理念

われもまたたがやすものなり

栽培をしなくなってから久しい。それでも栽培生活のブログを続けているのは、アクセス解析を見ると、毎日それなりのアクセスがあるようでもあるし、あと、引っ越ししたりタイトルを変更したりするやり方がよく分からないからだ。←なんじゃ、そりゃ。

 

きょうは、「栽培をしない=食料生産をしない」ことにからめた話。
お釈迦様が率いる僧団は生産的な活動を一切しなかった。乞食(こつじき)、すなわち、家々を巡って食べ物を恵んでもらって、それを食べて生きていた。
あるとき、お釈迦様があるバラモンの家のかたわらに立って食を乞うと、そのバラモンが、「わたしは耕して種をまき、そして食べる。あたたもそうするがいい」というような意味のことを言う。それに対してお釈迦様は、「わたしもまた耕して種をまき、そして食べている」みたいに答える。で、バラモンが、そんなことしてるの見たことないぞ、と反論すると、お釈迦様は、次のように言う。

信は種子なり、戒は雨なり
智慧は軛につなぎし鋤にして
反省はその柄、禅定はその縄
正念はわが鋤の先と鞭なり
身をまもり、語をまもり
食するに量を制し
真理をもって草刈をなし
楽住をたのしむはわが休息なり
精進はわがひく牛にして
われを静けき安穏に運び
行いて帰ることなく
到って悲しむことなし
かくのごときわが耕耘にして
甘露(涅槃)はその果実なり
われはかくのごとく耕して
すべての苦悩より解脱せり
(相応部経典7、11「耕田」 増谷文雄『阿含経典 第四巻』筑摩書房)

世の役に立ってから食えと言われて、おれだって役に立ってるんだぜと、相手が価値の根拠と考えていることをたとえに使って反論している、という図だ。
このやりとりでは、バラモンは最後には納得するのだが、納得しない場合だってありうる。納得するかしないかは、相手の価値観を理解できるかどうかにかかっている。
お釈迦様の教えそれ自体も興味深く、素晴らしいのだが、生産をしない僧団を、生産することを価値と考える世(社会)の中にうまくなじませ、組み込んでしまったお釈迦様の僧団運営の手腕も、たいしたものだと思う。

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中井久夫「いじめの政治学」

本棚を整理していたら、中井久夫さんの『アリアドネからの糸』(みすず書房)という本が出てきた。今日のタイトルは、この本の冒頭に置かれたエッセイだ。今、この文章に出会えたのは、わたしにとっては、グッドタイミングすぎる。
こどもで言えばいじめ、おとなで言えばいやがらせ、ハラスメントとも言う。建前では、してはいけないことになっている。しかし現実には、どうしようもなく蔓延していて、あるのが当たり前のように勘違いされている。
著者の中井さんは、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階に分けて説明している。なるほどと思う。

 いじめはなぜわかりにくいか。それは、ある一定の順序を以て進行するからであり、この順序が実に政治的に巧妙なのである。ここに書けば政治屋が悪用するのではないかとちょっと心配なほどである。

悪用される心配をしておられるが、わたしには、自分が置かれた状況を意識化し、呪縛を解く力添えになった。
いじめ、いやがらせがあっても、周囲の誰も、それをいけないことだといさめる人がいなければ、助けを求めることができなくされる。いじめ、いやがらせの原因がいじめ、いやがらせを受ける側にあるかのような考え方を前提にした「いじめ、いやがらせを受けないようにするための助言」をするのも、被害者を追いつめる。いじめ、いやがらせをしていい理由なんてない。いじめ、いやがらせをやり返したのでない限り、いじめ、いやがらせは、それをやるほうが100%悪い。いじめ、いやがらせは犯罪だ。
さしあたって必要なのは、とにかくなんでもいいから、安全な逃避場所を作ることだろう。そして、そこから少しずつ、いじめやいやがらせのない世界をひろげていけたらいいのだろう。

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「献体」という選択

わたしは、「葬送の自由をすすめる会」のお世話になって、父の遺骨は山梨県内の森に、母の遺骨は宮城県内の森に散骨(自然葬)してきた。それで、わたし自身が死んだときにはどうしようかと考えた。わたしは、身内の者がいない独り暮らしなので、周囲の人たちに死んだ後の処理に面倒をかけるのは心苦しい。そんなときに思い浮かんだのが、「献体」という選択だ。どのような体でも、死んだ後にでも利用価値があるらしい。引き取っていただけるというのだ。わたしは、北海道大学白菊会というところに連絡して、献体を申し込んだ。引き取っていただく先方が迷惑に思っていないらしいところが、ありがたい。また周囲の人たち(ご近所とか職場とか)に、なぜそういう選択をしたかを解ってもらうための「大義名分(医学の進歩とか)」もあるのが、都合がいい。北海道大学には納骨堂もあって、利用された後は火葬されて、そこに納めてもらえるし、大学の関係者がお参りもしてくださっているそうなので、気持ち的にも落ち着けると思う。自分が死んだ後の葬送のやり方について考えている人は、選択肢の一つとして「献体」を検討してみてはどうだろうか。

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赤い実

Akaimi

部屋の掃除をしていたら、赤い実の写真がぽろりと出てきた。裏を見たら“FUJIFILM”の印画紙だ。銀塩写真だ。わたしが農業研修で浦幌に通っていたときに撮ったのだろう。8年前か。早、記憶の彼方。ここ50年間くらいの記憶がどんどん揮発していくようだ。ここはどこなんだろう? 自分は何なんだろう? と分からなくなることがある。
わたしのすぐ忘れる癖、ぼんやり生きる癖、空想する癖は、子供の頃に形成された。この癖は、少なくともそのはじまりにおいては、ある恐ろしい観念から逃れるために形成されたのだと思う。恐ろしい観念とは、キリスト教的な意味での「神」である。

