪降ろしをしていて事故死したということでした。一人で作業をしていたので、だれも気づかなかったそうです。
街の見回りのとき、わたしは「りん」を鳴らして歩きました。この「りん」は、昔、馬車馬の首にぶら下げてあったものだそうです。馬車や馬そりが行くときに、歩行者に音で報せて、よけてもらったのだそうです。

河野前市長逮捕・辞任にともなう市長選挙が来年の1月にあります。自民・公明系?の人が2人(現市議と元国会議員)と、共産系の人が1人、立候補する見込みです。 共産系の候補者は、10月の選挙のときには、河野前市長と接戦で、4割以上の得票がありましたから、保守票を2人で取り合っていると、もしかして、ということもあるかもしれません。微妙なところです。
坂口安吾が、「農村の魂は、人間よりも土の虫に近い」と書いていましたが、実際に農民は、今年か来年あたりまでの損得については、恐ろしいほどに鋭敏なのに、10年20年先のことを考える想像力は、ほとんどないようです。なにせ、土の虫ですから。ハコものを作り続けて、子や孫の代に巨額の負債と有害物質で汚染された自然を残すような政策は、いいかげんやめてもらいたいです。

ところで、中山間地へ行けば、耕作放棄地も、空き家も、深川市にはいっぱいあります。多分、他の市町村でも、事情は似ていると思います。北海道が、「食料生産基地」としての価値を失ってきているとしても、自給的生活の場としての価値は、十分に残っています。都会から田舎へ向かう人の流れが、もっともっと増えてほしいと思います。

わたしが冬場の仕事として今画策しているのは、創作楽器作りです。北海道産の木材を使って、優しい音を鳴らす楽器を作ってみたいと思っています。木工技術を研究しています。

今の季節は畑仕事がないので、思いついたことを思いついたままに書いてみました。

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農業委員さんに「顔見せ」してきました

1カ月更新しないと、さすがに皆さん、いらっしゃらなくなりますね。おひさしぶりです。

さて、今日は、地主さんに連れられて、畑のある地域の農業委員さんに「顔見せ」に行ってきました。ゆくゆくはこの地に住み着くつもりでいますので、よろしくお願いいたします、というご挨拶をしてきました。

農業委員さんのお宅での話題は、オーストラリアからの農産物の関税のこと、北海道の農業は、つぶされますな、と。で、次の道知事、市長はだれですかね‥‥河野前市長があれだけ借金をつくってしまったから(深川市の財政赤字は、約480億円)、あのあとをやるのは、だれがやってもたいへんでしょうなあ、というようなことでした。

ホームページのほうに「田舎の貸し本屋さん」というページを作ってみました。「“農”系テキスト集」といった趣きのページです。

追記

農業委員さんとの、当たらずさわらずの「顔見せ」のあとに、今度は地主さん抜きで、畑がある菊丘地区の上のほうの方に、来年の新年会で、地域の方がたに挨拶させてほしいと頼みに行ったところ、農協の組合員でない人間は、農家の仲間として紹介するわけにはいかないと、断られてしまいました。認定農業者を目指して実績を作ろうとしている段階のわたしのような新規就農予備者の人に、認定農業者でないから(認定農業者でなければ、農協の組合員にはなれません)仲間でない、と言うのは、ほとんど、「やめろ」「帰れ」と言っているのと同じなのですが、親のあとを継いで農業をやっている人の排他的な感覚といいますか、想像力のなさには、困ったものがあります。
わたしは市役所に「無職届け」を出してあります。農地法の規定によって、認定農業者でなければ、農地を買うことも借りることもできません。ですから、事実としてはもっぱら農業をしていても、それを職業と名乗れないのです。市のほうも、わたしが認定農業者を目指していることを知っているので、形式的に無職であることを認めているのです。そういう事情を説明しても、先ほどの地区の上のほうの方は、「こちら、無職の○○さんです、と紹介するもんがどこにいる」と、取り合おうとしてくれません。
ちなみに農協というのは任意加入する団体ですので、農協の組合員にならなければ農業ができない、ということはありません。ただ、北海道はその加入率が非常に高いという特殊事情がありまして、何でも農協の上のほうを通して話を持っていかないと納得されない、という現象があります。地域の農協が扱っていない作目を栽培したり、独自の販売ルートを開発したりすると、それだけで異端視されます。
まあ、だれが何を言っても、農業を含めて、北海道の産業は崩壊しつつあるので(沈みかけている船の中で、いす取りゲームをしているようなものです)、遠くない将来には、だれでもどこでも、すきなように開墾して、栽培活動ができるような状態になっていくだろうと予想されます。認定農業者の認定基準が都府県なみに引き下げられるのも、時間の問題でしょう。
わたしのこのような考え方は、北海道のこれからを「悲観」するものでしょうか。そうは思いません。確かに中央は北海道を使い捨てにしようとしています。借金だけを押し付けてきて経済を麻痺させようとしています。しかしこのような「お寒い」時期は、逆に自立へのチャンスでもあるのです。中央に依存しない、地域に根ざした自給・自治の生活を作り上げて、生き延びていきたいものだと思います。

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はじめてのお客様

山の畑に、雪解け以降はじめての人間のお客様がいらっしゃいました。雑誌「現代農業」や多くの農業書を発行している農文協という出版社の須田さんという方です。農文協の人はバイクで農村を回って「現代農業」の購読を勧めているというウワサは聞いたことがあったのですが、須田さんは本当に車ではなくバイクでやってきました。
須田さんはあらかじめわたしの読書傾向を調べてあったらしく、いきなり「日本農書全集」の購入を勧めてきました。これは江戸時代に書かれた農業書を集大成したもので、全巻をそろえると40万円ぐらいするものです。そういえば、近所のある農業者とお話したときに、「おれは昭和初期の農業をやっているが、あんたがやってるのは江戸時代の農業だな」と言われたのを思い出しました。
お金とひまと収納スペースがあれば買いたいのですが…ということで、ひとまず「日本農書全集」はあきらめて、農文協の色いろな本を紹介してもらった後で、「作って遊ぼう」のシリーズから『塩の絵本』『油の絵本』という2冊を買うことにしました。
須田さんは、ほとんど草原の畑を見て、「いやあ、いいところですね、気持ちがいいですね」と、しきりとほめていました。お世辞かもしれませんけれど。それにしても山奥までやってきて絵本2冊しか売れないのではガソリン代にもならなかったでしょうに。ご苦労様です。

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ビール・パーティー

村人たちがやるビール・パーティーというのに行ってきました。回覧板で案内が来たときに、興味がないので券(1500円)を買わなかったのですが、義理で買った人がただでゆずるから行ってくれと言うので、しかたなく行ったのでした。
コミュニティーセンターに200人ぐらい集まっていたようでした。ビールを飲んで適当に歓談するというものです。つまみはキュウリのぬかづけとポテトチップスと鶏の唐揚げとポッキー。
その後、抽選会というのがあって、景品は1等が自転車、最下等はティッシュペーパー1箱でした。わたしが当たったのは、洗剤と冷凍保存パックのセットでした。そうめんとめんつゆのセットが当たっていた人もいました。他には、キュウリ1箱とか。
偉い人の挨拶があるわけではなく、儀式めいたことをするわけではなく、歌を歌うわけではなく…。
こういう妙に中途半端にモダンな風俗・習慣というものは、参加していても居心地のいいものではありませんが、こういう催しをやらないではいられない村人の心理を想像していると、民俗学のフィールドワークとして村人たちを観察している自分に気づいたりするのでした。
と同時に、それとなくものめずらしげに観察されている自分に気づいたりもするのでした。

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