わたしは小学校に行く前に、カトリック系の幼稚園に通っていた。家はキリスト教とは関係ないが、住んでいる所が田舎であったので、その幼稚園しか修学前の子供を預かってくれるところがなかったのだ。その幼稚園で教えられて、食事の前には何だかかんだか、祈りの言葉を唱えていたらしい。
その幼稚園の影響に違いないのだが、わたしは子供の頃、全知全能の神についてよく考えた。神という者は、いつでもわたしの行動を観察しているのだという。いつかわたしを裁くために。どこに隠れても見通せるのだという。外面に表れたことだけでなく、わたしが心の中でつぶやいたことさえも、神には分かってしまうのだという。
秘密がなければ自我意識は育たない。自分という者が何なのかよく分かっていない子供にとって、何もかも知られてしまうということは、自我意識を抜き取られることに等しい。それは、神の操り人形になってしまうことに等しい。それは茫然自失の、とんでもなく恐ろしいことなのだ。
神が世界を造ったのであれば、その一部であるわたしのことも、神はよく知っているはずだ。それなら神はなぜわたしを観察する必要があるのだろう。わたしが何を考え、どんな行動をとるかを観察するために、なぜわたしを泳がせる必要があるのだろう。そんなことは、何もかも知っている神であれば、あらかじめ分かっているはずだ。
この世という神の夢の流れのままに流される魂のない人形になることは、わたしには耐えられなかった。そこでわたしは、甘美な空想の世界に逃避した。それ以来ずっとわたしは空想の世界に遊び続けているのであり、あのころの幼稚園の先生方が望んでいたであろう「心の芯から善い子になる」チャンスを逃し続けている。

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スガワラ君ちの鳩時計

小学校の5年のときだったか、スガワラ君という小柄な男の子が転校してきた。農村の中で非農家の家、というのがわたしと同じだったし、一人っ子で親が共働きで、というのも、わたしと同じだった。同じ学級にタカダ君という大柄な男の子がいて、よくわたしにプロレスの技を掛けてわたしをいじめていたのだけれど、スガワラ君が来てからは、もっぱらスガワラ君をプロレスの相手にするようになったので、わたしは少し楽になった。
スガワラ君ちに遊びに行ったことがある。芝生の庭のある一軒家で、鍵を開けて入ると、応接間があって、壁に鳩時計が掛かっていた。その鳩時計は、鎖に付いたおもりを巻き上げて、それを動力に動いているもので、正時になると、小窓が開いて、鳩が出てきて鳴いて、時を知らせる仕掛けになっていた。
そんな鳩時計のある部屋で、スガワラ君がこんなことを言った。
「2つのものごとが同時に起こるということはないんだ。同時に見えても、精密に測定すれば、必ずどちらかが早くて、どちらかが遅いんだ」
これは言い換えれば、あるものごとが起きる時、そのものごとはそれが占有する固有の時に起きるのだ、ということになる。時というのは時間軸上の点だ。点は定義上無限小であり、幅を持たない。2つの別の物が同時に同一の場所にいられないように、2つの別のものごとが時間軸上で同時に起きるということはないのだろう。
わたしたちは、無限小ということを直接認識することができない。「限り・なく・小さい」と、否定の「なく」を入れることによって、認識したような気になっているだけだ。これは、無限大についても言える。「限り・なく・大きい」。英語でもインフィニテサマル、インファニトと、否定の接頭辞「イン」を付ける。英語と同じインド・ヨーロッパ語由来の「なむあみだぶつ」の「あみ」も同じ。アミターバ(無限の光)、アミターユス(無限の寿命)が語源だ。インとかアンとかは、否定を意味する。インポセブル、アンビリヴァブル……エトセトラ。
ところで、無限小の時が実在する、というのは、矛盾ではないだろうか。実在するのであれば、時間軸上で一定の幅を占めている。しかし、一定の幅を占めているのであれば、無限小という定義に反している。だとすれば、ここから導き出せる結論は、あらゆるものごとは実在しない、ということではないだろうか。お釈迦様は「諸法無我」と言われた。わたしもあなたも実在しないのかもしれない。
スガワラ君は、一人でいて、ものを考える時間がたっぷりあったのだろう。鳩時計を見ながら時間について、いろいろ考えていたのだろう。似たような境遇にあったわたしは、大いに共感した。

Goya2

ゴーヤを収穫した。ゴーヤチャンプルーを作って食べた。幸せ。

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筑波常治さん

このブログで何度も話題にした筑波常治さんですが、今年の4月13日に亡くなっていたようです。Wikipedia を見て知りました。81歳でした。残された著作を繰り返し読んでいたいと思います。

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統計で見る日本の農業

今回読んだのは、農林水産省大臣官房統計部編集『ポケット農林水産統計 平成20年版』(農林統計協会)です。

「主要国の土地種類別面積」という表があります。
日本の耕地+永年作物地(果樹とか)の面積は、469万2000ヘクタールなのだそうです。これを、平成18年の日本の人口、1億2795万人で割ると、3.7アールになります。農地を国民に均等に分けた場合の、一人の取り分です。穀物食なら、ぎりぎり自給できますか。かなり厳しいかもしれません。もっと少子化が進んだほうがいいですね。
他の国ではどうかといいますと、例えば、アメリカ合衆国が58.5アール。フランスが30.0アール。インドが14.7アール。中国が11.8アール、といったところです。

「主要国の産業別就業者数」という表があります。
〈農業・狩猟業・林業の就業者数〉を〈就業者総数〉で割ってみます。国民の何%が農林業者かということですが、日本は3.9%です。
他の国の数字も、ちょっとご紹介しますと、ブラジルが20.5%。ポーランドが15.7%。ロシアが9.7%。お隣、大韓民国が7.4%となっています。

「農林水産物の輸出入額」という表では、輸入が8兆5574億2400万円であるのに対して、輸出は5159億7100万円で、圧倒的に輸入超過です。
輸出品目別輸出額のランキングで意外に思ったのは、3位に〈真珠〉が入っていたことです。年間365億2800万円も、真珠を輸出しているのですね。

ちょっと、社会科のクイズをしてみましょうか。輸入農産物の、輸入相手国の上位3カ国を言いますので、農産物の品目を当ててください。ヒントは、牛肉、小麦、大豆、バナナのうちの、どれかです。
第1問。アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア。
第2問。アメリカ合衆国、カナダ、ブラジル。
第3問。オーストラリア、アメリカ合衆国、ニュージーランド。
第4問。フィリピン、エクアドル、台湾。
簡単すぎますか?
第1問と第2問は、似ています。3位がオーストラリアかブラジルかが違います。答えは、オーストラリアのほうが、小麦です。ブラジルのほうが、大豆です。アマゾンの森をつぶして、遺伝子組み換えの大豆畑にして、日本の豆腐・納豆・みそ・しょう油用の大豆を作っています。
第3問は? 牛肉ですね。OGビーフオージービーフ(オージーって‘Aussie’と綴るそうです。OGというのは、卒業した女子先輩を指す和製英語なんですって。間違えました)。1位のオーストラリアは、2位のアメリカの10倍以上の、圧倒的な輸入量です。アメリカの牛肉は、きらわれているんですね。産地をチェックしにくい外食とか、加工食品とかに使われているのでしょう。
第4問は、そう、バナナです。

国内に目を向けて、「都道府県別農業産出額」の表を見てみましょうか。
農業が盛んな都道府県ランキング、ダントツトップは、日本の食料生産基地=国内植民地の北海道です。桁違いの1兆飛んで527億円。
農業生産額第2位の県は、どこでしょうか。南へ飛んで鹿児島の4079億円なのです。3位以下は、千葉県、茨城県、宮崎県と続きます。

「耕作放棄地」の表があります。全国の耕作放棄地は、38万5791ヘクタールあるそうです。耕地面積が、田と畑を合わせて465万ヘクタールですから、8.3%が耕作放棄地、ということになります。けっこうあるものですね。

「耕作目的の田畑売買価格」という表があります。田んぼや畑を買うとしたら、どのぐらいの値段がするのでしょうか。
全国平均で、10アール当たり、101万4000円だそうです。うーん、高いですね。でも、耳寄り情報です。北海道は、やはり10アール当たり、なんと13万円ぽっきりだそうです。家族で〈3反農業〉をやって、40万円弱。これなら、買えるかもしれません。

農地を買うのではなしに、借りるんだったら、年にいくらぐらいで貸してもらえるのでしょうか。「田畑別実納小作料」という表があります。これによると、10アール当たり、全国平均で、6225円だそうです。貸し農園とかに、謝礼を払いすぎていませんか? 北海道では、4311円ですって。〈実納〉の平均ですから、場所によっては、ただみたいな小作料で借りている人もいるんでしょうね。北海道にいらっしゃいますか?

〈新規就農〉という言葉がはやっていますが、どういうような人たちなのでしょうか。
「就農形態別新規就農者数」という表があります。平成18年の数字で、〈自営業就農者〉、つまり、学校を卒業して、農業をやっている親の跡を継ぐようなケースが、7万2350人。〈雇用就農者〉、つまり、法人などに雇われる農業労働者が、6510人。〈新規参入者〉、つまり、農地を買うか借りるかして、独自経営で農業をはじめる人が、2180人なのだそうです。必ずしも、新規就農者=新規参入者ではないのですね。親の跡を継ぐ人を除けば、むしろ、新規参入者よりも雇われて農業をする人のほうが、約3倍も多い。このへんは、飛び込む前に、イメージをつかんでおいたほうがいいです。

では、雇われた場合の給料は?ということですが、「主要産業と農業賃金の比較」という表があります。
平成18年のデータで、1日当たりの賃金ですが、製造業は、1万3476円。運輸業は、1万5480円。卸売・小売業が、1万2340円。飲食店・宿泊業が、6876円。農業臨時雇賃金は、データが男女別になっていて、男が、8653円。女が、6538円です。
女の農業が最低で、男の農業は、かろうじて、飲食店・宿泊業よりはまし、という結果です。農家に雇われるよりも、工場で働くか、運送業をやったほうが金になる、というわけです。

もう一つ、農家の借金のデータがあります。平成18年のデータで、農家1戸当たりの借入金は、全国平均で、217万5000円だそうです。これが、北海道に限定すると、1034万8000円になります。北海道は、規模の大きな農業が多く、大型機械など、設備にお金をかけることが多いので、運が悪いと、たちまち借金もふくらみます。平均して約一千万円の借金ということは、もちろん、借金などなく、貯蓄をしている人もいますから、逆に多い人は、億単位の借金を抱えていたりする人も、いくらでもいるわけなのです。
経営で赤字が出ることが予測できながら、お金を貸し付け続けてきた、農協の責任が問われるのではないでしょうか。

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備蓄・定住・農耕

地球は、だいたい、今から46億年ぐらい前にできました。そして、だいたい今から40億年ぐらい前に、地球上に生命が発生しました。それがいろいろ進化して、だいたい、今から500万年ぐらい前に、二足歩行して、音声言語を使えて、家族を最小単位に生活する、現代人につながる、〈人類〉が、誕生しました。それから、今から1万年ぐらい前まで、人類は、人口400万人ぐらいで、安定した暮らしをしていました。マーシャル・サーリンズが言う「始原のあふれる社会」です。
人口が400万人ぐらいだったころの人類は、自然が自然状態で人類を養える範囲内で生活を営んでいましたから、食べものは、特に苦労しなくても、おなかのすいたときに狩猟採集をすることで、簡単に得ることができました。今でも、狩猟採集民は、1日平均、4~5時間程度働くだけで、必要な物のすべてを得ることができています。
ところが、今から1万年ぐらい前に、人類は、食べものを備蓄するようになりました。食料を保存するようになると同時に、必要以上の食料を集めて、剰余が発生するようになったのです。これがきっかけになって、人口が増えはじめます。
やがて、農業や牧畜の技術が発明されて、あるいは進歩して、人口増加に拍車がかかります。そして、人類500万年の歴史の中で、長い間400万人ほどまでで安定していた人口が、最後の1万年で、一気に1000倍以上にふくれあがってしまったのです。

自然が自然状態で養える人口の1000倍以上ですから、食料生産は困難を極めますが、狩猟採集時代に比べたら、はるかに激しく、躍起になって働くことで、必要以上の収穫を得られるようになりました。備蓄された食料は、富となり、権力が発生し、都市が形成されます。食料生産は、奴隷によって担われるようになりました。
現代の農業は、化石燃料を大量に投入することで、かろうじて成り立っています。現代の農民を「奴隷」と呼ぶのは、語弊がありますが、農業が底辺労働であることには、変わりありません。特に、輸入食品について考えると、プランテーションでの、児童労働を含む、労働者の過酷な労働、そして、いわゆる〈飢餓輸出(国内に深刻な飢餓を抱えている国が食料を輸出すること)〉も考え合わせると、まさに「奴隷」によって文明は支えられている、と言うことができます。

ローマ、中華、ビザンツ、イスラーム、ヨーロッパ……歴史上の帝国は、すべて農業を経済の基礎に置いていました。農業がなかったら、人間は滅んでしまう、という強迫観念は、歴史的事実に基づいていますが、逆に言えば、事実によって、代替的想像力が押し殺されてきたとも言えます。

わたしは、自分の政治的な立場は、超反動だと思っています。例えば、千数百年ぐらい昔の、大化の改新の時代の社会あたりにあこがれる反動派なんて、まだまだ中途半端で、もう1万年ほどさかのぼって、縄文時代にまで戻ろうとしなくては、本物ではないと、わたしは本気で思っています。
縄文時代の生活は、現代に比べたら、物質的な所有物の量としては、とても「貧しい」のですが、主観的な意識としては、はるかに「豊か」で、幸福であったろうと想像します。

さて、ここで疑問に思えてくるのは、なぜ人類は、約1万年ぐらい前に、とてつもなく激しく働くようになったのか、食料を備蓄するようになったのか、定住して農業をはじめたのか、ということです。高校の歴史の授業でどう教わったか、忘れてしまいましたが、「新石器革命」とか言って、優れた道具が生産性を上げた、というような説明を聞いたような、かすかな記憶があります。
優れた道具が作れるようになったから、人類の社会が変わってしまった? では、なぜ、そのような道具が作れるようになったのでしょうか。偶然? 「新石器革命」という考え方は、わたしには、あまり説得力があるようには思えません。
とは言っても、こんな批判的な発想ができるようになったのは、高校を卒業して30年近く経った今だからなのですから、学校教育が、学生の心に、教育内容に対する批判精神が芽生えないように、どれほど抑圧的な教育をしているかが、分かります。

この、「今から約1万年前に何があったのか」という疑問に答えてくれる本がありました。

西田正規『人類史のなかの定住革命』講談社学術文庫、です。

この本によると、今から約1万年前に、地球上では、温暖化がはじまったのだそうです。言い換えると、氷河期が終わったのだそうです。
わたしのような、北海道のような寒冷地で栽培をやっている立場からすると、温暖化すれば、作物がよく生長して、結構なことではないか、と思ってしまいがちですが、事は、そう単純なことではなかったようです。
この本によりますと、今から約1万年前にはじまった地球温暖化は、低緯度の、熱帯・亜熱帯地方には、あまり影響がなかったそうです。高緯度地方は、それまで氷河に被われていた地が、現在の寒帯・亜寒帯のようになりました。温暖化の影響を、一番激しく受けたのは、中緯度地帯です。それまでは、草原や疎林が多い地域だったのですが、この時代を境に、温帯森林が形成されていったのでした。そして、この地域こそ、人類が多く住んでいた地域なのでした。
引用します。

 氷河期の中緯度地域には、亜寒帯的な草原や疎林に棲むトナカイ、ウマ、バイソン、マンモス、オオツノジカ、ウシなどが広く分布し、後期旧石器時代の狩猟民は、これら大型有蹄類の狩猟に重点を置いた生計戦略を持っていたと予想される。しかし氷河が後退し、草原や疎林に代わって温帯性の森林が拡大してくれば、これらの有蹄類は減少するし、またそれまでの、視界のきく開けた場所で発達してきた狩猟技術は効果を発揮しなくなるだろう。

ということなのです。
この頃の人類は定住していませんから、食料を求めて移動していくのですが、広範囲で草原が森林になったのでは、行き場がなくなるわけです。で、大型の動物中心の食料を、植物性食料か魚類中心の食料に切り替えていくことになるわけです。
ところが、大型動物に比べると、植物性食料や魚類は、収穫できる量が、季節によって大きく変動します。「実りの秋」に収穫して、それを冬中食べて、春につないでいかなくてはならなくなります。このような必要から、食料の備蓄が行われるようになったのではないか、というのです。
大型動物を主食にしていた人類が、植物性食料や魚類を中心にした食料に代えていく、というのは、大変難しいことだったのではないかと想像します。これができなかったグループは、滅んでいったのかもしれません。
これは、わたしのいい加減な想像ですが、この時期に人間は、死に対する恐怖を感じるようになったのではないでしょうか。そして、この死に対する恐怖を紛らすために、〈とてつもなく激しく働くこと〉も、同時に思いついたのではないかと想像します。
この、〈とてつもなく激しく働くこと〉は、のちに現れる農耕民が持っている、〈とてつもなく激しく働こうとする心性〉に、つながっていきます。

ところで、

アラン・テスタール、山内昶訳『新不平等起源論 狩猟=採集民の民族学』法政大学出版局

という本があります。書名の通りで、民族学の立場から、社会的不平等の発生について考察した本です。
著者のテスタールさんによると、「狩猟=採集民/農耕=遊牧民という対立は、不平等論の探究に主要な準拠枠とはなりえない」のだそうです。では、何が不平等発生の原因か、というと、「不平等の技術=経済的な基礎は、定住生活様式と大規模な食料備蓄にほかならなかった」のだそうです。このあたりの事情を表にまとめると、次のようになります。いろいろな民族の社会を比較・分類する具体的な考察は、この本を読んでください。

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食料備蓄が不平等の起源である、と。一言で言えば、そういうことです。そして、この食料備蓄の起源は、西田さんの本に出ていたように、気象変動による試練だったわけです。

西田さんの本とテスタールさんの本から備蓄型社会と非備蓄型社会の文化的な違いをまとめると、以下のようになると思います。

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縄文時代の社会は、非備蓄型―定住型―狩猟採集民ですから、上の表の、真ん中の白い部分、〈サゴの採集民〉と同じ部分にあたると思います。縄文時代は、のちの弥生時代のように、水田が作られ、邪馬台国のような国ができ、支配者の墓である古墳が作られるような時代よりも、ずっとストレスの少ない、自由で伸びやかな生活が展開されていたのだろうなあと、あこがれの気持ちを込めて、わたしは想像しています。
社会的不平等の起源に気象変動という要因があったにしても、だから不平等は、し方がないんだ、受け入れなければならないんだ、ということを言おうとして、これらの研究を、わたしは紹介したのではありません。それらの事実と、文明の弊害とを両方知った上で、これからわたしたちの社会を、どういう方向へ変えていったらいいのかを、議論していくべきだと思うのです。
そして、その議論の過程では、「人類は滅んではいけない」という、死に対する恐怖の集団化された観念や、「人類は繁栄するべきだ」という間違った観念が、自然環境を破壊して、かえって、人類にとっても危機的な状況を招いた、そして精神文化的にも、仏教で〈一切皆苦〉と呼ばれているような、苦しみに満ちた状況を招いた、そんな人類の愚かさを、しっかりと認識しなければならないと思います。

以上です。
以下は、2冊の本を読んで、面白いと思ったところで、まあ、〈おまけ〉です。

西田さんの本にあるエピソードで、面白いと思ったのは、南米にいるハキリアリがキノコを栽培する、という話です。アリが、植物の葉っぱを切り取って、巣に持ち帰って、それを咬み砕くと、そこからキノコが生えてきて、それを食べて生きている、ということです。一種の共生関係なのでしょうが、栽培が本能に組み込まれるようになることがあることを知って、興味深く思いました。
でも、アリの社会をモデルに、変なふうに人間のほうへ話を敷衍したりするのは、わたしは、ちょっとパスですけど。アリとかハチとかの社会に理想を見るのがすきな人、いますものね。

テスタールさんの本からは、「財宝は、それを占有する人の威信の印しに役立つ以外の使用価値をもっていない」という言葉と、C・キングさんの研究による、チュマシュ族のシステムについての考察が、面白いです。
チュマシュ族というのは、カリフォルニアに住む部族で、階層化された社会を形成しています。チュマシュ族では、財が過剰になりそうになると、インフレーションを防ぐために、その財に対する組織的な破壊が行われるそうです。壊すために作るなんて、完全に無駄なのですが、階層化された社会には、このような無駄が必要とされるのですね。
いろいろな財を、せっせと買い集めては、せっせと〈ごみ〉として捨てている、わたしたち「先進国」の日常も、これと同じ。都市の建造物は、破壊するために建てているようなものなのです。

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一楽照雄と日本有機農業研究会

日本有機農業研究会については、前回の記事イバン・イリイチ、桜井直文監訳『生きる思想』(藤原書店))で触れましたが、若干の補足をしておきます。日本有機農業研究会と農業関連の諸潮流との関係図をつくってみました。

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農文協の設立が1940年です。このころ、各国で、近代的な農法に対する批判が起こってきます。それは、農薬や化学肥料の多用によって、農民の生命や自然環境が破壊されたことへの反発が、原因しています。
このような批判は、多分に、農本主義的な性格を持っています。問題があっても、農業をやめるわけにはいかず、農民を叱咤激励する必要が出てくるからです。
また、このような批判には、たとえば、シュタイナーのように、前近代的な風俗・習慣・信仰をとり込む傾向があります。問題は近代化であるとされて、近代主義に対する反動の動きが形成されてくるからです。

日本有機農業研究会は、一楽照雄が主導していた団体と言っていいと思います。一楽の思想は「協同組合主義」であると言っていいと思います。一楽は、農林中金の常任理事でした。
一楽の日有研をあやつるやり方を見ると、全体主義に親和的な団体の運営法がどのようなものかを知ることができます。まず、設立が1971年だということに注目してください。近代農法を批判する諸潮流が1940年前後からはじまるのから、30年遅れて、はじまっています。これは、坂本尚さんも指摘していますが、左翼的な、階級闘争的な運動よりも、人間の自然破壊と闘う運動のほうが重要だ、という思想を、日有研が打ち出したことに関係があります。
わたし流の言い方をすれば、時代的にちょうど政治闘争に挫折していた左翼たちを、うまく農業関連産業にとり込んだわけです。左翼は、具体的な個と個の関係からよりも、国家や社会といった「全体」の有り様からものごとを発想しがちです。つまり、全体主義に親和的です。なので、全体の関係性(有機体のような、とか)を強調して宣伝する有機農業に、あるいは生産者として、あるいは関連産業として、あるいは有機農産物の消費者として、すんなりととり込まれやすかったのです。

これも、前回の記事で述べましたが、日有研の「有機農業」は、30年も前から、福岡正信や岡田茂吉などによっておこなわれていた「自然農法」から、「不耕起」と「無施肥」の思想を抜きとった、より開発主義的、自然破壊的、農業周辺産業振興的性格を持っています。有機資材は、輸入されたものも多くあります。日有研の「有機農業」は、既存の農業関連産業を全否定しているわけではありません。このへんも、団体操縦術としては、注目しなくてはなりません。

シュタイナーやナチス・ドイツから受けた影響を隠したり、岡田茂吉や福岡正信が持っている「宗教性」を遠ざけたりしていることは、前回の記事でも述べましたが、このことについては、もう一人、日有研の有力な発起人の一人である梁瀬義亮に関しても、言うことができます。梁瀬は医師として農薬の危険性について発言したりしていましたが、大乗仏教の勉強会などの活動もしていました。梁瀬が現在の日有研で、ほとんど語られることがないのは、その「宗教性」がきらわれているのではないかと想像します。
日有研の本流を「脱宗教化」することで、広範な人たち、殊に政治運動で挫折した左翼の人たちの受け皿として、受け入れやすい雰囲気づくりが配慮されたのでしょう。しかしこれは、有機農業自体が、「生命(有機)」という言葉が持つイメージ喚起力をとことん利用した、「いのち教」と呼んでもいいような、「宗教代替物」であることを、巧妙に隠しながら、ではあるのですが。

日有研の有機農業は、農本主義の一形態なのだと、わたしは考えています。「特別な農業」をやっていると農民に思わせて、それを「誇り」にさせて、農業生産を農民に押しつけやすいようになつけると同時に、「提携」と称して、都市の富裕層に「特別な農産物」を割高に買わせて、農民に農業生産を押しつける罪悪感を麻痺させる仕組みなのです。有機農産物は、免罪符みたいなものです。

一楽の「協同組合主義」の反映ではないかと思えて、おもしろく感じたことがあります。それは、日有研のホームページのトップページの「情報交差点」という記事(広告ではない)で紹介されている「鯉淵学園農業栄養専門学校」の、そのホームページの中に、学校の運営主体である財団法人農民教育協会の沿革が、次のように出ているところです。

 財団法人農民教育協会は、昭和23年5月、全国農業会が解散し全国農業協同組合中央会に改組されたことに伴い、全国農業会の教育事業であった「全国農業会高等農事講習所」(現在の鯉淵学園農業栄養専門学校)などを受け継ぎ、農村社会の有為なる形成者の養成及び農村指導者の研修を目的として農林水産省の認可を受けて設立された財団法人です。
 また、昭和63年より、公益性の高い特定公益増進法人として農林水産大臣より証明を受けております。

山下一仁さんが、『農協の大罪』の中で、スクープのようにして明かした、農協は戦中の統制組織を引き継いだだけのものだ、ということを、むしろ、みずから誇らしげに(?)宣伝しているのです。
そして、そのような出自の学校を、日有研がそのホームページで、“有機農業や自然食品”に関心がある人、“田舎暮らしで家庭菜園”を楽しみたい人、これから“本格的に農業をしたい”人は、この学校の社会人研修コースで学んでみませんか?と、勧誘しているのです。トップページの記事からのリンクで、この学校だけへと、勧誘しているのです。

日有研と農文協の関係については、農文協のホームページに「「農村空間」が新しい時代をつくる」という文書がありまして、そこに、このあたりの事情が出ています。一部を引用します。

 有機農研の運動を積極的に助けたのが岩渕直助が指導する農文協であった。財政基盤のない「有機農研」に農文協の事務室を提供し、有機農研の機関誌『たべものと健康』(現在の『土と健康』)の発行を手助けした。

同じ文書には、次のような部分もあります。

1971年、元農林中金常務理事の一楽照雄(農文協理事)が日本有機農業研究会を創立した。その宣言に曰く。「有機農業をすすめる農民は、都市民との提携によって消費者の食意識の変革を目指す」。
 つまり、農民が都市民の意識変革をするというのである。およそ人類史上で、農村が都市を領導したことはない。農村は都市文明を受け入れることによってのみ、進歩するものとされてきた。

この文書は、「農文協論説委員会」の署名になっていますが、前回の記事でご紹介した、農文協副会長の坂本尚さんの発言とそっくりです。もしかしたら、坂本さんご本人がお書きになったのかもしれません。
すでに指摘しましたが、これは、ナチス・ドイツの農業思想家ゲオルク・ハルベが、自然に触れる農民こそが世界の本質をよく理解できる、という形で、一楽らが日有研を創設する30年ぐらい昔に言っていることで、人類史上初、ということではありません。

ゲオルク・ハルベは、農民が都市住民を、積極的に「指導(領導?)する」とまでは言ってないかもしれませんが、農民のほうが都市住民よりも物事の本質をよく理解できると、農民文化の優位性を説いていますので、本質的には同等のアイデアであろうと思われます。

以上。まとまりも「オチ」もありませんが、前回の記事の補足、ということで。

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イバン・イリイチ、桜井直文監訳『生きる思想』(藤原書店)

きょうは、10年前の本です。イリイチの論文集『生きる思想』から、「「生命」の偶像崇拝」を読んでみます。そして、そのあとで、日本有機農業研究会の会誌「土と健康」のバックナンバーから、イリイチが指摘する問題とつながるような部分をとり出して、読んでみようと思っています。

その前に、「有機」「オーガニック」という言葉の意味・使われ方ですが、少し詳しい辞書を引いてみました。まず、「有機」を、「講談社日本語大辞典」で調べました

ゆうき【有機】[対義]無機(1)生活機能と生活力を持つこと・もの。organism(2)有機物に関すること。organic

次に、「研究社新英和大辞典」で「organic」を調べてみました。

organic(1)[化]有機の(2)有機体(生物)の(3)臓器の、器官の(4)[病理]器質性の(目で認められるような病気のある)(5)有機的の、組織的な、系統的な(6)(有機体のとっての)生まれながらの、固有の、本質的な、根本的な[法](国家構成上)基本的な、憲法上の[言語](構造が)偶発的でない

まず「有機」のほうから見ていきますと、「農業」を飾る言葉として「有機」を使うことは、(1)(2)どちらの意味でも、おかしいことが分かります。「農業」自体は、有機物でも無機物でもありません。「農業」自体が生活機能や生活力を持ったりしたら、農業を営む人間は要らなくなります。有機物に関する農業、というのも、意味不明です。動植物由来の有機資材を主に使う、という意味ならば、非有機農業を「無機農業」と呼ばない理由が分かりません。
「有機農業」というのは、ようするに、比喩なのです。organic の意味にからめて言
えば、有機農業とは、「有機体(生物)のような農業」という意味なのです。農業を有機体(生物)に、たとえているのです。「有機的」という言葉も、農業を飾る場合は、資材・作物・土壌・微生物・気候・生産者・消費者などの相互関係が、生き物の体のように、系統的に、秩序にしたがって形成されている、という意味なのです。

「有機農業」のように、ある言葉を掲げて「運動」をする場合、やる必要のある作業は、2つあります。対象概念を規定することと、それに名前を付けることの2つです。有機農業に関しては、「無農薬」と「無化学肥料」を条件に定めて、概念規定をしました。日本で有機農業をはじめた人たちは、「オーガニック」の訳に「有機」という多義的な語を選ぶことによって、社会有機体説のような、全体主義に親和的な幻想を、そこに関わる人たちに振りまくことに成功しました。
もっとも、これは、「オーガニック」という語を選んだ、日本の有機農業の思想的源
流である人たちの成功であって、日本有機農業研究会は、見事にぴったりはまった訳語を見つけた、というだけのことなのかもしれません。

ここで注意してほしいのは、1971年に日本有機農業研究会が創設されて、一楽照雄らが「有機農業」という言葉を(同研究会が定める形で)定義したとき、すでに、福岡正信と岡田茂吉の両氏は、それぞれの方法論による「自然農法」の活動をしていた、ということです。福岡正信の農法で特徴的なのは、不耕起ですし、岡田茂吉の農法で特徴的なのは、無施肥です。これらの特徴的な農法を、有機農業は引き継ぎませんでした。そして、自然農法とは別の、有機農業を「あとから」はじめたのです。
有機農業の運動がはじまる何十年も前から自然農法はありました。自然農法の福岡正
信は、日本有機農業研究会の創設にも参加していますが、やはり、自然農法との違いに気づいて、有機農業とは距離を置くようになります。
有機農業が自然農法から「引き算」したものは何でしょうか。それは、不耕起と無施
肥の思想です。なぜそうなったのでしょうか。答えは簡単です。有機農業が農生産の安易な効率化を図ったからです。有機農業は、自然農法に比べれば、はるかに開発型の農業なのです。「農業が自然を守る」などという宣伝は大嘘で、大局的に見れば、農業は、そのはじまりからずっと、自然破壊でした。

もうひとつ、日本有機農業研究会が、自然農法と異なる道を歩んだ理由は、これはわたしの想像ですが、岡田茂吉は世界救世教という宗教団体のリーダーで、はっきりとした宗教家でしたし、福岡正信は、独特の哲学を展開していました。一楽照雄は、それらの方法では、広範な人びとを組織できないと考えたのではないかと思います。

日本の有機農業のはじまりには、国内の自然農法以外にも、外国からの影響もあります。「オーガニック」の名を掲げた農業運動の源流があります。それは、ナチス・ドイツの農業政策です。そして、ナチス・ドイツの農業政策に相互に影響を与え合った、シュタイナーの「バイオ・ダイナミック農法」があります。
ドイツではじまった有機農業は、アメリカなどの他の国の農業にも影響を与えますが
、日本有機農業研究会は、ドイツからの影響については、国内で実践者がいる「バイオ・ダイナミック農法」を、たまに「不思議がいっぱいの農法」などという、ビミョーな表現で紹介する程度で、まったくといっていいほど、語りたがりません。一楽照雄は、東大の農学部を優秀な成績で卒業した人なので、海外の動向を知らないわけがありません。「ナチス・ドイツ」という、「印象の悪い」ところが源流なので、隠したのでしょう。

日本の有機農業の本質をまとめます。それは、新しい開発型の、言い換えれば自然破壊型の、農業様式です。「新しい」というのは、農薬と「化学肥料」を使う「古い」農業と比べて「新しい」という意味です。しかし日本の有機農業は、うまく隠してはいますが、じつは、ナチス・ドイツのまねです。この農業様式に「有機」という多義的な名を付けて(正確に言えば、的確な訳語を付けて)、全体主義に親和的な思想を広めました。こうして、もともと全体主義に親和的な、70年代の挫折した左翼たちをとり込むことに成功しました。「自分たちは「有機農業」という特別の、素晴らしい活動をしている」という「ほこり」を持たせることで、農民を農作業を押しつけられやすくなつけて、都市の富裕層を有機農産物を買わせることで「提携」させて、農作業を押しつける罪悪感を麻痺させる、という形で、農業と流通の産業を組織していきました。

さて、それでは、イバン・イリイチの「「生命」の偶像崇拝」を読んでいきましょう。この論文は、元カトリックの神父であったイリイチが、プロテスタント系のアメリカ福音ルーテル教会に招かれておこなった講演が元になっています。教会は「神の言葉(聖書)」に照らして、偶像崇拝を裁け、という考え方が基調になっています。
わたしは、「聖書」は、有害無益なものと思っていますので、イリイチの発想には同
調しませんが、産業社会がわたしたちの日常に埋め込んでくる諸概念を、異化して、批判する手法は、学べるものが多いと思います。

イリイチは、「生命そのもの The Life」と「一つの生命 A life」を区別して、前者は実在するが、後者は虚構だと言います。そして、後者の「生命」は、専門家たちによって管理される対象になりさがっている、と批判します。
イリイチがこのような批判を展開する根拠は、「聖書」です。「「生命」の偶像崇拝」か
ら引用します。

皆さんが船上に掲げているのは、主の福音です。つまり、主がマルタに対して「わたしは生命(いのち)である」と言われたときに、マルタに告げられた福音です。主は「わたしは一つの生命である I am a life」などとは言いませんでした。ただ「生命〔そのもの〕である I am Life」と言ったのです。

ひとりひとりの生命があるのではなくて、生命そのもの(神)があるだけだ、というのです。「生命」という言葉を使えば、そういう実体もあると勘違いしてしまう、わたしたち人間の認識習性を、イリイチは批判しているのです。
もっとも、概念批判ということでしたら、仏教のほうが徹底しています。仏教では「
諸法無我」と言って、すべてのものごとには実体がない、と言います。「わたし」という、人間の中核になるもの、通俗的な言い方をすれば「霊魂」となりますが、そういうものは存在しない、と考えます。すべてのものごとに実体がないのですから、「生命そのもの(神)」も、原理的には、ないことになります。

続いてイリイチは、「生命」という語の使われ方の歴史をたどりますが、注目したいのは、「生命という概念のいかがわしさは、エコロジー論議において、とくにはっきりとあらわれ出る」と言っている部分です。同書から引用します。

 エコロジーとは、まずさしあたって、生あるものと、その住環境との間にむすばれる相互関係についての学問、と言うことができる。しかしさらに、このことばは近年ますますさかんに使われるようになってきて、すべて知りうるかぎりの現象を関連づける、一つの哲学的な方法をさして言うようになってきた。その後エコロジーは、サイバネティック・システムという考え方をさすようになる。このサイバネティック・システムとは、同時にモデルでもあり実在でもある。言いかえれば、自らを観察すると同時に定義し、自らを規制すると同時に維持するようなプロセスである。このような考えかたのスタイルにおいては、生命は、システムと等置されるようになる。つまりこうした考えかたは、生命をおとしめ、かつ同時にそれを構成するという、抽象的な偶像崇拝なのである。

ようするにイリイチは、「神に根拠づけられないシステムは、けしからん」と言っているわけです。神を根拠に、いかがわしい概念を洗い出せと、プロテスタント系にけしかけているのです。こういう方式で批判ができるのなら、いろいろな概念が「いかがわしい」とされて、ぼろぼろ出てくるだろうなあ、と思われますが、事実、イリイチは、次のように、「いかがわしい」概念を、批判しまくります。

 来る日も来る日も、管理された諸事のなかに暮していると、われわれはみな、さまざまな虚構された実体の世界をあたりまえのものとして受けとるようになっていきます。われわれはしだいに、健康管理の進歩だとか、万人の教育だとか、国際的(グローバル)意識だとか、社会開発だとかいった新しいことばで、これら管理された幻について語るようになっていきます。また、それに加えて、誰にも文句のつけようのないような「より良い」「科学的な」「近代的な」「すすんだ」「貧しい者たちの利益になる」といったことばがそえられます。われわれは、管理によってはぐくまれた幻を指して「ことばのアメーバ」と呼んでいますが、こうした「ことばのアメーバ」は、自明性、啓蒙、社会的関心、合理性といった意味合いをもつとしても、けっして、われわれ自身が自分で味わい、嗅ぎ、体験することのできるようなどんなものも言い表すことができないのです。このような、ことばの蜃気楼のゆらぐ「意味論的な砂漠」とも言うべきもののただなかにあって、われわれはどうしても「ライナスの毛布」がほしくなります。つまり、いつも身近にかかえ歩くことができて、聖なる価値を手ぎわよく守ってくれるような気がする、威信ある偶像が必要となるのです。ふり返ってみれば、国内における社会的正義も、海外における開発も、世界平和も、みなこうした偶像であったことがわかります。そして、いまやそうした偶像の新しい名が「生命」だというわけです。

言葉は、考える道具ですが、感じさせられる道具でもあります。考えるということは、身近すぎて分からなくなっている言葉を、自分から引きはがして、距離を置いて見えるところに置くことです。感じるというのは、この逆で、感じさせる言葉の中に没入して、それが客観的に何であるかを分からなくさせてしまうことです。
自分の言葉に酔う人は、論理的にハチャメチャでも、気にならなくなります。「人の
振り見て我が振り直せ」ではありませんが、自戒しなければ、と思います。
イリイチが批判する際に根拠にしている「聖書」は、人間にとってなんの根拠にもならない、とわたしは思いますが、イリイチが、
身近な、わたしたちが疑うこともしないでいる概念を、次から次へと批判していく姿勢には、学ばなくてはならないと思います。

シュタイナーの「バイオ」、ナチス・ドイツの「オーガニック」、日本有機農業研究会の「有機」などは、「生命」という語が持つイメージ喚起力を、とことん利用して、人びとを管理してきた実例として、挙げることができると思います。
ここからは、日本有機農業研究会の活動から、「生命」のイメージ喚起力を利用して
いると思われる例を、挙げていこうと思います。脱会記念スペシャルです。

近年の日本有機農業研究会の活動で、「生命」節を炸裂させたのは、去年の第36回全国大会でした。テーマが「つながるいのち つなげるいのち」です。「繋がる命 繋げる命」と漢字で書かないところがミソです。漢字で書くと、意味が伝わりすぎてしまうのです。「いのち」のほうが、ほんわか、ムードだけが伝わるのです。「つながる」と「つなげる」を並べて、違いの「が」と「げ」に注目させるのも、リアルにイメージさせないための策略です。
こういう全国大会に参集する人たちというのは、「いのち」や「つながり」に飢えて
いるのでしょう。しかし、有機農業は、人を引き寄せようとするだけで、本物の「いのち」には触れられないし、「つながる」ことも、できません。有機農業で作物を育てても、有機農業の作物を買って食べても、ただそれだけのことで、「いのち」や「つながり」とは関係ありません。宣伝というのは、人が集まれば、それでいいのです。
去年の全国大会の記念講演は、『生物と無生物のあいだ』の著者、福岡伸一さん。講
演の題が「生命とは何か? 食べ続けることの意味と有機農業」。ほとんど、「新興宗教いのち教」といった感じです。

同じく、去年の全国大会での基調講演として、一楽照雄とともに日本有機農業研究会の創設に参加した坂本尚さんが、「創立者一楽照雄と有機農業」という題で、次のように語っています。

 1972年、国連人間環境会議(ストックホルム)が開かれています。この国際的な会議でいろいろ検討をし、自然と人間の敵対矛盾関係を正していこうと論議しています。国連の会議というのは、そういうことが世界各地で検討されていたから開けたわけですね。それが1972年です。
 そのような時、一楽照雄は日本にいて、有機農業研究会をつくるにあたって、そう
いう世界の動きをちゃんと認識して有機農業の意味を把握し、そのことを宣言した。もう少し私なりの意味を申し上げますと、階級闘争の歴史は終わって、すなわちブルジョアジーとプロレタリアートの敵対矛盾関係ではなくて、自然と人間との敵対矛盾関係に地球がさらされている。70年代は、そこをどうするかを問題にする時代に入った。
 その、自然と人間の敵対矛盾関係を克服する能力をもっているのは、工場労働者=
プロレタリアートではなくて、農民なんだということを、一楽はその根底で考えています。およそ人類史上初めて、一楽は、農家が都会の人々を指導するべきだということを言った。そこに大きな意味があるということを申し上げたい。こんなことを言った人は、それまでただの一人もいなかった。

「人類史上初めて」ではありませんね。わたしが書いた前回の記事(「農民の誇り」のつくり方)でも触れましたが、藤原辰史さんが『ナチス・ドイツの有機農業』の中に引用している、ゲオルク・ハルベが、一楽の30年も前に、同じようなことを言っています。もう一度、前回の記事と同じ部分を引用します。

 例えば、ナチ期農業思想の重要な担い手のひとり、ゲオルク・ハルベは、有機農法を単に様式としてばかりでなく、人間の自然認識変革をもたらすものとしても捉えていた。ハルベは、ユダヤ人やイギリス人がもたらした「物質主義的世界観」が現在の自然科学の基礎となっていると指摘し、都市の研究室や実験用農場で得られた研究成果で満足する自然科学者の自然科学観を徹底的に攻撃している。その根拠となるのが、ゲーテの次の言葉だ。「自然を把握しそれを直接利用することは、人間にはほとんどできない。認識と実用のあいだに、人間は、妄想を見いだそうとする。かれらは、それを入念につくり出し、それにかまけて、利用するはおろか対象そのものを忘れる」。ハルベは、そうした人間の傲慢さを最も体現しているのが、生きたものを死んだものとして把握する自然科学者だと批判する。そして、生きたものとして把握できる農民をそれに対置させる。そのうえで農民は、農場内の土壌、植物、動物、人間のつながりのなかで生き、そうした有機的関連性のなかで自然を把握するので、化学肥料ではなく、農場内の家畜が排出した糞尿を肥料として用いるべきだと推奨している。いうまでもなく、その家畜の飼料も、農場内で育った植物でなくてはならない。最後には、有機農法を「国民社会主義的な仕事」として称賛さえしているのだ。

ナチス・ドイツは印象が悪いから、影響を受けたことを言わないでおこう、ぐらいまでは、まあ、同情もできますが、「人類史上初めて」の名誉まで奪うことまでやっては、やっぱり、まずいでしょう。これが、講演者の坂本尚さんの思い違いならばいいのですが、どうも、一楽照雄自身が、当時から、「自分たちが一番だ」と言っていたような印象を受けます。
こういう、自分たちに都合がいいように言う、正しくなくても、人が思ったように動
けばそれでいい、という発想で言う、「大本営発表」みたいな体質になるのは、一番最初に「有機」という、多義的な語を看板に掲げた最初の時点で、もう運命づけられていたような気が、わたしにはしてなりません。

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